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家族という愛。

2020年最後の日。みなさまはいかがお過ごしですか?
私は一昨日より実家に戻り、のんびりした年末を謳歌しております☆^^

・・・と言いたいところなんですが、まんまと勃発しまして。

ええ。そうです。神様の試練(テスト)です。2020年最後の試練。
2021年、心理カウンセラーとして本気で頑張りたいと思っている私の心の傷を容赦なく抉って、その覚悟を試そうとしてきましたよ、っと。

◆◆◆

昨日のブログで「今日は蟹座満月の日。・・・今日は家族・・・と一緒に過ごすとより充実した時間を過ごせそうですね☆」なーんてのんきなことを言っていたまりも(Mary)

昨晩、実家で父と母、普段両親と同じ家に住んでいる叔母(兄の妹)、東京から帰省した叔父(兄の弟)と、5人で仲良く夕食を食べていたときに事件は起こりました。

数年前に亡くなった祖母の話などをしながら、みんなで懐かしく話していたはずなのに。途中まで楽しかったはずなのに!

なんと、叔父と叔母が急に声を荒げて口論を始めたのです!しかもきっかけはちょっとした話の行き違いで全然大したことではない・・・。(小声)

ここ数年来、家族のケンカなんて見たこと無かったので、久々にものすごいしんどい空気・・・。 ε-(´。`;) フー

ちなみに、まりも(Mary)をはじめ、父と母は超々平和主義者。内心「まじかよ・・・」と思いつつ、心を痛めながら3人でケンカの動向を見守ります。
  父|_・`)  母|_・`)  私|ω・`)

長兄である父が、情報を整理しながら仲裁に入るも、両者一歩も譲らず。子どものように大声で言い合う二人。多少お酒が入っていることもあり、お互いの話も噛み合わないので話せど話せど、泥沼化する一方。(やめてー)

「俺が◯◯(妹)に頼んだんから、そんな言い方するな」「お前らいい加減にしろ」と、自分が責任を負う覚悟を見せながら、終始冷静なスタンスで両者に語りかけて落ち着かせようとする父。(頑張れ、お兄ちゃん・・・。涙)
その様子を遠巻きに見守りつつ、必要あらばいつでもフォローに入れるようタイミングを伺う母と私。 母|_・´)  私|ω・´)

父の家系は雪国出身だからか、普通に話していても怒鳴るような声に聞こえるときもあります。が、今日はその言い方も、より一層激しさを増している。
そして、泣きそうな声になる叔母。(お願いだから本当もうやめてー)


そのとき、急に動悸がしてきて、私は自分の感情が抑えられない感じがしました。

・・・なんだろ、これ。

あぁ、これは「怒り」と「怖れ」の感情だ。


根本先生のお弟子になってから約一年間。自分の感情と向き合うことを練習してきた成果でしょう。感情が大きく振れたのが分かりましたが、幸い、それに飲み込まれずに自分のままでいることができました。
そして、ふと気付いたんです。
「あ。私、ずっとこの感じが嫌だったんだ。こういう気持ちになるのがずっと怖かったんだ。」って。

◆◆◆

 むかしむかし。あるところに小さなお庭のある白いお家がありました。そこには幸せそうな一つの家族が住んでいて、その白いお家は一見とても平和そうでした。外から見れば、家族みんな仲良しで、それなりに裕福で、安定している家庭のように見えたでしょう。でも、そのお家の中からは時々、激しく口論する声が聞こえてきました。
 その家に住む大人たちは、みんないつも誰かの目を気にして生きていました。自分の思いどおりにいかないと、声を荒げてぶつかり、他の誰かを責めるのです。家族のことで話し合いをしていても、いつの間にかケンカになり、誰かが誰かを責めています。怒鳴り声の聞こえない日でも、常に目に見えない緊張感がその家の中には漂っていました。
 ある日、そこに二人のおんなのこの姉妹が生まれました。二人のこどもたちは、両親にも、祖父母にも、叔父叔母にも、とてもとても大切に、そして何不自由なく育てられました。
 こどもたちも自分たちは幸せであり、十分に恵まれていることがわかっていました。そして、二人とも家族のおかげで真っ直ぐな良い子に育ちました。家族にはいつも感謝をしていました。でも、ときどき、そのお家の中の張りつめた空気を感じては、二人は居たたまれなさを感じるのでした。そして、大人たちが言い争うのを見ては、哀しい気持ちになりました。

「どうしてみんな仲良くしないの?」
「なんでお父さんとお母さんはそんなに辛そうなの?」

 いつしか二人は、なんとかして家族みんなをいつも笑顔でいられるようにしてあげたいと思うようになりました。でも、まだ何も出来ないただのこどもです。思ったように助けられるはずもありません。泣きそうな顔でうつむく母親を見つめる困った表情の父親の姿に、心配で近寄っていってみても、何が出来るわけでもありません。「お母さん、泣かないで。」そう声をかけるのが精一杯でした。
 あるときは、台所で口論をする祖母・叔母と父親・母親の姿を見ました。なんとか仲直りさせたくて、勇気を出して声をかけようとしました。でも、その声はあまりに弱くてか細く、テーブルの下に隠れてしまうくらいまだ小さいこどもたちの声は、大きな声で言い争う大人たちの耳には届きませんでした。
 そうしていつしかこどもたちは、家族を助けられない自分たちを責めるようになりました。でも、両親と家族のおかげで真っ直ぐに育ったので、人に迷惑をかけることはせず、自分たちなりの誠実さで自分の中の苦しみと必死で向き合うようになりました。
 二人は毎日、家族がいつも笑顔で居られるよう、今はまだ力のない自分たちなりに、こどもとしていっぱい喜ばせたり笑わせたりできることをしよう、心配をかけないように生きようと思いました。
 そして、いつかきっと自分たちが本当にお父さんとお母さんを心から笑わせてあげようと、二人で誓い合いました。

◆◆◆

今思えば、祖父母が健在だった時代は、昨日よりももっとひどい状況がうちの家庭にはありました。でもそれでも私と姉が大切なものを見失わずに大人になれたのは、父と母が身を挺していろんなものから守ってくれていたからだったのでしょう。あの頃、父もずいぶんしんどかったでしょうし、母も相当に我慢したのだと思います。大人になった今なら、その苦労が痛いほど分かります。
そして、一見でも平和に見える我が家。確かにどこか違和感はあったのですが、それでも両親が大変な苦労をして、なんとか幸せな家庭として創ってくれていたものだったということにも、やっと気付くことができました。本当に両親には感謝しかないです。

・・・と思うと同時に、それでもやはり私と姉は両親を、家族を救いたかった。そして、それは今でもやはりそうなのです。

おそらく1年前までの自分だったら、こんなに冷静に家族の口論の様子を観察することも、渦中にあって自分の感情を受けとめて、その理由を探ることも出来なかったと思います。さらに、自分の学びと経験を生かして、家族の心を癒やすために勇気をもって行動に移すこともできなかったことでしょう。
でも、昨日、ほんの少しだけだけど、やっと家族の力になれたと思うことができ、その分だけ自分を許せたような気がしました。
自分自身の感情を受けとめながらもその波に飲み込まれず、冷静に叔父を諭し、叔母の言葉に耳を傾け、父の大きな背中に手を当てて支え、母と肩を並べて語り合う。かつては出来なかったことを、今、大人として少しだけできるようになった。そんな自分を認めてあげたいと思いました。

来年からは守られるだけでなく、守り支える側として、もっと家族やいろんな方の力にもなりたいと改めて感じます。

◆◆◆

去年見た何かの占いで、私にとって2020年は「愛情の年」だと書いてありました。この一年、彼との関係だと思って逃げる野良猫とのチェイスを楽しみつつ頑張ってきましたが、最後の最後で「家族の愛」をこそ知る年であったことに気付かせてくるという、まさかの大どんでん返し。
マヂカ! Σ(・ω・ノ)ノ 
ご先祖様だか、仏様だか、神様だか知らないけど・・・してやられたなという感。向き合うべきはそっちだったか。


それにしても・・・
ねぇー、もぉー、神様の試練ってスパルタすぎやしませんか?笑
神様、年末にそゆことするー?!もうどうせ年変わるからって、何をしても良いとか思ってない??ねぇーーーーーーーーーー?笑
まぁ、おかげさまで確かにある意味すごい充実した一日になりましたけどね。 (・ε・。)ムー


「私はこの家族で良かったです。本当に良かった。」


今年も感謝の気持ちで新しい年を迎えられる幸せを噛みしめつつ。
来年も心理カウンセラーまりも(Mary)、頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。

それでは、また来年(数時間後に)お目にかかりましょう☆
みなさま、どうぞ良いお年を。

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