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ずっと誰かの期待にこたえてきた、長男長女のあなたへ。

子どもたちが保育園に入学してから、保育園・幼稚園の役員、小学校のPTA、習い事の担当、地域の班長など「誰かの母親が無償で、何かの役割を引き受ける」機会に遭遇することが増えてきました。

こういうの、なんで母親だけがやるんだろう。ジェンダー的にもちょっとな〜と気になる一方、「皆に回ってくるんだし」と、今まで何回か引き受けることもありましたが、「本当は引き受けたくないな…」「正直しんどいな…」と思うことも出てきて。でも、それで周りの人との関係性にヒビが入るのもちょっと…。
そこで、ザ・メンタルモデルの著者、みーちゃんこと由佐美加子さんに、相談してみたところ、思わぬ自分が今までの人生で繰り返してきた「パターン」が見え、目からウロコ…!
結頭の中のモヤが晴れるような、衝撃の体験だったので、その会話をここに記録したいと思います。

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麻理子(以下ま)「今、近所の先輩的な存在の人に『次はあなたが、やってもらえないかなぁ?』って言われている、結構タスクの多い、町内の役割があって。
でも、今は仕事や活動にパワーや時間を使いたいという気持ちもあり、引き受けるのはしんどい、今回はお断りしたいな。と思ってるんです。
でも、それがきっかけで、周りの人に『チッ!』って思われたり、嫌われるのも怖いな…というのもあって…。」
みーちゃん(以下み)「本当はどうしたいの!?」
ま「本当は…やりたくない…!」
み「やりたくないって事実があるわけじゃない?
強い人に迎合するってやり方で、私は私を捨てるわけでしょ?
それがパターンだよね。
私を捨てたほうが生存本能に叶ってるってパターンを持ってるわけだよね。
そのパターンを見たらいいわけですよ。
分かりましたやらせていただきます。本当はやりたくないけどね!みたいなやつでしょ?」
ま「そうそう。」
み「生存本能的には、それに従っとけばいい、っていう服従のモデルを持っているわけだよね。
服従するってことは、本当の自分とは切れるわけですよ。
これをいい悪いじゃなくて、パターンとして見て欲しいわけ。
このパターンの中で私のお城はできているんだーっていう。
どういう痛みが元になって、このパターンを作ったかがカギなのよ。
何かそれに、自分を売り渡さないと生き延びられないっていう危機が訪れているわけですよ。
小さいときに、『大したことない』って大人が言うようなことかもしれないけれど、何かを体験して、そして自分を切り捨てた体験がなければ、今その戦術はできてないから。
何が自分の中の記憶として出てくる?」
ま「親なのかなぁ。妹がいるから、しっかりしなくちゃとか勉強できるようにならなくちゃ、そうしたら、ほめてもらえる、みたいな…」
み「期待に応えるってことが、まりちゃんの生存には大事なこと、ってことだよね。
期待をかけられているってなった瞬間に、応えなきゃいけないってパターンに入るんじゃない?でノーって言えないって言う。」
ま「なるほど…!!!!そのパターン、入ってる…!」
み「権威よりも期待に反応してるのかな?
まりちゃんコレやって、って期待でしょ?それにノーはないですわ!って風に、元々の家族のシステムでそういうの作ってるんだったら、自分がやりたいかって選択肢は関係無いって選択をするから『やだなー…でも、やらさせていただきます!』ってなってるんじゃない?」
ま「そうかも!」
み「いいじゃん。それを見てみたらいいよ。
大事なのはこの状況を変えようとするとか、やだって言いたいとか、そういう話じゃない。
そういうことじゃなくて、事象って言うのはパターンを見ることだけに使ったらいいよ。
この理解がないと、本当の意味では現実に変化がおこせないのね。
私は期待に対してノーと言う、ということをやってこなかったんだ。と理解すればいい。
その方が自分の生存には良かったんだよ。
それがずっとやってきたことだとするじゃん。
魂としてはその反対側をやりたい、と必ず動くのね。
だから、それがひっかかり始めた、ってことはすごくいいよね。
やだってことを認識できるようになったってことは、私は本当に自分につながって、期待をなんでもかんでも引き受けるってパターンを、出れるチャンスがきてるってことだよ。」
ま「ほーなるほど!」
み「これを理解したら、なるほど期待に対して私はノーと言ったことがない、とか、本当にいつも言いにくいと思ってる、ていうのがあったら、それを自分が大事にしているところから、人に伝えてみる、っていう体験をさせてあげてもいい、っていう選択肢が初めて浮上するわけ。
それまでは無いんだよ。その選択肢。だからパターン化しているわけ。
だけど、それをある意味、バグをおこして、今までやってきて無いことをやって、本当に申し訳ない気持ちはあるけれども、私はそれを今やりたいかっていうと、そこに時間とエネルギーを投資したいっていう人生のプライオリティを置けません。なので、それはお引き受けしないって形にしたいんですけど、聞いてみてどうですか?という風に表現できる、っていうのは、魂については常に歓び。なんでかっていうと、やったことがないから。
常にやったことがないことをやってみたいし、体験したことないことをやってみたい、っていうのが、命の衝動でしょ?
って思うんだけどどう?」
ま「え、すごい、目からウロコでした。」
み「よかったねぇ。
新しいパターンをやりたい。パターンで体験させてもらえなかったことを魂は常に求めているわけ。
ほんと面白くてさ、前半期に責任をとって長女だからこうして親によくしてってやってる人たちは後半期『好きにさせていただきます』ってなるわけ。」
ま「あはははは!」
み「親は『聞いてないよ!』状態だから、この子、とち狂った?みたいになるわけ。
だとしてもそれが、私の魂が求めていることに、行かざるを得ないわけ。それくらい強い力で働いていく。
それはある意味、命としてのギフトでもあるんだけど、はた目から見ると本当にビビるよね。
何がいいたいかと言うと、パターンの認知を親がすることができたら、素晴らしいことが起こる。自分の子どもにもが同じことなんだよ。

その子が前半本当にいい子で、成績優秀だったのに突然グレた!ってなったら、パチパチ、おめでと!って感じなの本当は。

なんだけど、やべー!ってなるでしょ。親だったら。

だからね、人がどういう風に成長するかって本質を捕まえておくと、全てやっぱり恩寵っていうか祝福されている。

そうなると、不本意な現実、なんでこんなこと…っていうことは、本当に命が動かしてるな…!という実感として見れるようになった時に、全く見方が変わるから。これを自分の子どもにできたら最高にいいよね!
面白いからそれって。こうくるんだーみたいな。

それを自分の人生にあてはめてもダイナミックに生きられると思うし。
常に反対側を訴求している自分を信じていけば。

周りからしたら非常識だよ?
周りはこのパターンのなかに収まってそのまま死んでくださいっていう世界だからね。

このパターンにはまって生きることがあなたの幸せだし、あなたの安心安全だし、それが幸せって洗脳されてる。
ほんっとにそれ、ウソだから。
冗談じゃないって世界。

やっぱり色んな意味で変わっていくと思うけど。
とはいえ多くの人はマトリックス状態だから、それを出ようとしたときに、若干のひずみが起こりうるよ。
結果的に命は最終的には満たされていく。
けど、一時のゆらぎは必ずおこるし、それを受け入れた方がいいと個人的には思う。
鬱病になった、よかったね!ってパターンもあるけど、周りにはなかなかそうは見てもらえない。
だからこそ、自分をそういう目で見てあげるのが大事。チャンスだよね。

初めてやってきました、私の自己表現する機会って感じ。
もっというと、それを引き受けても引き受けなくてもどっちでもいいの。
でも、期待にノーという体験をすることは、意味はもっているだろうね。」

ま「すごいすっきり!期待だと思ってなかったから分かってよかったです!」

み「よかったね!」

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みーちゃんに「期待に応えるってことが、まりちゃんの生存にとって大事なことなんじゃない?」と問われたとき、
あー、幼い頃から、勉強も頑張ってきたのも、ピアノを頑張ってきたのも、「頑張ってきた」のはみんな、親やピアノの先生の、期待に応えたかったからだなぁ…と。そして今も引きずっている苦い思い出のほとんどは「あの人の期待に応えられなかった」やつだ…!
と、ドミノ倒しのようにパタパタと、色々な記憶がよみがえりました。
「好きだから、自分のために頑張った」ことも、もちろんあるんだけど(勉強やピアノも純粋に好きだった瞬間もある)、「人の期待に応えるために、頑張る」ことは、もう限界が来てるんだなぁと思う。

そして小一の娘も「先生に褒められたいから、がんばる」「バツは絶対に嫌だから、字をキレイに書く」と宿題の漢字プリントの字を、時間をかけて、とってもキレイに書いていて、あぁ、この人ももしかしたら、同じパターンを持っているかもしれない。と。

彼女が宿題を適当にやって出したり、「出さなくてもいいやー!」って言う日が来たら、どうやってそのパターンを抜けたのか、私の時はどうだったのか、語りあってみたいなと思います。

最後までお読みいただき、有難うございました。
このような日常での気付き、自分の内面が大きく変わった体験をnoteに書いています。
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