見出し画像

本気のオフ 2|2022年1月9日の日記

1時半。日記を書くぞ。


6時に寝て、目がさめたら12時すぎだった。きょうは13時から合唱の練習があったので行けたら行こうとは思っていてアラームをかけるなどの努力はしたが、起きられなかったので仕方ない。あきらめて二度寝。

なにもやる気が起きない。三連休のあいだに、荷造りとはいかないまでも不用品やごみをすこしは処分すべきだとは思っているのだけど、寝ても寝てもねむく、寝れば寝るほどだるい。なにもしていないからなにもできないのかも。あしたは晴れていたら散歩でもするか……(と書くことで実行可能性があがるはず)。


きのう寝るまえに聞いた漫画犬をあらためて聞く。今回おもしろすぎて前半のあいだじゅう笑っていた。わたしの品性はどこへ……

聞いていたら元気が出てきたので起きあがることができた。ありがとう漫画犬、毎週更新とてもうれしい。



『ワンパンマン』をきのうのつづきから読んで、最新話に追いついた。

アツいねえ。サイタマがやっと出てきたときの安心感がすごい。キングもよくやったよ……! ガロウはどうなるんだろう。敵の強さがインフレしているけど(いつものことか)、最後に出てきたでっけ~やつはなんなんだ。どうオチるのか楽しみだな。また数か月後に思い出したらつづきを読む。



オカヤイヅミ『ものするひと』1~3巻(完結)を読んだ。

これもDMMブックスのセールで買って積んでいたもの。読良漫(↓)でおすすめされているのをみて買った記憶がある。

iPadに表示された表紙を見て、1ページめをひらきながらふと気づいたのだけど、わたしはこの漫画のことをこの記事でのおすすめ以外になにひとつ知らなかった。思い返してみれば表紙の絵すらよく見ていない。さいきんは公式HPやTwitterで最初の数話を読めることが多いし、すくなくともなにかイラストのたぐいを目にすることはあって(それこそ単行本の表紙とか、Web連載ならページ上部の一枚絵みたいな)、その漫画がどんな画風かは知ったうえで興味をもつことがほとんどだ。

この漫画についてはそういうことがいっさいなくて、さっきあらためて記事を読むまでは恐山のおすすめだということも忘れていた(瀧ヶ崎さんあたりと思っていた)。そのことが逆に、最初のページをひらいた瞬間にあたらしい世界に飛びこむ感覚をあたえてくれた。友だちの部屋でなんの気なしに手にとった漫画をひらいてみたときのようなフラットな感覚。そしてそれがすばらしくよい作品だったので、まわりの空気がしんとするくらい集中して読みながら、同時にとてつもなくうれしかった。

(わたしはお金を使うときにとにかく長い時間をかけるので、今回のような出会いはあまり望めない。DMMブックスで100冊を買ったときには最終的に徹夜で調整をしたので完全に頭が煮えていて、『ものするひと』が残ったのも冊数がちょうどよくはまったからというのが理由のひとつにあげられるだろう。幸運だった。)

まず画風、絵柄がめちゃくちゃ好みだった。コマ割りひとつとっても最高。主人公の「小説家」が純文学のひとだというのも刺さったし、とにかく第1話で心をわしづかみにされた。

ちょっとぼんやりした主人公スギウラは “作家” 然としているわけではなく、とくに頭が切れるタイプでもないようにみえる。でもいつも文字やことばのことを考えていて、もはやそれが彼の本質であることがわかる。ステレオタイプな作家像にありそうな社会から切り離された印象はなく、担当編集ともよい関係を築いているし、住んでいるアパートの大家さんとのちょっとした会話にも嫌味がない。スギウラのまわりにいるひとたちはみな、おとなとしての距離感をたもちながら、それでもあたたかい。それはひとりひとりが自立しているからだろう。

ヨサノはそのなかですこしだけスパイシーな存在だ。彼女の目はいつもしっかりとひらかれていて、口調ははっきりしているがなにも否定しない。魅力的なキャラクターだ。全体をとおして好きなシーンもせりふもたくさんあるが、2巻のヨサノがとくによかった。

「いや…うーん……うまく言えないんだけど」
「おもしろいの?」
「おもしろいっていうか ……一言で言えない…のが…おもしろい」

オカヤイヅミ『ものするひと』2巻 p.159

わかるなあ……。わたしは純文学とされる作品をほんとうに数えるほどしか読んだことがないが、そのすくない経験のなかで、「はっきりとはわからないが、ここになにかある」という直感にものすごく惹かれてきた。「一言で言えないのがおもしろい」――まさにそのとおり。一言で言えるのなら小説というかたちをとる必要はない。

わたしの力量ではどうしても純文学が大衆小説・エンタメ小説や漫画、映画より「格上」とでもいうような書きかたになってしまうのが歯がゆいが、ほんとうにそうではないというのを前提として、文学だけがもつ、選びとられた言葉だけが描ける世界の広がりがある。それがスギウラのような「普通」の人から生みだされるものであるなら、わたしのみる世界ももうすこし美しくなりうるだろうと希望をいだかせてくれるような作品だった。

う~ん、むずかしいな。わたしはさいきん、ほんとうによいことは説明できないのではと感じることが多く(原宿さんの影響か)、なにかの一部分のみを語ることにどれほどの意味があるのだろうとよく考える。書き残しておかないと(誇張でなく)すぐにすべて忘れてしまうので、けっきょくは書くしかないのだけど……。

文学にしかできないことがあるのとおなじように漫画にしかできないことがあり、それはより説明しがたいものになる。まあ書評や映画評はむかしから成り立っているのだからわたしに表現力がないだけの話といえばそうなのだけど。説明する努力を尽くしてからでないと「語りえない」ということばにすら意味がない。



19時すぎにいつのまにか寝てしまい、気づいたら22時をまわっていた。おやすみが終わっていく。カプリティオチャンネルの最新動画をまた見て「ATの作問めっちゃいいよな~」などと思っていたが、このままオモコロチャンネルとカプリティオチャンネルをたれ流しているうちに時間がとけそうだったので、映画を観ることにした。

GYAOで配信されている『帝一の國』を観た。

野心が、とまらない!!!

日本一の名門・海帝高校。ここでトップ=生徒会長をつとめたものには、将来の内閣入りが確約されている。4月、新学期。大きな野心を持つ男が首席入学を果たす。新1年生・赤場帝一。彼の夢は「総理大臣になって、自分の国を作る」こと。2年後の生徒会長の座を狙って、誰よりも早く動き始める帝一。生徒会長になるためには、1年生の時にどう動くかが鍵となる。決してルートを見誤ってはならない。ライバルは、全国屈指の頭脳を持つ800人の超エリート高校生たち……ヤツらを蹴落として、勝ち残るためにはどうする!? 野望への第一歩を踏み出した帝一を待ち受けていたのは、想像を超える罠と試練! いま、命がけの「生徒会選挙」が幕を開ける!!

GYAO! 作品ページより

この見るからに「漫画原作の邦画!」という感じのポスターにこれまでまったく惹かれなかったが、お正月休みにドラマ『MIU404』を見て、菅田将暉の演技ってじつはちゃんとすごいのでは……?といまさら気づいたので観てみることに。

映画は、おもしろかった! 漫画だな~という設定とキャラクターデザインがわかりやすいし、展開のテンポもいいので見入ってしまった。帝一が目標にむかってばかみたいに一直線なのにもだんだん乗れるようになって、胸が熱くなった。終わりかたもヒュウ~だね。菅田将暉以外に名前のわかる役者さんがいなかったので(菅田将暉の父親役の顔は知っていた)、むしろ作品にノイズがなくてよかった。



映画を観終わって、1時半から日記を書きはじめていま。途中で『ものするひと』をざっと読み返したりしてしまい、書くのにめちゃくちゃ時間がかかった。毎日書くために持続可能なやりかたを考えなくてはいけない。

おやすみはあと一日でおわり。火曜日は出社なのでそのことを思い出すたびに最悪な気分になる。あしたははやく寝ないと。


・ ・ ・


家から出ていないので写真がない。トップの写真は2年前の今ごろ、近所のパン屋さんに行ったときのもの。これおいしかったな~。平日限定らしい。引っ越し前にもういちど行ってみようかな。この部屋に3年暮らしていたので、そんなお店が意外にたくさんある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?