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📖『党䜓䞻矩の克服』📖

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博

この本を1冊読むだけで、他にも読んでみたい本や知りたいこず、調べおみたいこずが山ほど出おきた。

マルクス・ガブリ゚ル(Markus Gabriel)ず䞭島隆博ずいう二人の哲孊者による二日間に枡る察談からできた本だ。

タむトルにある「党䜓䞻矩」ずは䞀䜓どんなこずを指すのか。
そしおそれはこの瀟䌚にずっおどんな圹割を担うものなのか。
歎史を参照しながら、珟圚は実際どうなっおいるず二人の哲孊者は考えおいるのか。

読み進めおいるうちに、「党䜓䞻矩」ずいうのは倧きな囜家単䜍だけではなく、小さなコミュニティヌ単䜍でも容易に発生しうるものなのではないか、ずいう気がしおきた。
家族単䜍、䌚瀟単䜍、地域単䜍など。ある特定の「党䜓」に浞透する考え方や垞識、それは「蔓延しおいる」ずネガティブな単語で衚珟できそうなものもあるかもしれないが、人々は摩擊を避け、忖床しながらそのなんずなく共通認識ずしお出来䞊がっおしたった「党䜓」からはみ出さないようにしお生きおいる。はみ出すず目立぀。目立぀こずは生存を脅かすこずになる。それが「党䜓䞻矩」の䞀芁玠かもしれないず感じた。

もしもそうなっおしたったら、人はだんだんず自分自身の本心からの考えを持ちづらくなるだろう。最初のうちこそ、なんか違うな、ず思っおいたずしおも、それを倖に向けお発するこずはなく、飲み蟌んでしたう。なんずなく、他の人たちず違う意芋がダメなこずのような気がしおしたい、安易に安党を享受できる方ぞず進んでしたう。そうしおいるうちに、考えるこずができなくなり、考えないこずが圓たり前になり、だんだんず自分が「党䜓」になっおいく。䞊手に忖床しお、立ち回り、受け流しおいるだけだず思っおいたのに、い぀の間にか、自分自身が「党䜓」に取り蟌たれおしたっおいるわけだ。

マルクス・ガブリ゚ルさんは「党䜓䞻矩」ぞの譊鐘ず議論を、この本の察談の䞭でこのように展開しおいる。

前略 ヌ ポピュリズムずいう抂念を持ち出すのは、珟代瀟䌚を蚺断する賢い手法ではありたせん。それでは、珟圚の瀟䌚状況をうたく説明できないのです。では、珟圚起きおいる問題の栞心にあるものずは、䜕なのか。
 私がたず提瀺しおみたいのは、公的な領域ず私的な領域の区別の砎壊です。そしお、その背景にあるあらたな圢の党䜓䞻矩に珟代瀟䌚が脅かされおいるのではないか、ず考えおいるのです。

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博 p.31


前略 ヌ 近代ずは、グロヌバルに生じたプロセスですが䞖界にはさたざたな耇数の近代がありたす。䞭略
 しかし、それぞれに異なる耇数の近代にも共通しおいるこずがありたす。それは、私的な領域ず公的な領域の間に明確な境界線を匕いたずいうこずです。
 そうした境界線を砎壊するのが、党䜓䞻矩です。党䜓䞻矩では、あらゆる私的なものが、公的なものになりかわっおいきたす。あなたの頭のなかでさえも。

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博 pp.33-34


前略 ヌ 今、進行しおいる党䜓䞻矩の栞心は、デゞタル化です。わたしたちのテクノロゞヌが「超垝囜」なんです。぀たり技術そのものずそれを操る゜フトりェア䌁業矀が、党䜓䞻矩的な超垝囜を圢䜜っおいるのです。
 䞭略
 珟代では人々は自宅にいながら、公的な領域にいたす。人々は自分のやっおいるこずを写真に撮り、その写真をオンラむンで公開したす。埌略

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博 p.35


お二人はデゞタル化がよくないず蚀っおいるわけではない。最も問題なのは、これらのこずに倚くの人がきちんず気が぀いお向き合っおいないこずだず述べおいる。
い぀の時代も「党䜓䞻矩」は知らず知らずのうちに人々の日垞に䟵食しおきお、気が぀いた時にはすっかり「党䜓䞻矩」に取り蟌たれおしたっおいる。
デゞタル化がそれを今、着々ず進行しおいるのではないか、ずいうこずなのだ。

思うに珟代の人間は「仕組み化からの自動化」が倧奜きである。
お金を生み出す仕組みを䜜ったら、あずは自動的にお金が手元にやっおくる。もしくはお金が増える仕組みを構築したら、あずは時間ず共にお金が増えおいくなど。
お金だけではない。スむッチ䞀぀で倧䜓の䜜業を完結しおくれる党自動の家電。日が暮れたら自動で電気が぀くもの。蚪問者がきたら自動でお知らせを倖出先にも転送しおくれるシステム。車の自動運転の開発もかなり進んでいる。そのうち、0歳で生たれたら、あずは死ぬたでボタンひず぀で色々自動再生で枈たせられるなんおこずになりかねない勢いだ。

新しい「党䜓䞻矩」は新しい技術を䜿っお、誰かに匷制されおいるず人々に感じさせないように泚意深く䜜られ、そしおたんたず「自動化」に成功しお進行しおいるずいうわけだ。

私たちはこの数十幎で、自らの力で考えない人間ぞず仕立お䞊げられおしたったのだろうか。

新しい圢で「公的な領域ず私的な領域を砎壊する」珟代のシステムに、どういう察応をしおいくべきなのか、私の䞭ではただ明確な答えがないけれど、垞に心の端に留めおおくべき事実だずいうのは間違いなさそうだ。

たた第6章「倫理的消費が資本䞻矩を倉える」では消費に自芚的かどうかから芋えおくる問題も取り䞊げられおいる。

マルクス・ガブリ゚ルさんはこう述べおいる。

前略 ヌ 東京でビックマックを食べるこずも、アブダビで食べるこずも同じ䜓隓ですから、人々は消費のプロセスに気づくこずはありたせん。
 わたしは、こういう無自芚な消費は非倫理的な消費だず考えおいたす。぀たり、消費が倫理的かどうかの基準は、その消費に自芚的かどうかなのです。

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博 p.193


「倫理的な消費」ずいう意味の話は、ここ数幎で色々な堎面で出䌚うようになった。
わかりやすいのはフェアトレヌド商品や、慈善事業に寄付ができる仕組みがある商品、゚コの認蚌が぀いた商品を買うこずで地球や人々に優しくなれたすよず謳っおいるものなどだ。しかしこの本では、もっず根本的な「倫理的な消費」に぀いお議論されおいる。

さらにこの話の流れの䞭で、䞭島さんはこう述べおいる。

前略 ヌ 近代䞭囜文孊の父ず呌ばれる魯迅は、消費ずいう抂念にきわめお意識的でした。圌は近代䞭囜を飲み蟌もうずしおいる非倫理的な消費に察抗するために、花のむメゞを䜿ったのです䞞尟垞喜『魯迅ヌ花のため腐草ずなる』集英瀟、䞀九八五幎。
 さらに圌は、文孊のなかでの倫理的な消費に぀いお考えようずしたした。圌は速やかに朜ちるこずを䞻匵したした。埌に名声を残したりする、たさに資本䞻矩的な運動から匕き䞋がろうずしたのです。䞭略
 その意味で、速やかに朜ちるこずは、資本䞻矩システムに察する批刀に関䞎するこずなのです。埌略

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博 pp.195-196

なんずいうこずだ。魯迅ずいえば囜語の授業でちらっず觊れ、文孊史の数問に出おくる可胜性があるので正しい挢字を曞けるように暗蚘する、ずいう高校ず倧孊受隓で良い点数を取るためのテクニックの状態のたたで止たっおいた私は、今こそ魯迅を知らねばならないず思った。速やかに颚に舞うチリのようにっお消えたいず願っおいる私の考えにずおも䌌たような匂いを感じる。

たた䞭島さんが研究する「人の資本䞻矩」ずいうものもずおも興味深い。
消費に぀いお考えおいく䞭で「瀌」ずいう抂念に話が進んだ時、䞭島さんは次のように述べおいる。

瀌ずしおの消費は、人々が出䌚いながら、そこで起きる蚈算を超えた偶然的な出来事を歓埅するものでなければなりたせん。

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博 p.202


そういうこずだったのか。私はここ数日前たで、私自身ず食べるこずずの関係性や、私が食の䜕に察しおストレスを感じおいるのかずいうこず、そしおどこに解決の糞口があるのかを芋぀けたいず思い、自問するために断食しおいたのだが、この䞭島さんの瀌の話は私が考えおきた食の話にすっかり眮き換えるこずが可胜だった。「瀌ずしおの消費は」の郚分を「食べるこずは」に眮き換えおみる。「食べるこずは、人々が出䌚いながら、そこで起きる蚈算を超えた偶然的な出来事を歓埅するもの」。なんず蚀うこずだ。たさにそれである。

私が感じおいた「食べるこず」ぞのストレス、そしお「食べるこずずは、私にずっお䜕なのか」を考えおいたこずは、぀たりは「消費」に぀いお考えおいたずも蚀えるのだ。
食材を消費し、お金を消費し、自分の時間ず䜓力を消費する。決しお「倫理的な消費」ずはいえない状態、぀たり無自芚に消費しおいた状態だったからこそ、違和感を芚え、私が圚りたい状態はそうじゃないのにずゞレンマを感じ、䞀䜓どうしたらいいのだず困り果おおいたのだ。

この本の䞭で議論されおいるのは、新しい資本䞻矩に向かうこずに぀いおず、その方法などなのだが、たさかの偶然にもここで、私が最近悩んでいたこずぞの答えが提瀺されおいた。資本䞻矩ずいうのは、私たちの日垞にすっかりどっぷり隅から隅たで染み枡っおいるのかもしれない。ずいうこずは極端に考えおみるならば、倧抵の悩みは資本䞻矩の問題を参照するず解決するかもしれない、ずいう話なような気もしおきた。
ずっず気になっおいる資本䞻矩経枈。山奥にこもっお自絊自足をしお資本䞻矩経枈なんお知らんぞず息巻いお暮らしたいわけではないのだが、やっぱりどうしおも、恩恵を受けお芁るはずなのに息苊しさも感じおしたう。それはおそらく、私自身がきちんず資本䞻矩を知らないが故なのだろう。

読めば読むほど孊びたいこずは増え、知れば知るほどその先も知りたいず思う。
果おしない。

この本はここには曞ききれないほどの孊びをもたらしおくれるものだった。
察談本なので、難しいず思われがちな哲孊の話も、比范的読みやすく、私たちの日垞に照らしながら自分に぀いおも考えるきっかけになる䞀冊だ。タむトルに臆するこずなく、ぜひ気軜に読んで欲しい。

䞭島隆博さんの本はこれたで読んだこずがなかったが、この察談を読んでずおも興味が湧いた。ご本人が述べるに

わたしの本は難しすぎおすぐに消費しにくいずよく非難されたす。

『党䜓䞻矩の克服』マルクス・ガブリ゚ル䞭島隆博 p.192

ずたで蚀うのだがらおそらく哲孊の専門家ではない私には䞀筋瞄ではいかないものなのだろうけれど、読んでみたい。


この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか