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雨の休日

広い窓から遠くに小さな山並みが見える家に引っ越して
つくづく私は寒い日の雨が大好きなのだと
昨夜から続く雨を見ながら心地よさを噛み締めている。

もちろんそんな日に出かけなければならない場合は
私とて多少の面倒は感じないわけでもない。
持ち物や服も濡れやすくなるのは、残念な気持ちになる。
何よりも道ゆく人々の大半が憂鬱な気分を撒き散らしているのが辛い。
ドロドロとした重苦しい集団の空気の中を
息を詰めるようにして足早に通り過ぎる。

買い物に出ようと計画していたのも
延期にして予定が狂ったななどと、
思おうとすれば思えなくもないのだが、
雨にまつわる嫌なことの理屈を捻り出す前に
兎にも角にも雨の降る様子と音を体に浴びている時の
幸福感たるや、他のことは一切忘れさせてくれるように感じられる。

雨足が強まるにつれて
山の小さな谷間から白いもやが立ち上る。
風が吹けば雨は一斉に斜めの線を描き始め
轟々と木々を揺らしながら走り抜ける。

小さい頃から水に触れてさえいれば
延々とご機嫌で遊び続けられる子供だったそうだ。
お風呂場で大小様々な器に水を入れて
右から左へ、左から右へと
ただ水を移し替えるだけの遊びを何時間でもしている。
母親はそれを見て私の脳の発達に不安を覚えたそうなのだが
私はそんな遊びをしていたことすら忘れたままだった。

世界遺産に指定される前の白神山地の山近くで
川に足をつけていた時の心地よさ、
裏山を流れる川のせせらぎの美しさ、
見飽きることのない滝の流れ、
心が一瞬で穏やかになる湖の水面と木漏れ日、

私が小さい頃に素直に感じていた
理屈抜きで幸せである瞬間には
いつも水が不可欠だった。

どうして今まで、そんなにも大切なことを
どこかに置き忘れてしまっていたんだろう。

学校に通って
良い点数を獲得することに必死になって、
良い学校にいくことにしがみついて、
良い子でいることが正解だと思い込まされていた。

この世にはもっと大切な
今生きていることの根幹に関わる
濃い要素があるのに。

アンデシュ・ハンセン著の『スマホ脳』や
グレッグ・マキューン著の『エフォートレス思考』を
最近偶然にも立て続けてに図書館で借りて読んでいたのだが
無限の可能性を秘めている脳にも実は実質稼働としては限界があり、
その脳の限界量というのは
実はあまり多くはないと理解したことを思い出した。

優先順位を間違うと
とんでもない方向に流れ着いてしまう。

水に対してもっともっと
喜びと感謝を感じる心と
自分の在り方を取り戻していきたい。




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