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昼寝に目ざめる(悪くない休日)|2021年9月5日の日記

みくのしんの教え:目玉焼きは手で入れろ!

実践しています。



Discordであつまって、品田遊『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』の感想を話した。20時から3時間くらい。たのしかった~

きのう読み終わって、考えがまとまらずなにを言ったらいいのかわからないと思っていたが、いったん話しはじめるとつぎつぎに言葉が出てきて自分でも意外なくらいだった。本書は10人の登場人物がそれぞれの立場で議論する形式だから、だれの主張に共感するかなどについてほかのひとの意見を聞くのもおもしろかった。

話してみるといろいろと発見があり、まずわたしはこの本の「構成」を重くみていることがわかった。登場人物としてこの10人を配置したのはおもしろい(とくにホワイトの存在)、第13話までで反出生主義の概要についてふれたあとは「道徳」について掘り下げていて前半にはスルーされた話題もある、おそらく意図的にふれられていない領域がある、など(正確かはわからないがわたしはそう読んだ)。あとがきに「(本書は)反出生主義について考えるための補助線」とあるが、後半の論のすすめかたをみるに、今回書きたかったのは「反出生主義という主張」そのものについてであって、その正当性や妥当性ではないのだろうということがあらためてよくわかった。


あとがきにはもうひとつ大切なことが書いてある。

食い違う主張について「どちらが正しいのか」ではなく「異なる種類の “正しさ” がそれぞれどんな水準で成立しているのか」を考えることをおすすめします。

(品田遊『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』「あとがき」)

今回かなり大きな収穫だったように思うのは、イエロー(楽観主義者)の意見がよく呑みこめたことだ。わたし自身「楽観的」な言動をとることはあるが、それは「考え抜くことができない」ことの結果として生じることだととらえているふしがあった。そしてこれは端的に偏見なのだけど、楽観主義者は議論で語る言葉をもっていないように思っていた。強い主張ではないにせよイエローが自分の意見を提出したことで、楽観主義者なりの「合理」がわかったように思う。


ひとつ、通話しているなかで指摘されて「たしかに不可解だ」と思った箇所がある。【第17話 わたしという世界】の「(出生させる)罪と償い」についてだ。ここは反出生主義の主張においても重要な部分である気がするのだけど、議論が十分になされていないように感じる。落としどころもちょっと曖昧かも。話しているうちに、クンデラ『存在の耐えられない軽さ』のなかの一節を思い出した。

もし母性愛というものが犠牲という形で体現されるなら、娘に定められた役割はで、けっしてあがなうことができないものなのである。

(ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、太字は傍点)

ここでは「出生させた側/させられた側」の責と罪の関係が『ただ滅』とは転倒しているので、引くと逆にわかりづらくなるかもしれないが、現に存在することの「」は「けっしてあがなうことができない」というこちらの言いぶんのほうが適切なのではないかと直感的に思った。この世に存在させることの「取り返しのつかなさ」を「罪」と表現して、「罪」であるからには「償う」ことができる、というのは一種の言葉のあやではないか。


ほかにもいろいろと、匿名ラジオやウロマガでの恐山のほかの発言なども引きあいに出しながら話せたので、話がつうじる喜びがたくさんあったし、読んだばかりの本についてこんなにたくさん話せるのはほんとうに幸せなことだった。永井均(1冊しか読んでいないけど)の書いていることとの共通点についても話せてよかった! 永井均はこの流れであと何冊か読みたい。参考文献にあがっていたのもそうだし、先日のリモ飲みでも書名が出たし。

総じてとても充実した時間だった。品田遊のほかの著作についても話したいし、話題にあがった伊藤計劃『ハーモニー』についての感想も聞きたい。ひとと話すのはたのしいな。



午前中に起きてトーストを食べたあと、漫画犬を聞きながらiPhoneのブラウザのタブを整理した。

今回は怪談・奇談回だったからね。ちゃんと想像力をはたらかせて聞くとこわいので聞き流すことにしている。ふわっと聞くぶんには、おふたりの雰囲気の軽さもありたのしく摂取できる。


iPhoneでは場合によって3つのブラウザを使いわけている。ちょっと調べものをするときや企業の公式HPをみる程度のときは「Ecosia」、広告が表示されるページは「Brave」、フォームの入力が必要なときやほかのブラウザだと挙動に不安がある場合などはデフォルトの「Safari」を使う。

わたしはブックマークを使わないので、いったん検索だけしておいてあとでちゃんと調べようとするときとか、Webで読んでいる漫画(存在を忘れがち)とか、ウロマガの過去にさかのぼっているぶんとか、そういう雑多な情報がぜんぶタブとして開いたままになっている。先日藤原さんのnoteを読んで、そんなひともいるのか!(かまみくしか開いていない!!!)と驚いたのだが、でもたしかに開きすぎかも……と思い整理することにした。

(別件だけどPCでもブックマークを使わないので、Chromeは30くらいのタブがずっと開いたままになっている。直前に閉じたページを復元する設定にしておけば電源を切っても同じように開ける。)


おもしろかったからどこかに書いておこう……と思っていたページがふたつ、すこしリンクする部分もあったのでまとめて残しておく。

前者は新語をめちゃくちゃ採用している国語辞典について、後者は日本語の「乱れ」について。

校正を生業としている以上、語の「辞書的な用法」には敏感でいなければならない。新語の採用については辞書によってかなり方針がちがって、正直いまの時点ではこの辞書は仕事上のよりどころにはできないと感じているが、それでもこういう事例をみるのはおもしろい。

誤用・乱れについてはもっと単純な好奇心で、こうして誤りが広がり定着していく変遷をまとめたものはあまりみたことがなかったのでとても興味深かった。「逸脱」の流れなんて、最終形態だけ目にしたのでは想像するのもむずかしい。嘆かわしいととらえるのは一面的な気がして、おもしろいな~、言葉は生きているな~と思う。(それはそれとして、わたしは「正しい」日本語を使う。)


タブを整理した結果、【Safari 約60、Ecosia 約30、Brave 約10】から【Safari 19、Ecosia 6、Brave 12】まで減らせた。一部ただ移動しただけのページもあるが、あとで読もうと開いたままだった記事などもいくつか読めてよかった。



ラジオを聞きおわったあとは『未明02』の詩をすこし読んでいたが、ねむくなったので寝た。欲望に忠実。就学以来、これまでほとんど昼寝をしたことがなかったし、理解しがたい行為だとすら思っていたが、ここさいきん昼寝のよさに目ざめつつある(“寝る” のに “目ざめる” とは)。一日をぜいたくに使う勇気さえあれば、午前中に起きて活動をはじめたあとに、昼すぎから夕方までの数時間を寝てすごすのも悪くない。


あ、でも寝ているあいだにみくのしんのゲーム配信があったのは惜しかった。アーカイブみよ。


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