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#永遠が通り過ぎていく

「永遠を探す日」にて上映されるこれを観に、人で賑わう池袋を若干迷子になりながら
ミクサライブ東京に行ってきました。
これは会場に続く階段に貼られた作品の一部です。
「永遠」へ続くトンネルの様な階段を降りて会場へ。

一度だけ、女の子だけのイベントでこれを拝見したときは
ぼんやりとその美しさに見惚れていただけだったような気がします。
もう一度巡り会えた「永遠」は
「孤独の色」を深くしていました。
監督の戸田さんにそれを直接伝えられたので、お伝えすると
「まりもさんがこの映画に近づけたんじゃないかな?」
という嬉しい言葉を頂きました。
戸田さんの「孤独」という重たい荷物を、少しは分けてもらう事が出来たでしょうか。
もしそうだったら、私はそれを大事に大事に預かります。

映画は「アリアとマリア」「Blue Through」「M」の三篇。
「M」は大森靖子さんの曲のMVです。

「アリアとマリア」は何回見ても竹内ももこさんの顔が好きだな…と。
母であり、アリアに焦がれる少年の象徴であるマリア。
とてもとても弱い存在に感じられるマリア。
対局するように、そのマリアから巣立つアリア。
「あなたの育て方を間違えてしまって、ごめんね」
私もいつしか、そんなことを言われた気がしてしまった。
あれは精神の病気が発覚したころか、学校に行かなくなったころか。
何回聞いても刺さる台詞。
最後にマリアが呟く「寒いよ……」という言葉も好き。
マリアを演じた竹内さんは、心の機微をすごく求められる役柄で
大変だっただろうなぁと思います。
アリアはとても自立して、達観していて、憧れる。
眩しいな、と思います。
だけどひとりぼっちで箱庭(植物園)を去るその背中は、寂しい。

「Blue Through」は、戸田さんの好きな「クリストファー・ノーラン」氏の色が見えた気がしました。
あいの胸にガラスのチケットが刺さったところから始まる
「得られなかった愛のモノローグ」。
キャンピングカー、廃遊園地、ガラスのチケット。
全てが二人だけの世界みたいだった。
「永遠が欲しい、そうでなければ死にたい」
そう願う「あい」は、とても孤独だ。
誰だってきっと、愛されるなら永遠に愛されていたい。
しかしそれは多分叶わないんだ。
私が毎度毎度「一人の人間と生涯添い遂げるのは無理ゲー」と思っているように、永遠は一瞬で通り過ぎてしまう。
そして彼は走り去ってしまった。
そこでまた、「あい」の胸にガラスのチケットが刺さったあの瞬間に戻る。
「得られなかった愛のモノローグ」は「プロローグ」に代わる。
この表現が合っているのかは正直わからない。
でもそこで終わりは始まりになったと感じた。
循環する愛の記憶。
たまらなく息苦しかった。

Mはとても儚くて美しいMVだった。
二人の少女が寄り添い、支えあっていた記憶の記録。
教室のピアノ、段々畑を通る教習中の車、一人になれる場所、風に揺れる花。

映画館では最後にモノローグが流れるのですが
(本当はそこが一番好きなので観て欲しい)
youtubeの映像でぜひ儚さと美しさだけでも感じて欲しい。

永遠はいつだって一瞬で通り過ぎてしまうけれど
こうして記憶を手繰って、手探りで書き連ねることで
永遠の「記録」をする事が出来たらいいな。
いつかまた何処かで、また形を変えたこの映画に出会えたらいいなと思います。
もし叶うなら、戸田真琴さんには美しいものをもっともっと見せて欲しい。
あなたの目に、脳内に焼き付いた美しいものを、私に分けて貰えたら嬉しい。
またいつか、映画を撮って下さい。

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