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誕生日に、母想う

先日、母の誕生日だったせいか母の事を書きたくなった。

東京生まれの東京育ち、高校時代はバレーボールに明け暮れ、
卒業後、勤め先で出会った父と結婚し、1男1女を儲ける。
パン屋と耳鼻科の受付のパートをそれぞれ10年。
その他は専業主婦として家庭を守りで77歳でこの世を去った。


まとめたら4行で終わる母の人生は、
私にとっては誰も真似できないかけがえのない人生だった。

一言でいえば、女スナフキンみたいな人だ。
どこかつかみどころなく、漂っているような雰囲気がありつつ、
本家スナフキンよりは、俗に塗れていたところが女っぽい感じがしていた。
家具の組み立てや配線が得意で、絵と工芸が好きで、常に歌っていた。

母とは40年くらいの付き合いしかなかったので、
亡くなってから、その姿が立体的になった気がする。
人の輪の中の隅にいても、存在感は消さず、人の邪魔をしない人だった。
人や場に執着しない、というのも特徴的で
幼い頃から、自分のことは自分で決める意思決定の人だったらしい。


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母からはよく「自分で決めて偉いね」と言われていた。
それが嬉しくもあり、プレッシャーで相談下手にもなってしまった。
たまに私が料理すると「まりの方が上手い」と言いながら、
母の味なんてひとつも教わらないまま逝ってしまった。
母が作る独特の味わいの人参とゼンマイと油揚げの煮物と肉団子は
もう食べられない。
兄も私も偏食で、嫌いな物は一切口にせず育ち大人になって苦労したが、
実は母も偏食で、嫌いな物が多かったと亡くなってから母の姉妹に聞き、
よくも子どもたちに勘繰られず隠し通したものだ。

幼い頃の病気が原因で子どもが産めないとわかった時も、
父が亡くなり、あれこれと悔いては気持ちを切り替えられずにいた時も、
私が辛い時には、慰めるでもなくただ私が立ち直るのを待っていた。
そこに心配はかけらもなく、ただ信じているという強さだけがあった。


いつからだろう、母のようになりたいと思うようになったのは。
ある時まで、母のように家族のためだけに生きている人生は嫌だと、
生意気なこと思っていたのに。

今はまだまだまだまだ、母のようになれずにいる。
もう、一生そんな風になれないのかもしれない。


人や場に執着せず、ただ信じることが出来る人間になりたい。
母が私に与えてくれた優しさを、人に与えられるように、
私はなれるのだろうか。


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日常ではさほどあなたを思い出さなくなっているけど、
誕生日の前後には、強烈に思い出すから許してほしい。
そして、これからも私を信じていてください。



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