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「ぼくらは今度こそ電車に乗って海辺の街に行くだろう。」

私は、まわりの子たちよりも乳歯が生えかわるのが遅くて、小学3年生の時に、やっと前歯の横の歯がグラグラしはじめた。
そこからじっくり数年かけて、中学に上がるか上がらないかくらいの時に、すべての永久歯を揃えることができた。

まわりよりも遅れた分、自分にとって印象づよかったからなのか、小説でも、映画でも「こどもの乳歯が抜ける」というシーンがすごく好きだ。

歯が抜けるだけなのに、そこにはいろんな感情が交差する。喪失、発見、そして成長。「生えかわる」という言葉の中にある、動物的な香りも好きだ。

森見登美彦さんの小説『ペンギン・ハイウェイ』では「乳歯が抜ける」瞬間がとてもユニークに描写されている。作中では、たった数行の演出だけど、読んだ瞬間に私はこの小説が大好きになった。

『ペンギン・ハイウェイ』の物語は、主人公の「ぼく」=アオヤマくん一家が住む町に、とつぜんペンギンが出現することからはじまる。それも1匹ではなく、何匹も。

アオヤマくんは小学4年生ながら、たいへん熱心な研究家で、同時にいくつもの研究をすすめている。大忙しの小学生だ。

とつぜん現れたペンギンの研究はもちろん、町に流れる川の探索、いじわるな同級生・スズキ君の研究、そして歯科医院で働いている気になるお姉さんについての研究。毎日ノートをとって、たくさんの本を読む。

そして、ある日彼の乳歯が抜けた瞬間、ひと夏のとっても不思議でちょっぴり切ない"ひみつの研究"がはじまるのだ…。



乳歯が抜けた時のことを、覚えているだろうか。
抜けそうで抜けない、グラグラしている歯が気になって、私は舌先でずっとつついていた。いざ抜けると、今度はぽっかりと歯ぐきに空いた穴が気になってしまい、やっぱり舌先でつついてしまう。

こうして、自分の体が変わっていくことの違和感を、生まれて初めて実感していく。
それにだんだんと慣れてきて、気にならなくなった頃、気づいたら永久歯が生えている。

大人になるための準備は、あの小さなからだの中でひそかに行われているのだ。


『ペンギン・ハイウェイ』は、そういう物語だ。

きっと人は大切なこと、大好きだったもの、あの時感じた痛みすらも、いつかは忘れてしまう。
だからこそ、その時その瞬間に感じた感情一つひとつが、尊い。

喪失、発見、そして成長。
アオヤマくんが、あの夏の終わりに感じたつよい思いを、私はずっとおぼえていてあげたい、と思った。彼が大人になって、つい忘れてしまったとしても。


最後に、私がきゅ〜っと切なくなりながら読んだ文章の一部を引用する。
なぜ切なくなるのか。それは、ぜひ読んで確かめてほしい。
たくさんの人に、読んでほしい。


今日計算してみたら、ぼくは大人になるまでに三千と七百四十八日ある。一日一日、ぼくは世界について学んで、昨日の自分を上回る。どれだけえらくなるか見当もつかない。
ぼくはきっと、夜になっても眠くならず、白い永久歯をそなえた、立派な大人になるだろう。
ぼくらは今度こそ電車に乗って海辺の街に行くだろう。

(「ペンギン・ハイウェイ」森見登美彦 episode 4 ペンギン・ハイウェイ より)


この夏の読書に。
8月17日から映画にもなるらしい。

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