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<陸自幹部の第1空挺団勤務記録> その5 |試練を乗り越えた先に更なる地獄が待っていた!がむしゃらに働いた“痛すぎる”代償

こんにちは。

元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.Kです。
幹部自衛官として13年間勤務し、主な経歴は🪂最精鋭部隊第1空挺団、🇺🇸米国陸軍留学、✏️陸自最高学府の指揮幕僚課程、🇺🇸在日米陸軍司令部、🇺🇳国連南スーダンミッション軍事司令部等で勤務して参りました。
現在は、民間企業の危機管理部門で海外セキュリティ担当として危険国の情勢分析、セキュリティ対策の立案など、陸自時代よりもよりリスクの高い仕事をしています。

今回は、先回の記事の続きになります。

幹部一人で孤軍奮闘してきましたが、
ついに待ちに待った新中隊長の着任時期がやってきました!( ;  ; )

これでやっと肩の荷が降りるぅ!!
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

安心したのも束の間。
ここに来て、これまで体を酷使してきた代償を払うことになってしまいました。
もう2度と経験したくないくらいの『痛すぎる代償』でした。

まだ前回までの記事を読んでいない方は、是非読んでみてください。

⏩ 待ちに待った新中隊長の着任 

図3

ーー防衛省の定期異動日の3月23日

待ちに待った新中隊長の着隊。

約5ヶ月間、幹部一人で90名の隊員をまとめてきましたが、やっとこの激務、プレッシャーから解放されます。

でも、振り返ってみると、色々と苦難があってとても大変でしたが、とても充実した楽しい5ヶ月でした。

だって、2等陸尉というペーペーの階級で、中隊長の代理をやらせていただいたのだから。

🌈 中隊長の代わりとして毎日朝夕に隊員たちから敬礼を受け、隊員たちの前で話す。
🌈 服務、保全、訓練、兵站のあらゆる中隊の業務を一通り経験し、次年度の隊務運営計画も一人で作成しました。
🌈 毎週、他の佐官クラスの部隊長に混ざって、部隊の代表として空挺団長へ舞台の状況について報告もさせていただきました。

人生で最も充実していた5ヶ月でした!

そして、人生で一番、自分の成長を実感できた5ヶ月でもありました。

⏩ 乱れに乱れた生活習慣

図1

しかし、がむしゃらに働いたため、生活リズムが完全に崩れていました。 

⏬ 朝起きて、職場に行く途中のコンビニでおにぎりとパンと野菜ジュースを買って出勤して職場で食べる。
⏬ 朝食のメニューは、ほぼいつも同じ。
⏬ 仕事の休憩時間には、ストレス発散、眠気覚ましに缶コーヒーを毎日3〜5本くらい飲み、基本的に水やお茶は飲まない。
⏬ 仕事が終わった、真夜中にトレーニングジムに通い、トレーニングが終わった後は、深夜に行きつけの洋食店で外食をしてお酒を飲んで帰る。
⏬ トレーニング中・後には、プロテインを大量に摂取。
⏬ 毎日の睡眠時間は3〜4時間と体を酷使。

1日の水分摂取は野菜ジュース、缶コーヒー、プロテインがメイン。
たまにお酒を飲むとストレスのためか飲みすぎてしまっていました。

恐らく血液はドロドロで、
この生活を継続していたら脳卒中などの大病になってもおかしくなかったと思います。

今考えると恐ろしいほどの不摂生ぶりでした。 

⏩ がむしゃらに働いた代償

画像3

そんなこんなで、なんとか新しい中隊長の着隊まで幹部一人で踏ん張ることができたのですが、

ーー新中隊長が着任して、1、2週間後のこと。

腰から脇腹にかけて”ズキン、ズキン”と何とも言えない痛みが・・・

便意を催すような痛みではありませんでした。

しばらく時間が経つと痛みは、嘘のように完全に消えました。

ー なんだろう??この痛みは・・・

健康に関して無頓着だった僕は、痛みは暫くしたら消えて無くなるし、どうせ一時的なものだろうと思って暫く病院には行きませんでした。

新中隊長が着任したとしても、まだまだ幹部としての仕事は沢山ありました。

中隊長にこれまでの中隊の状況を知ってもらう必要があり、訓練や隊員たちの状況についても引き継がなかければならない。
そのための資料を作成したり、中隊長の不在間、思うようにできなかった訓練も計画をして、実行しなければならなりませんでした。

新しい中隊長の着任により肩の荷が降りたものの、やること自体はそれほど軽減されたわけではありませんでした

更には、空挺団に所属する幹部として、まだ入校できていなかった『空挺レンジャー課程』にも入校しなければならなかったので、入校のための準備も必要でした。

新中隊長が着任しても業務が楽になることはそれほどなく、相変わらず忙しい日々は続きました。

そして、腰のあたりの何とも言えない痛みが、出たり引いたりする日も続きました。

でも、この時はまだ耐えられないほどの痛みではありませんでした。
痛みが出たときは、トイレに籠って痛みが治まるのを待ちました

痛みが出始めて1週間ほど経過したとき、だんだん、痛みが以前よりも増してきました。
腰のあたりが痛くなったら、もう仕事に集中できなくなるくらいまでになっていました

業務に支障が及ぶようになって、
これはマズイと思い、
中隊長に現状の腰の痛みのことを説明して、
平日休みをもらって病院に行くことにしました。

初めは、『腰痛』だと思って千葉県で有名な整形外科に行きました。

レントゲンを撮ってもらったいましたが、原因がよくわかりませんでした。

ー おかしい・・・こんなに激痛があるのに、何で原因がわからないのか? 

想像したくありませんでしたが、
もしかして内蔵系かな?
と思って外科にも行ってみました。
また、レントゲンを撮ってもらいましたが、
やはり原因がわかりませんでした。

ー やっぱりおかしい・・・

痛みが出たときには、のたうち回るくらいの激痛に襲われました。

でも、しばらくすると、何もなかったように、痛みは完全に消えてしまうんです。

2つの病院に通って、レントゲンを撮りましたが、原因がわからない。
こんなに激痛なのに、異常が見当たらない。

どういうこと??

(異常がないなら、放っておけば、そのうち治るのかもしれない。)

そう思って、痛みは続いたものの、暫くの間様子を見ることにしました。

大きい病院に行って精密検査をしたほうがいいかな?とも思いながら、とりあえず病院に行って検査はしたので楽観視していました。

⏩ 意識が朦朧とするくらいの激痛に

そして、ある金曜日の夜のこと。

仕事を終えていつもどおりトレーニングジムに通い、トレーニングを終えて、夜の23:00頃から千葉県習志野市から神奈川に住む彼女の家に車を走らせていました。

彼女の家までは、車で2時間ほど。

高速道路に乗る前に、インターの近傍のコンビニでいつものように、眠気覚ましのためにブラックコーヒーと『眠眠打破』を買ってその場で飲み干し、長時間運転前に気合を入れました。

仕事とトレーニングで疲労していたので、
運転すること自体が辛かった。

画像5

(出典:http://www.sumitomo-rd−mansion.jp/shuto/oimachitower/access02.html)

武石ICから高速道路に乗って、
しばらく順調に車を走らせていましたが、
運転中に首都高の渋谷IC辺りで、
またあのよくわからない激痛が・・・

こういうときに限って、
道路は渋滞しててなかなか前に進めない

運転の体勢を維持するのが難しいくらいの激痛に襲われました。

リクライニングシートを調節しながら、
少しでも痛みが和らぐ、
運転しやすい体勢を探しながら
何とか運転を継続しました。

あまりにも激痛のため、
冷や汗をかき、吐き気まで催しました。

ー これは、まずい。このままでは運転できないかも・・・
ー 途中のインターで降りようかな?
ー でも、降りてもどうしようもないよな。

首都高を途中で降りても
どこの病院が救急に対応しているのかわからなかったので、
歯を食いしばって我慢をして、
とりあえず次のPAの港北PAまで我慢して運転することにしました。
そのうち、また痛みは引いてくるだろうと期待して。

意識が朦朧とする中で、なんとか車を走らせました。

すると、港北PAに到着する前に痛みが和らぎ始めました。
このままだったら、彼女の家まで行けるかもと思い、若干の痛みはまだ残っていたものの、そのまま車を走らせました。

彼女の家に到着するまでには痛みはすっかり消えてしまっていました。

ー とりあえず、事故をせずに済んで良かった・・・
ー しかし、何なんだ?この痛みは・・・

⏩ もしかして、大腸がん??

腰痛の症状が出始めてから、昔の父親の言葉がいつも気になっていました。

ー-それは、僕が中学生の頃の話。

家族で母親の実家の広島に車で墓参りに行っていた時、車の中で、父の友人の子供が大腸がんで急逝したという話題になりました。
なぜ、このような話になったのかは覚えていませんが・・

父親:「お父さんの友達の子供が、腰が痛いと言いだして、数日後に亡くなったらしい。」

父親:「病院に行って調べたら『大腸がん』が見つかってな。大腸がんになったら、腰のあたりが痛くなるんやな。その子供の年齢はまだ31歳だったらしいわ。若いよな〜」

父親:「若いときは、がんの進行が早いからな。がんが見つかって、すぐに亡くなったそうだ。」

このときの話がずっと頭に残っていて、
『腰痛=大腸がんの可能性あり』という、
最悪のケースが頭をよぎっていました。

ー もしかしたら、これって大腸がん??
ー 俺もまだ若いから、万が一見つかったら、すぐに亡くなってしまうのかな? 

そう言うことを考えると不安でたまらなくなりました。

ーーその日、彼女の家に到着したのが深夜の1時頃。

当時、看護学生だった彼女は、
看護師の国家試験に向けて、
まだ勉強をしながら、
僕の到着を待っていてくれていました。

到着して、腰痛のために死にものぐるいで、
運転をしてきたことなどを少し話をしました。
夜遅かったので就寝・・・

ーーしばらくして・・・

”ズキン、ズキン”

腰の辺りにまたあの忌まわしい鈍痛が始まりました。

(はぁ、またか・・・) 

今回の痛みは、尋常ではありませんでした。

急いで、トイレに駆け込みました。
便意を催すような痛みではなかったのですが、
トイレに入って身を屈めていたほうが、
少し楽でした。

トイレの中で、激痛と戦っていました。
冷や汗をダラダラかいて、
呼吸もまともにできない、
まともにトイレに座っていられない状態が
30分ほど続きました。

しばらくして、トイレから出て、
トイレ横にあった洗面所にある大きな鏡で
自分の顔を見たら、激痛で顔は、真っ青

(今回ばかりは、もう無理!!これは、救急で病院かな・・・) 

彼女が、心配をして起きてきて救急車を呼ぶことを勧められた。

深夜で救急車を呼んで
野次馬に見られながら
救急車に乗るのが嫌だったので、
しばらく激痛を我慢をして、
痛みが少し和らいだときに車を自分で運転して、近くの大学病院の救急にかかることにしました。

彼女の家から近傍の大学病院までは、
車で20分くらい。

痛みで背筋を真っ直ぐに保つことが
難しかったので、
車を運転するのはかなり辛かった。 
でも、彼女はまだ車の運転免許を持っていなかったので、自分で運転せざるを得ませんでした。

運転している途中、
痛みがMAXとなり意識が朦朧としてきました。

このまま運転は危険と判断し、
事情を話してコンビニに車を置かせてもらい、
タクシーを呼んで病院に行くことにしました。

画像6

(出典:https://www.residentnavi.com/hospitals/286)

⏩ 三大痛い病の一つ。『尿路結石』ということが判明

図4

そして、大学病院に到着して受付。

対応してくれた看護師に症状を伝えましたが、
深夜で担当医がいなかったので、
点滴をうちながら、
とりあえず病院のベッドで休むことに。

激痛で正常な呼吸ができなくなり
過呼吸になってしまいました。

看護師さんがビニール袋を持ってきてくれて、
口に当てながら呼吸をしました。

昔、小学生の時に同級生の女の子が、
泣いて過呼吸になっていたことを思い出しました。
まさか自分が同じように過呼吸なんかになるとは思ってもみませんでした。

激務が続き、トレーニングジムでの筋トレ、長距離運転、激痛で、かなり疲労が蓄積していたこともあり、暫くして痛みが和らいできたら、すぐに就寝できました。
彼女は試験勉強で忙しいにもかかわらず、ずっと付き添ってくれました。

その日の朝の10時頃から外科の先生に診察をしてもらいました。
MRIを撮って、しっかりと体内をチェックしてもらいました。

頼む!大腸ガンで無いことを祈る・・・

どんな診断が言い渡されるのかドキドキでした。

ーー結果、

『尿路結石』と診断されました。

画像を見ると、尿道に1mmくらいの結石が詰まっているのが確認できました。
結石とは、シュウ酸カルシウムやリン酸カルシウムなどの塊のことらしい。

 ー あー、大腸がんじゃなくて良かった!
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

昔、親戚のおじさんが、尿管結石で入院していたとき、お見舞いに行ったことを思い出しました。
おじさんの場合は、結石が大きかったため、
超音波で破壊して、
体外に排出したとの話を思い出しました。

僕の場合は、結石が1mmと小さかったため、
超音波での破壊はできませんでした
このため、尿と一緒に詰まっている尿道から、
結石を排出
するしか方法はなく、
1日に最低2リットルの水を飲むことを
勧められました。

たった1mmの小さな石のために、
こんな耐え難い激痛に襲われることには
驚きました。

⏩ 尿路結石の原因

尿路結石は、食習慣に起因するそうです。

僕の場合は、
普段から水をあまり飲まないのと、
食事時間が不規則でいつも肉類を食べ、
ビールを飲んでいたことや野菜不足などが原因でした。

確かにこれまでの生活を振り返ってみると、
仕事だけに集中して自分の体の健康のことには無頓着でした。

仕事のストレスもあり、
それを解消するためにいつも美味しい食事とお酒を嗜む。
特に、肉とビールがは大好物!

独身だったので、料理はすることなく、
食事のバランスの必要性は感じながらも、
自分の好きのものだけを食べていました。

空挺団は手当の額が大きく、いつも演習があったので、お金は溜まる一方でした。
ですから、演習のない時は、飲食にかなりのお金をかけていました。

その結果、悪習慣が身についてしまい、
いつの間にか体が蝕まれていたのです。

⏩ 最後に

これまで、とても仕事ができて優秀な人が病気のために昇任の道から外れてしまったり、志半ばで亡くなってしまった人を沢山見てきました

よく多忙と言われている陸上幕僚監部や司令部勤務となった先輩方の中には、以前見た姿から全く別人のように激太りして、
「えっ?何でこんなになっちゃった?」
と思うくらいの人もいました。

この人たちも僕と同じように仕事だけに集中して、自分の健康にあまり留意をしてこなかった人が多かったのかもしれません。

不健康であれば当然、仕事のパフォーマンスは下がってしまいます

僕の場合は、生命に関わるような大きな病気ではなく、(かなり痛かったけど)『尿路結石』という生活習慣を改めるための”警告”を受けることができたのが不幸中の幸いでした。

身をもってこれまで無頓着だった食生活を見直す契機を得ることができたのでラッキーでした。

このとき以来、
食生活を見直して野菜中心の食事に切り替え
これまであまり飲まなかった水やお茶も最低毎朝コップ一杯は飲むようにしています。

どんなに仕事が忙しくても、自分の健康には細心の注意を払わなければならないことを痛感した出来事でした。

悪い習慣を継続していくと人生が悪い方向へ進んでいきます。

良い習慣の継続って本当に大事ですよね!

次回へつづく。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も皆様にとって良い一日となりますように!

元国防男子 Mr.K


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