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私は何で出来て何で動いているのか

幼い頃から天体と星に異常な興味を示していた私は、星座の物語の本や星と宇宙についての図鑑をボロボロになるまで飽きもせずに読み込んでいたらしい。

しかしどういったわけか極めて文化的脳でもあった私は、ゆくゆく音楽科で9年も学ぶことになり、その後芸能界で働くことになり、現在よくわからない地点にたゆたっている。
天文学者や物理学者になったわけではなかった。

それでも根源というのはどこかでしっかり張り巡らされているものなのか、何周かしたら宇宙や天体の話が私のところに戻ってきたなと感じているのがここ数年である。

私が大人になってから宇宙に興味を持ち始めた大きなきっかけは、人間の存在と生と死について考え始めたことだった。

人間、私は今生きている。
これはおそらく間違いないだろう。
人間、私はそのうち死ぬ。
これも間違っていないはずだ。

では今生きている私と、そのうち死んでしまうその後の私には、どのような変化があるのだろう。
今生きている私には意識があり、思考があり、漠然というならば心がある。
肉体は燃えて骨になる。では心という物理的に目に見えないものも一緒に燃えるのだろうか。そもそも物理的に存在するかわからないものは、燃焼から消失という変化を起こせるのだろうか。

そんなことをモヤモヤと考えているうちに、「私は一体何から構成されているのだろう」という疑問が湧き起こり、結果的に宇宙にたどり着いたのだ。

私たちの人体を構成しているものは、宇宙の構成要素の一つであることを知った時、なかなかの衝撃を受けていた。
よく考えれば当然のことなのだが、それまで深く考えたことがなかったのである。
料理は材料から産み出される。
私たちの材料は、そもそもどこから来たのだろうと考えてみれば、宇宙と銀河の出現に行き着くのは必然だった。

以来、数字が苦手で文字列の暗記に能力を発揮した文系脳の私(大学の二次試験を私が国語ではなく数学で受験したというのは大学受験の数学科目で点数を稼ぐには暗記が重要であることの証明でもあったのだが本質的な数学は得意ではない私)にも理解しやすそうな量子力学や素粒子の本を読んでいるのだが、今回また新たに分かりやすく面白い本に出会った。

『宇宙を動かしているものは何か』(光文社新書)
天文学が専門の谷口義明さんが2022年に出版した本だ。


この本ではタイトルの通り、宇宙に存在する4つの力について解説している。
重力・電磁気力・強い力・弱い力
この4つの力だ。
この話はインターネット検索をすれば、さまざまなページがすぐに表示されるような、量子力学分野ではよく知られた話なのだが、この本では知識ゼロの状態からでも宇宙がどのようなもので動かされ、始まり、今に至っており、何がまだ未知で、どんな可能性を秘めているのかをイメージしながら理解を進めることができる。

宇宙の始まりの話で頻出するビック・バンの元々の名前の由来は大爆発じゃないという話も興味深く、とんでもない量の火薬爆破のようなものに凝り固まったイメージを修正することもできたし、何よりも素粒子の周りにあるものの話は、今一度、物や私の存在について考えさせられるものだった。

3つの素粒子、クオークがある核子の中の話。

私たちの体は原子が集まってできていて、びっしりと物が詰まっているように感じる。しかし、そうではない。私たちの体は、実はスカスカだったのである。

『宇宙を動かしているものは何か』(光文社)谷口義明 p.106

そうだったのか。
この「スカスカ」なところが何なのかはおそらく未だ解明されていないのだろうし、将来実は「スカスカ」じゃなくて何かがあって「ホワホワ」でした、みたいな話になるかもしれないが、今のところは「スカスカ」と理解して差し支えないのだろう。
突然自分がヘチマたわしになったような気分である。
今日も私はスカスカで、そのスカスカの部分をよくわからない何かが通り抜けたりしているのかもしれない。

この本では未知のものとして有名なダークマターやダークエネルギーについても触れられている。この言葉は日本語にすると暗黒物質や暗黒エネルギーなどとされているのだが、

ダークという言葉は「暗黒」で置き換えられることが多いが、それは適切ではない。英語のダークには「わからない」という意味がある。実はダークマターとダークエネルギーのダークは、この「わからない」という意味を込めてつけられたものだ。確かにわからないのだから、しょうがない。

『宇宙を動かしているものは何か』(光文社)谷口義明 p.226

というわけで、何がどうして「暗黒」という翻訳にしてしまったのだろうかとこれを読んでいて思うのであった。「未知物質」とか「不可知物質」とかもはや「謎物質」でもよかったのではないか。しかし翻訳されて流布されて通常使用されたこの言葉が変わることは難しいだろう。ビック・バンはそもそも戦隊モノの採石場とかブルース・ウィルスのダイハードみたいな大爆発イメージは一旦やめておいた方が良さそう(もちろん突如急速に拡大が始まって今も拡大し続けているのが宇宙なのだろうけれども)だし、ダークマターやダークエネルギーはダース・ベイダー的などす黒い何かなわけでもない、とだけ頭の片隅に置いておく。

驚くべきことに、私たちに見える宇宙の成分はたった5パーセントでしかない。残りの95パーセントは見えないのである。ダークマターが26.5パーセント、そしてダークエネルギーが68.5パーセントを占めている。いずれも、現状では正体不明である。

『宇宙を動かしているものは何か』(光文社)谷口義明 pp.225-226

このダークなところにあるのは未だ観測できていないだけの素粒子である説が有力なようだが、今のことろは見えないという話である。

ここで「スカスカ」のことを思い出した。

私たちは宇宙から構成されている。
私たちは「スカスカ」らしい。
宇宙の95%は未だ見えない何からしい。

つまり、もしかして、私たちはほとんどダークマターで構成されているのかもしれないのだろうか。

誤解を産む日本語訳のまま突っ走れば、つまり腹黒真っ黒である。
面白い。

私が死んで、燃えて、骨になった時、肉のところにあった素粒子は変化するなりどっかに行くなりするとして、「スカスカ」はその場に残っているのだろうか。そもそもダークマターかもしれない「スカスカ」はその場に残るも何も、私がいようといまいと、もともとそこにありましたけれど何か問題でも、というような物かもしれない。

そう考えていくと私という存在が極めて脆く不確実なものに思えてくる。
なにしろみっちり詰まっていると勘違いしているだけで、実際はほぼ「スカスカ」なのである。

「スカスカ」な私が「スカスカ」な椅子に座って「スカスカ」な建物にいて「スカスカ」な食料を毎日摂取して今は「スカスカ」なコーヒーを飲みながら「スカスカ」な液晶を目の前に「スカスカ」な手で「スカスカ」なキーボードを叩いている。

困ったな。スースーする。

北見ハッカが鼻の下に着いたかと思うくらい、シャーっとスースーで風ビュービューなのである。

私はいつの日か、これらのことを自分なりに落とし込んで、
結果として生と死にまつわる執着から離れることができるのだろうか。

物理学としての宇宙に強い興味があると同時に、私はいつも、私の心を氾濫させる生死につきまとう荒波と正面から向き合い、私だけの答えを出したいと願っている。

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