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ダンボールとの会話

私はダンボール。

2週間前にこの家にやってきた。
私の客人は「イス」と呼ばれていた。私の役割は彼を包んでやること。
そして彼はこの家の子供部屋に迎えられ、私はその役割を終えた。
役割を終えた私はどうなるか?長く続いた同志たちの歴史を私も知っている。大体は二通りだ。
ひとつめ。カッターでそれまでの形を崩され、同志と共に束にされ、片隅に置かれる。そして暗いどこかに連れて行かれ、粉々になり、再生の時を待つ。
ふたつめ。誰かに持ち去られる。そして誰かに敷かれたり、家にされたり、とにかく風雨にさらされ、やがてぐずぐずと溶けていく。再生の時はない。

話は逸れたが、役割を終えた私はこの家の子供の「ちいさいおうち」となっていた。
私はかつての客人「イス」よりも慕われていた。子供は客人として私に包まれるのを好み、多くの時を私の中で過ごしてくれた。卑しいことかもしれないが、私は「イス」に優越感すら抱いていた。
しかし幸せは長く続かない。
「あんた、いつまでこのダンボールで遊ぶつもり?もう角がボロボロじゃない」
鋭い声が降ってきた。子供の母親だ。
「この部屋も狭いんだし、もうそろそろ捨てないと」
ちきちきちき。カッターも既に母親の手にある。行動の早い女だ。
「ダンボールさんはどうなるの?」
子供の問いに、母親はひとつめの運命を語った。そうなると良いが。ふたつめにならない保証はない。
子供は寂しげに私を見る。
「捨てるかどうか、早く決めて」
この女からしてみれば、選択肢は一つだけなのだろう。
「ダンボールさんに訊いてもいい?」
子供の言葉に母親は怯んだ。私も驚いた。
「……わかった」
意外にも柔軟なようだ。母親は私と子供を二人きりにしてくれた。
子供は私に手をあて、私の声を聞こうとしている。
良いのだ、子供よ。私は君との時を充分に楽しんだ。役割だって充分に果たしている。次の運命を待つのみだ。聞こえるかね?
「……うん!」
何ということだ。この子供は私の言葉がわかるのか。

部屋のドアが開き、母親が入ってきた。
「ダンボールさんは、何て?」
「まだここにいたいって」
いや、違う。それは違うぞ。私はそんなことは言ってない。やはり私の言葉は理解されないのか。二度目の驚きと心地よい失望が同時に広がる。
「あらそう。じゃ、仕方ないわね」
母親も私も、この子供の決定を受け入れた。

そして私はしばらくの間、また「ちいさいおうち」を続けることになった。子供との会話は相変わらず成立しない。まあ、いいだろう。

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