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死にたくはないけどもう生きていたくないんだ

昨日、自殺未遂をしました。

元々うつの症状がまた不安定になってきたところで、思わぬところから大きな岩で頭をかち割られるようなことがありまして。

あまりにも衝撃的すぎて、当日はレモンサワーの素を1瓶飲み干し、吐いて少し寝た後、また朝方まで飲んで。

翌日は案の定二日酔いで夜まで死んでたから何も考えずに過ごせたんだけど、体調が戻ってからはとにかく眠くて2日ほど日中もずっと寝ていました。

頭が回らなくてぼーっとしていて、きっと自己防衛本能だったんだと思う。

それから日常生活に戻り、じわじわと心が蝕まれていく。

感情がなくなったような感覚、生きたいとか死にたいとかすらどうでもいい、ODも自傷衝動もない、笑えない、もう何もしたくない。

死んだように生きていくことが苦痛に感じた。



怒りを人にぶつけるとき、ぶつけた側はその時点がピークだからぶちまけたことに満足して感情はゆるく下降していく。

じゃあぶつけられた側は?

最初はびっくりするよね。何も言い返せないかもしれない。でも少しずつ状況を理解していくと時間が経つごとに怒りは増していく。

人に対する憎悪の感情を、100%、相手に真正銘からぶつけられる人はなかなかいない。人間には理性があるから。

でも世の中そういう人もいる。



私は昔からいつも仲良くしていた子に突然無視されることがよくあった。無視された時期は毎日、なんで?って泣いていたけど、数日経って相手の気が済んだら何もなかったかのように私のところに戻ってくる。私はそれを責めることも出来ずにいつも通りに接していた。

それは学年が変わり、進学し、相手が変わっても続いた。

私には平気で人を傷つける行動をとる相手の気持ちがわからなかった、悲しかった。でも戻ってきてくれる度に笑顔で受け入れた。

私にはその理由がずっとずっとわからなかったけど、旦那と出会ってこの話をしたときに、「もしかしたらあなたが無意識に相手を傷つけていたのかもしれないね。」と言われて、やっと気付いたんだ。

被害者ぶっていた私が気付かぬうちに加害者になっていたかもしれないことに。



話は戻るけど、先日思い切り怒りをぶつけられたとき、もちろん納得できないこともたくさんあるけど腑に落ちた部分もあった。

そうやって悪意を向けられるのは数年ぶりだったけど、やっぱり私は無自覚に人を傷つけてしまう人間なんだって。

人付き合いがあまり上手くないことは自覚していたけど、その一因は私のそういうところだったのかな。


頭の中がとっ散らかってもうよくわかんなくなって、死にたいわけじゃないけど、もう生きていたくなかった。

一発で上手くいくなんて思ってなくて失敗するだろうからまずはやってみようと思ったの。

頓服で処方されていた薬を全部飲んで、お酒とカミソリを持ち込んで、お風呂に入った。

湯船にお湯を溜めて、脚に旦那と子供達の名前をカミソリで刻んだ。切るたびに深く切れるようになっていたから、愛を込めて一生懸命切った。

そしてビニール袋を結んで繋げた輪っかを蛇口に引っ掛けて首を吊ってみた。

息が出来なくて苦しくて、何回かオエッとえづいたところで私は諦めた。

この苦しみを耐え抜けば死ねるんだってわかったから。


定期的に様子を見にきて声だけかけてくれていた旦那に、もう出るよと伝えてフラフラの体を支えてもらった。

脚の傷からは血が出続けていたから白いタオルが真っ赤になるまで抑えてくれて、髪を乾かし、着替えも手伝ってくれた。


私がこういうことをする度に旦那の心も傷ついていく。わかっているのに止められない自分が嫌いだ。だからいっそのこと死にたくなるよ。


入院した方がいいのかな。それこそ甘えなのかな。お金はかかるけど、家族のことを考えるとどんな形でも生きていてほしいんだろうなと思う。

それにいずれ私が死んでも受け入れられるように、私がいない生活に慣れてほしい気持ちもある。子供達にも。


もしもね、私が死んでも誰のせいでもないよ。弱い私が"うつ病"という病気に勝てなかっただけなの。だから、恨むなら病気を恨んでほしい。

癌で人が死ぬように、事故で人が死ぬように、昨日まで元気だった人が突然倒れて死ぬように、私も病気で死んだだけ。

そう思ってほしいな。



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