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サグラダファミリアがすごすぎてクリスチャンになりそうになった話

サグラダファミリアを目の前にしたとき、初めて「信仰対象としての宗教」を感覚的に理解できた気がしました。

世界遺産とかは何かしらの宗教的思想に関わっているものがほとんどなので、今までも、教会やモスクなど、宗教的な意味を持つ建造物を観光したことはあったけど、やはりそれは自分ごとに感じられるものではなく、裏側にある思想を感覚的に理解するのは難しいものだった。でも、サグラダファミリアは違った。

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じつは11月にキリスト教のイベントで「100人ダンス」というものに参加しました。

そのダンスにはゴスペル曲が使われていて、「神に捧げるダンス」という役割でした。

ダンスの参加者にはノンクリスチャンの人も多かったので、このダンスを踊るにあたって、クリスチャンの人たちがどのように世界を捉えているかというのは、きちんと説明があった。

クリスチャンの人たちは(私の解釈が正しければ)全ての物事は神のご計画によってあらかじめ決められていて、この100人で踊れることも全て神が私たちに与えてくれた機会、と考えるのだそう。
神に与えられ、感謝し、信じることによって赦される。

その時は、クリスチャンの人たちの考え方に触れてとても興味深かったけれど、たぶん理解はできていなかったと思う。

私は多くの日本人がそうであるように特定の宗教への信仰は持っていなくて、お墓参りもすればクリスマスも祝うし、詰んだ時とかは神に祈ったりもする。でもそれは、本当に神を信じている人の思考とは全く違うものだと思う。

日本に生まれて、普通に暮らしていたら「信仰をもつ人たち」の見えている世界を完全に理解するのは難しい。

でも、サグラダファミリアを見たときに、宗教というか「神の力」をものすごく強く感じることができた。

あまりに美しいから。

神のご計画だと思ってしまうのも仕方がないって。どれだけ才能があったとしても、1人の創作意欲だけではこんなもの作れない。そこに信仰心がなければ、サグラダファミリアはこの世に存在していなかっただろうし、これほど人を感動させることもなかっただろう。

これを設計、建築したガウディも作業した職人たちも、資金を提供した人であっても、きっと神から「赦される」のだろうと、そんな風に感じてしまいます。

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ここからは印象的だった部分を写真で。

もうしょっぱなから圧巻。

石でできているとは思えない繊細な彫刻。自然がモチーフになっていて柔らかい。

受難のファサードの石像。表情が豊か。

バルセロナの降り注ぐ太陽の光をもっとも有効に使うことを計算しているかのような配色のステンドグラス。
教会のステンドグラスって、ガラスで絵を描いているものが多いけど、サグラダファミリアは、自然資源と美しく混じり合うことに主眼が置かれているような印象。

次はいいカメラを持って!そしてバルセロナが一番バルセロナらしいであろう夏に!絶対にもう一回来ようと心に決めました。

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