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あえて始めることと、あえて終わらせること。





この間、職場チームの後輩を相手に、頼まれてもいないのに、先輩風を吹かせるようなことを言ってしまった。


マジで頼まれてないのに、気づいたらビュービュー吹かせちゃってたから自分でもビックリした。悩んでるんですぅ・・・とか相談を受けたわけでもないのに、気づいたらめちゃくそに語ってたからウケた。


いや、冷静に、ウケない。自分が後輩だったら「痛ぇな、この先輩」って冷めた気持ちで聞いていたかもしれない。あの日、優しく「あぁ、でもそうかもしれないですぅ〜」って聞いてくれてた後輩には本当に感謝・・・


でも初めて口に出してみて、どこかスッキリしたというか。これまでの自分の仕事のブレイクスルーの仕方とか癖とかが、上手く言語化できたような気がする。ので、今日は最後にそのことを書こうと思う。(風を吹かせたのはこれから書く前半部分のみで、後半部分は吹かしそびれた)


あ、最後にというのは、これまで仕事に関するnoteをたくさん書いてきたけど、それも今回でおしまいにする、という意味です。仕事を辞めるわけでも、転職するわけでも、異動があったわけでもない。なので、変わらず働き続ける限り、仕事に関する想いや愚痴は、今後も生まれるはず。そういった小さなことを綴ることはあるかもしれないけど、仕事!!!!って感じのガッツリnoteは、今回で最後。そう決めました。


なんで?みたいなことは追々書くとして、今日のこの記事は卒業文集(私だけの)的に綴っていこうと思う。最初に宣言しておく。文集なので、長い。最近、どのSNSも桜の投稿ばっかで飽きたなぁって人は、ぼんやりと読んでくれたら嬉しい。ただし、長い。




先輩の風① あえて始めてみる



私は、とある民間企業で働いていて、従業員数は2500人くらい。組織図もしっかり決まっているし、入社式もばっちり行われるし、社内は既存業務で溢れかえっている。決まった仕事をこなすだけで、一日は優に過ぎる。


入社後4年くらいは、とにかく目の前のことを捌くのに必死で、何か新しいことを始めるというよりかは、与えられたことを120%の品質で返す(最短のスピードで)ことが仕事たるものだと思っていた。でもそんな日々が続いて、次第に「仕事つまんねぇな、でも今の仕事だけでもパンパンだしな」と当たり前の不満と葛藤を抱くようになっていった。


そんな時に勝手に始めたのが、私の仕事人生を変えたと言っても過言ではない、メルマガだった。


最初は同じプロジェクトの営業メンバー向けに、自分が担当していた商品の開発進捗を伝えるため(後に売ってもらうため)に始めた。いま考えればインナーマーケティングの一環だけど、当時の私はそんな横文字は知らなかった。


そして、いくら文章を書くことが好きとはいえ、構成を考えたり校正したりを含めたら、メール一本を打つのにも労力と時間がかかる。通常業務でパンパンな上にそんな取り組みを始める必要は、決してなかった。けど、始めてみた。


商品の認知を広めたいという思惑よりも、「なんか仕事つまんねぇな」という完全なる個人事情・状況を打破したいという気持ちの方が強かった。2019年の秋ごろ。社会人5年目。


どんな反応が返ってくるか読めない怖さや、見切り発車で始めてしまったのでどこへ向かっていくのか自分でも分からない怖さがあった。メルマガと言っても、ただの文字や数字を羅列したメールではなく、フリー素材のイラストをふんだんに使ったストーリー仕立てのものだったので、業務時間内にふざけたことをしている!と叱られるのではないかという恐怖もあった。


けど、それ以上に「いや、自分はこれで少し満足したし、怒られても別にいいや。通常業務は通常業務でこなしてて、疎かにしてるわけではないし。おっけ〜おっけ〜」という謎の自信があった。そこだけは、心強くいることができた。


もちろん最初は反応も少なく、メルマガを執筆している時間があるんだったら、さっさと退勤して、大好きな酒でも飲んだ方が人生幸せなんじゃないか?と思う時期もあった。言われたことだけこなして、定時で上がって、給料だけもらう。それでいいじゃん、サラリーマン。


でも徐々にいい反応が集まるようになって、私は調子に乗っていった。プロジェクト以外のメンバーも勝手に宛先にぶち込み、どんどん送信先を膨らませていった。課長、部長、本部長。全然プロジェクトと関係のない同期。


送る対象を増やすことは、プレッシャーの意味で自分の首を絞めることと同義だった。でも、配信の範囲を広めることで、表現一つ一つにこだわって書くということ(何も知らない人にも分かるように書かねばならないため)を覚えた。ライティングスキルを強制的に身につけることができた。


その後、部署異動があったので、商品担当からも外れ、メルマガも終わりを迎えた。誰に引き継ぐこともなく。


そして異動先での仕事に慣れたころ、私はまた「なんかつまんねぇなぁ、仕事は山ほどあるけど」状況に陥った。ので、これまた勝手にメルマガを打つことにした。今度は「社内の学びの共有」「働きながら学ぶこと」みたいな幅広いテーマで、自由に。


送信先はかつてと変わらず+新部署のメンバーだったのが、転送に転送が重なってグループ会社の人たちからもメーリングリストへの追加希望が届いたり、しまいにはホールディングスの社長からもリクエストを頂戴し、しれっと宛先に潜り込まさせていただいて、メルマガをぶっ放したりしていた。2020年の冬ごろ。社会人6年目。


こういった勝手な行為を続けた結果、ついには人事にも「なんか変なことを自主的にやっている社員がいる」ということが伝わり、まぁ無害だし新しい感じだし?と人事施策のメルマガに相乗りさせてもらえることになった。


人事・私、どちらの希望ということもなかったけど、人事の代表メールアドレスから配信する際、メルマガ本文を誰が書いているかは名乗らないことにした。これまで私が書いてきたメルマガ同様、イラストのキャラクターたちに会話をさせる物語調のスタイルにして、変なバイアスなしで読んでもらえるようにしたかったというのもある。2021年10月のこと。社会人7年目。


2021年は、正直、本業の方でパツパツだった。新規事業の立ち上げに携わる一方で、2週に一度の全社発信メルマガも執筆する。どう考えてもキャパオーバーだった。


けど、これは、目の前の業務量が増えているように見えて、瞬間風速的に数値が上がっているように見えて、実は精神衛生上は良かったことだったんだと今振り返る。


社会人7年目にもなれば、自らの箱をストレッチさせるにも限界があることが分かってくる。100%の箱を大きくできたとしても、せいぜい102%くらいだろう。


でもその2%の拡張をはかるよりも、100%の箱の中でどう効率的に(比率を調整して)働くか?を考える方が本質的な気がする。100%の箱の中で全てをこなそうと思うと、逆に「やらなくても良いこと」「嫌々やっていて自分を苦しめていること」に気がつくことができて、それらの仕事は理由を持って捨てることができる。健康で健全な仕事のモチベーションを維持するために、という理由で。


そんなこんなで、私は頼まれてもいない仕事をあえて始めた結果、捨てても誰も死にゃあしない仕事がたくさん存在するということや、自分が本当にときめくもの、突き動かされるものが何かということに気づくことができた。キャパオーバーを恐れて行動していなかったら得られなかった学びだったから、あの時の「なんかつまんねぇなぁ」の気持ちをそのまま放置せずに、飛び込んでみた自分を褒めてあげたい。




先輩の風② あえて終わらせてみること


そんなメルマガメルマガな私だったけど、このまま続けていくことに漠然とした不安を抱き始めたのが2022年の夏ごろ。社会人8年目。


人事の担当の方とも相談して、メルマガを不定期配信に変更させてもらうことにした。不定期といっても「まりさんが発信したいなという内容が思い浮かんだら是非書いてください、配信スケジュールを調整します」というVIP扱い。私が全社基盤を使って暴れさせてもらっていた状況下で、ワガママにも突然やめたいと言い出したのにも関わらず。本当に人事の方々には頭が上がりません。


お言葉に甘える形で、本当に発信したいなと思った時にだけお声をかけるようなスタイルに変わっていったのだけど、次第に「全社に届けたい」と思えるネタが前ほどないことに気づいていった。


んー、ちょっと違うか。


仕事をする中で、素敵な出来事や感動するシーンに立ち会うことはあっても、それをかつてのように言葉に乗せて表現したいという欲が薄れていっていた。こっちの方が表現として正しいかも。それが何故かもなんとなく分かっている。それについては、もうちょっと後で書く。


あと、このタイミングで再認識したことがあって。それは、自分で言うのもあれだけど、私は継続が得意な反面、何かから退くことが苦手だということ。


一回始めたことは、責任と愛着を持って最後まで追い続けたくなってしまう性。継続の力があること、責任感があること。それ自体は強みであり、良いことだと思ってる。でも、気持ちが乗らない中で継続の形を取り続けることは、不健全だということに気づいた。というか気づけた。


なので、またしても人事の担当の方にワガママ(引退宣言)を伝えた。私の気持ちを理解してくださり、この会社の数年間を一緒に振り返ったり、私自身の数年先までの社内キャリア、最終回のメルマガをどんな構成にするか、など色々な話をした。


そしてちょうど1週間前、先週の金曜日、私の最後のメルマガが配信された。どんな思いで『中の人』が書いていたのか、などなど。すると、最終回を惜しむ声が思いの外たくさん届いた。純粋に嬉しかった。中でも嬉しかったのは、


毎回、楽しみに拝読していました。カエルやウサギのイラストも絶妙で、こんな風に楽しく情報発信できてすごいなぁと、刺激を受けていました。こういう方が社内にいる、こういう発信ができる会社である、ということに希望を感じていました。


というもの。


私があえて始めたメルマガは、遡れば一つの商品のインナーマーケティングを目的にしたものだったけど、4年もの時と経験を経て、一つの会社のインナーコミュニケーションへと育っていっていた。この変遷の事実に、今、とてつもない達成感を感じている。やって良かった。本当に良かった。そしてこれは、あえて終わらせるという自らが設定したエンディングがなければ得られなかった感動だったとも思う。


ちょっと前に書いた「言葉に乗せて多くの人に届けたいと思う気持ちが薄れていったこと」についてここで補足すると、それは単純に、ここ半年〜1年で環境と心境に大きな変化があったから。ほんとただそれだけ。


すごく抽象的な感じになってしまうけど、この1年で、「大切なn=1の関係が何個かあれば、私の人生、それで十分だ」と思ったのです。


家族、友達、恋人。数える理由も数えない理由もないけど、パッと頭に浮かぶ人たちに、パッと頭に浮かんだことを話してシェアする。それだけで私は満たされる。それ以上やそれ以外を求めても、幸福度は上がらないし、情報過多で自分を疲れさせることになりそう。それが、私が今回あえて終わらせた理由。


そして仕事関連のnoteを最後にする理由も、まぁ複合的に色々あるのだけど、ここも私の拗れた性格が関係していて。


仕事関連のnoteを書けば書くだけ、「私はキャリアウーマン!私の人生の大半は仕事!仕事がやりがい!仕事がんばる!」という気持ちが高まってしまい(皆さんからの共感が高いテーマでもあるのでそういった反応を受けると尚更)それこそ人生という規模で見た時の私の箱100%のうち、仕事が占める割合がどんどん膨れ上がっていってしまうのです。


仕事以外にも自分を構成する要素がある中、そして今後、ライフステージが変化していく中で別の要素が強まったり新規参入してくる可能性もある中、仕事に大きな比重が置かれ続けている現状を変えたいなと。そんな感じのことを考えて、仕事noteも今回を最後とすることにしました。


まとまってるようで、まとまってなくて、相変わらずだけど、兎にも角にも。これまで私の仕事に関するnoteを楽しみに読んでくれていた人たち、コメントをくれていた人たち、ありがとうございました!


別に社会人を辞めるわけでもないし、note自体をやめるわけでもないし、年収3000万とか稼ぐようになった日にはドヤがてら仕事note復活するかもですが。


ひとまず、あざした。







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