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当たり前なんてないと愛犬は教えてくれた

今実家に帰ってきている。

電車で25分の距離だから人と比べると近い方だと思う。一緒に暮らせば節約になるのにと言われることもあるが、家族から離れて過ごすことは、多少なりとも自立への一歩だと思っている。戻ることもできるし、いつ戻るかもわからないが、今は自分の城で自分らしくを追求したいのだ。

家に帰ると、玄関から階段を登って
いつもと同じように「ただいま〜」と伝えると、「おかえり〜」と満面の笑みで迎えてくれる。
ああ、あったかいなあと思いつつ照れてしまうので顔には出さない。ダイニングテーブルには愛犬の写真がある。彼にも心のなかでただいまと呟く。

実家に帰るといつも、もうこの世界にはいない愛犬のことが恒例の話題になる。
小学校6年生で家族に迎え入れたちろという名前のチワワがいたのだ。彼はとても優しい心を持っていて私が泣いたり悲しい時には、そばにいてくれた。辛い時に何も言わずにそばに居てくれる優しさや、動物の無限の愛やあたたかさを彼から学んだ。

どれほど救われたのか、支えられたのかわからない。この世を去る時に、もっとこうしておけば良かったかとどれだけ後悔したのだろうか。
私にとっても家族にとっても彼は私たちの支えで家族の中心のような存在だった。

私は一人っ子なのだが、母が38歳の時に生まれたので高齢出産だった。なので年齢が離れている分、一緒に楽しめることが少なかったのかもしれない。私はずっと兄弟に憧れていて、いつからか誕生日プレゼントに犬を迎え入れることをお願いしていた。毎年言うものだから、両親も6年生になったらねという返事で誤魔化そうとしていたのだろう。4年生の時にもらったプレゼントはチワワのぬいぐるみだった。そのときにもしかして犬を飼う気がないからぬいぐるみなのかと子供ながらに推測して大号泣して犬をせがんだ。そうするとやはり6年生になったらねという決まり文句の返事が返ってきたことを今でも覚えている。

5年生になる前に病気が発覚して半年くらい入院していた。今となってはそこの記憶はあまりなくて、ベットの上で過ごす日々はとても退屈で早く外の世界へ飛び出したいと言う気持ちだった。
そして病気を乗り越えて迎えた6年生の5月にようやく私の念願の夢が叶った。大号泣をして、説得をして勝ち取った権利だった。

ペットショップに行ってたくさんの子たちがこちらを見ていた。なぜか惹きつけられるように愛くるしい目で見る子に足が止まり、抱っこをお願いした。片手で掌に乗るくらい小さくて、もふもふしていた。とても小さかったのできつく持ってしまったら壊れてしまうのではないかと思うくらいだった。すぐにこの子にすることを決めて、雨の日に迎え入れることになった。

彼が来てからは、家族で話すことは彼が中心になっていた。よく言い争いをしてしまうことがあったので家族の幸せな時間を彼が運んでくれたと思っている。それくらいに彼が家族になってから、穏やかで笑顔の時間が増えた。遠出したことはほんの数回しかないのだが、普段の日常にあたたかさを感じ、幸せだったのだ。
誕生日やクリスマスには専用のケーキを用意して、目を見開いて美味しそうに食べたり、トリミングにはイヤイヤと悲しい声を聞いたり、病院では急に大人しくなる。

そんな当たり前の幸せがそこにはあった。
そして2020年5月13日夜中に彼は息を引き取った。ご飯を食べなくて病院で診察をしてもらったら腎不全と診断され、たった数週間でこの世を去った。あっけないお別れだった。診断を聞いてから、他の病院にも向かって治療をお願いしたが、進行が進みすぎており、点滴や注射などの処置しか手がなかった。半日点滴をしても帰ってきた数時間だけしか元気がなかった。それを見て事の重大さに胸が苦しくなった。命を繋げるだけの処置はやめようと家族で話し合い。残りの時間を一緒に過ごそうと決めた。あまりお休みがとれる職場ではなかったのだが、最期を看取りたいという思いで2日間お休みをとった。その1日目で彼は亡くなった。私は自分の選択を今でも褒めてあげたい。あの日がなかったらきっと後悔していただろう。彼と一緒に過ごした最期の1日は一生忘れることはない。3階のベランダからみる景色が大好きで良く抱っこしながら外の景色や風を味わっていた。その日も朝彼のお気に入りのベットから外を見せてあげた。抱っこはできないくらいくたくただったのでベットを持ち上げて外を見せてあげた。そして日向ぼっこを楽しんだり、お昼寝も一緒にした。母が仕事から帰ってきたら、近くの神社に向かった。天気が良すぎるくらいだった。
彼は神社にある大きい木を眩しそうにずっと見つめていた。何かを感じ取っていたのだろうか。
その数時間後に彼は私たちの腕の中で息を引き取った。3人で号泣して、汚れていたところを綺麗に洗ってあげた。まだあたたかいと思っていたらみるみる冷たくなり硬直する体に魂がなくなるってこう言うことなんだと身をもって知った。

『当たり前はない』
彼が教えてくれたことだ。
いつどんなタイミングで私たちはどうなるかわからない。明日死ぬかもしれない。だから今を後悔なく生きたいと思っている。1日を丁寧に生きることは、少しハードルが高いように聞こえるかもしれない。ただ今日思っている感謝や言葉は伝えれるうちに、行動できるうちにしておきたい。
自分が後悔なく生きていくために。自分を苦しめないために。いつかではなくて、そう思った今がタイミングなんだと思う。
GWは実家に帰る人も多いかもしれない、照れ臭いかもしれないが、普段思っていることや感謝など伝えてみて欲しい。

いつかあの時に伝えておいて良かったと思う日が来るから。私は今日も親に感謝を伝えた。きっと側にはちろがいてくれただろう。なんとなく守られているようなあたたかいような気がする。姿は見えなくたって感じることだってあるはずだ。私は心の中に彼がいつも生きていることを知っている。今日は彼のことを書くつもりはなかったが、母と話していたらとても彼のことを書きたくなった。いつも見守ってくれてありがとう。

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