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自給自足のヘチマたわしを目指して



私の好きな量り売りの雑貨・食品店の店主は、「自給自足の練習」をしているのだと言います。練習するからにはもちろん最終目標は自給自足生活な訳ですが、私はこの「自給自足の練習」という言葉がとても気に入ってしまい、以来何度も心の中に浮かんでくるフレーズとなっています。

大原篇理さんの『年収90万円でハッピーライフ』(ちくま文庫)や『思い立ったら隠居 週休5日の快適生活』(ちくま文庫)、マーク・ボイルさんの『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊国屋書店・吉田奈緒子翻訳)などを読んだこともあり、そもそも社会に消費されずに消費しない生き方というものに興味はあったのですが、いざ実践となると難しすぎるような気もしていたのです。
そこに来て「自給自足の練習」です。練習なのだから全部完璧にできなくたっていいし、失敗したって大丈夫。今からすぐにでも始めてみようと思える気軽さがこのフレーズにはあったのです。背中をトンと押してくれる魔法のフレーズでした。


店主曰く、「自給自足の練習」はいざという時に慌てないためでもあるそうです。大きな災害が発生してライフラインが滞っても、自力である程度何かを作り出せたり、手元にあるもので間に合わせることができる自信があれば、心にゆとりが生まれ、慌てずに済みます。
私たちはこれまでに住んでいるエリアによっては大きな地震や水害、台風被害なども実際に経験して来たわけですし、ニュースなどで同じ時代の同じ国内の話としてそれを見聞きしてきたわけですが、やはり平穏な時期になるとどこか遠くの話であったかのように忘れ去り、いざという時の準備をつい怠りがちなものです。何かのきっかけで断水したり停電したりするのは、何百年かに一度のような超特殊事態では無いと知っているはずなのに。


「自給自足の練習」という言葉に勇気をもらい、今年挑戦しているのがヘチマの栽培。我が家ではあらゆるスポンジを順次ヘチマたわしに切り替えており、食器を洗うにもシンクや鏡周りの掃除にもヘチマたわしが活躍しています。

ヘチマたわしを使っている理由はいくつかあるのですが、その一つがスポンジの自給自足の可能性でした。乾燥してスポンジに使えるようになったカラカラのヘチマの中にはたくさんの種子が入っています。たわしとしてヘチマを使い、1本のヘチマからたくさん採れる種を蒔き、そして収穫。また種ができてそれを蒔き、と年々繰り返すと私の脳内計算だけで言えばどんどんヘチマが増殖するはずなのです。ヘチマの生産は家庭内エンドレスループとなり、つまり一生スポンジを買わなくても良くなるはず。そこに思い至った時のニヤリ感はなかなかたまらないもので、もうこれは全力でヘチマを育てるしかないと息巻いたのでした。

しかし今年の春はなかなか気温が上がらなかったためか、いつまで待ってもヘチマが発芽しない。同時に種を蒔いた朝顔やバジルやパクチーはジャンジャン芽が出てくるのに、ヘチマのエリアはうんともすんとも言わない。もう不安は募るばかりで、ヘチマが出てこなければ意味がないんだと毎日茶色の土を眺めながらのたうちまわり、せっせと水を与え続けていたのですが、先月昼間に汗ばむような気候になり、ようやく発芽し始めました。

順調に双葉が出てきて、本葉がで始めたのを見て、すでにヘチマたわしを獲得したかの妄想に取り憑かれながら毎日ニヤリニヤリとしている今日この頃。いやいや、実際に夏に実ができて秋に枯れて自家製のヘチマたわしと種を手にするまでは気が抜けませんぞ。
店主のお陰で軽やかに「自給自足の練習」の一歩を踏み出せたわけですが、どうなることやら。自給自足の森はまだまだ深そうです。

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