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16.本が読めなくなった人のための読書論

Twitterでみかけたこの本。本が読めなくなった人のために、本を読むとはどういうことかを優しい言葉で、丁寧に伝えてくれる読書論です。

本ね、読めなくなってるのよ。これ、本だけじゃなくてアニメも漫画もドラマも映画も!!!全部!!全部観れなく、読めなくなってきていて。26ぐらいから。確かそのぐらいを境に二次創作や絵を描くことが全く出来なくなってきたんだよね。寂しかったし、オタクが私のアイデンティティだったから、それが無くなっていくのが怖かった。

この本の中では、読書を旅に例えて決まったスケジュールで訪れるの旅行は次第に楽しみを感じなくなっていくのは当たり前という。


 本が読めなくなった、というのは、決まりきった名所見物のような「正しい」読書という旅にはもう、喜びを感じられなくなったということです  


これ、マーカー引きたくなりましたね。なんならKindleで引いたね。ライン。

ここで書かれている『正しい』読書とは違うかもしれないけど、私いままで漫画や小説やアニメすべてキャラ萌で読んでいたんですよね。二次創作ありきというか。だから、どんなに話が難しくてもキャラが好きなら読み進めていたし、漫画も二次創作ありきで読んでいた。もちろん公式の男女カプも好きだったときはあったけど、少年漫画はやっぱり男×男が好きだった。公式で最終回バタバタとみんな女キャラと結婚していくのもショックだった。お通夜状態だった。
キャラ萌で作品を読んでいたから、キャラが死んだら1年立ち直れなかった。
ドラマを観ていたら、そのキャラの生い立ち、出身地まで考えてその行動理由に思いを馳せたりしていた。


これ、学生時代、社会人始めなら全然苦痛じゃなかったんだけど、年数があがるにつれ仕事の責任は増えていき、職場にも慣れたら同僚と毎週飲みに行き、27〜29で初めて男女混合の仲良しグループみたいなのに入り(合コン以外で男性と友達感覚で飲むのが初めてのオタク!)楽しくて楽しくて、そうしたらキャラ萌して作品にどっぷり浸かるのがしんどくなってきたんですよね。

この時期、オタク卒業みたいで辛かった。飲み歩いてるくせに何言ってんだって思うけど、楽しかったけど本が読めなくなっていることに不安も覚えていた。仕事のせいだと思っていた。仕事が辛いから、本が読めないんだと。


いざ仕事を辞めて、夜勤もなくなり少し落ち着いた感覚で仕事を再開したので本読むぞー!漫画読むぞー!と意気込んではみたけど、意外と読めていなかった2020年。noteにも読んだり観たやつは感想書いていたけど多分全部合わせても40ぐらい。
100ぐらいは読まなきゃ!!って今年の目標立てた矢先に、がっつり

 どんなに速く、多く読んだとしても、そこにたしかな手応えがなければむなしいのではないでしょうか。
 読書において、養っていかなくてはならないのは、「たしかな」感覚です


本の数を、アニメを、漫画を読んだ『数』を増やすことが目的になっていたなーって反省。いいんだよね、多くを読むことがすごいことじゃないよね。本当泣けてきてしまった。
ここ最近、漫画に感動できなくなった36歳腐女子の漫画エッセイとか、本が読めなくなった増田とか目にすることが多くても焦っていたんだよね。

あと、前みたくキャラ萌できなくなっていることにも焦りがあった。オタクは二次創作こそが原動力!隙間を考えなきゃ!って思っていたけど、最近はそのエネルギーはなくストーリーを楽しむことが多かったけど、それでいいんだよなーー。全然おかしなことじゃないのに。キャラ萌しなきゃっていう、オタクの呪いが読書を遠ざけてたんだろうな。

去年から読書(エンタメみること全て含む)再開したけど、そういう読み方でまた本と触れ合うことが出来る様になったんだから大事にしよう。昔の読み方、あれってひとりだから出来てたんだよな。ひとりだったから、物語の世界に没頭できた。あのとき、私は社会にコミット出来ていなかった。いつだって、うまく社会に溶け込めない感覚があったし、地面から5センチぐらい浮いてる感じがあった。私と世間に一枚薄い膜が張っている感じ。
その寂しさを救ってくれたのは物語にのめり込むことだったんだよな。

社会人後半になって、人との距離感や接し方を覚えてようやく地に足が着く感覚をもった。ひとりじゃなくなったから、とことん物語に没頭することが出来なくなったのは当たり前だったんだな。
いま、地に足ついてしまったから、今度は本と適切な距離を学ぶ必要があったんだよな。


はーーー、ありがとう。本当に良い本だった。


こういう経験があるから本を読むのをやめられないね。

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