退職続きの最低な30代を過ごした、まりこ(少し長文です。4000文字)l はじめてのnote
はじめまして。
「まりこの家」へようこそ!
しょっぱなから、どうした?どうした?と思った方もいらっしゃる方と
思いますが、、、
はい。タイトルどおり最低な30代を過ごしてボロボロになった事を素直に
自己紹介的な感じでここに示したいと思い、第1回目の投稿はこちらのネタにしました。
早速ですが、20代は某立大学の学校事務として働いていました。
THE:氷河期時代 知人が就活で自殺をしていく非常に過酷な時代。
面接に行けば、面接官から「今日のブラジャーの色は?」など嫌な質問や
うちに入社するにあたって話しがあるからごはんでもどう?からの「付き合わない?この後暇?それか今度みんなで飲みまくろうよ」などなかなかのしんどい就活を経験。友達は7次選考まであったりしたりして・・・イケるかよ!7次までなんて!といいながら3次で落ちてた。
この年の就活による自殺者は100名を超えたという。
そこでなんとか勝ち取った学校事務。地元で働けたので、過ごしやすかった。そんな時、とある人から「学校事務は準公務員だから、一般企業から嫌われるよ。だから転職は不利になるよ。20代の内に選んだ方がいいよ」という言葉を信じ、憧れていたエンタテイメントの世界へ応募しまくりました。
が、、、時すでに遅し、29歳はババア扱いで未経験で29って・・・という反応。全落ちです。そこでなんとしてでも入りたい業界だったので、初めて派遣という雇用形態を選択。
すぐにテレビ局の宣伝部での仕事に就けました。
田舎で働いていた私にとっては全てがキラキラして、ハイテクでワクワクが止まらなかったのを覚えています。
仕事内容は地味でも会社の雰囲気が最高で社会人ながら青春だな。と思いながら仕事をしていました。おかげ様でその時に知り合った方とは今でも仲良くさせていただいてます。
契約満了後のその後からが・・・・本題の地獄人生スタート
インバウンドに特化したテレビ局へ入社したら、部長アシスタントになりましてー、この部長ある某大企業からの出向者だったのですが、まー、ポケットにマネーを入れちゃう癖者でして、見積り1000万のところ、請求書4000万とかザラ。それを某テレビ局の社員の方が出向にきまして、証拠を取っておけ、と言われ仲良くしていたら、ある日突然呼び出され1年もしない内に、「お前が見てきたこと誰に言ったら、メディアにいさせなくしてやるからな」と言われ、契約満了。
※この件に関しては8年後、国会の審議会にかけられました。とさ・・・
黙っててもいつかはバレるんだよ!っと心の中で叫びました!yahooトップになった時。
まーいい。
その次は某航空関係のWEB・SNS広告運用の新会社に正社員として入った。最初の半年は、某化粧品会社の在庫管理などを行っていたが、年下からのパワハラ、結果私は間違っていなかったのだが、朝一から「〇〇さんって、馬鹿なんですか?一回死んだ方がよくないですか?」と言い放たれたので、さすがに「いいすぎです。」と冷静に返しました。なにかにつけて文句を言ってくる奴って意外と多い。私はお前のごみ箱じゃないぜ。まじで。。と思った次第でっす。
その後、自社に戻り、全く知識のないSNS広告運用に携わりました。
クリエイティブ数が全国一位なので、毎日の更新がまー大変。対して変わらない画像に毎度変更するパラメーター。隣のビルで働いていた友達とランチに行こうとして会ったときの第一声。「顔が・・・死んでるよ。笑」
はい。マジで死んでました。ややこしい依頼とパラメーターと追い込まれ続け、始末書と依頼してくる人間なのか悪魔なのか知らんけど、そいつから毎日くる1000文字から2000文字の人間ダメレッテル文句文。謝っても「謝ってますけど、本心ですか?謝るってご存じですか?謝っても許されないんですよ・・・を永遠ループ」。正直「死ね」と言われている気分で過ごしていました。そしたら、私の教育係がこんな量やってらんねーとなり、俺辞めますと言ったら、他の人もじゃあ、私も。となったのと、社長と副社長の折り合いの悪さから、あっけなく、会社は解散。無職になる。
その後、また派遣に戻り、働きたかった某レコード会社に入ったはいいが、
募集内容とやる事が全く違い、GMからデスクもやりたいでしょ?と言われ、是非!と言った所、一般社員と私の上司だった人から何故か干され、
最初は忙しく、みんな仲が良かったが、一般社員より先に情報を得る立場に
不満をもった一般社員たちからフルシカト。その先頭に立っていた、とある女は気に食わないとすぐ人を辞めさせるで有名で、すぐに「死ね」「うぜえ」と手の平に根性焼きが数十あるヤンキー上がりだから、お言葉使いが非常にわりぃー(おっと、、しっけい!)
私が在籍していた1年3か月で10人は辞めていた。。。
と、まー、一旦補足を入れておくが、私が仕事ができないからというわけではない。(自分でいうのもおこがましいですが)
ちゃんと、某アーティストのアリーナ公演2days会場対応ゼロに成功もしており(約4万人)その他のアーティスト公演もほぼゼロにしてきた。干されたあげくに自分でみつけた目標を達成。そしたら、上司からちょっとは信用されたが・・・基本的に派遣という立場の人間が嫌いだったんだな笑
そんな中、突如、ポジションクローズ。そうそのヤンキーが上に〇〇さん辞めさせて下さいとしつこく、仲間と部長に直訴していたのだ。
部長は「俺はあの子好きだったんだけどな・・・」と。じゃあ、ヤンキーに負けんなよ!と言いたかったが、それくらいの存在感とリーダーであることから言うことを聞いたのだろう。
その後、某芸能事務所へ。(派遣)
上司は、「うちは仕事で干したりしない」との約束で入ったが、
ADから、なぜか取締役付き資料作成の担当に変更されてた。
映画を作る部署で上司にまず言われたのは、「この業界で色々見てきただろ?ある程度はわかってるよな。そこでお願いしたいのは、俺の頭の中にある物事を敢えていわなくてもわかってほしい。例えば俺が青だと思っていたら、何も言わずに青を選んでほしい。」は?
まー、やるしかねぇ。と思い必死で企画や資料作成をして「これは大作だ!」とまで評価をいただいた矢先のコロナ。映画の制作が白紙になり、
「俺の部署、人多いだろ?社長に怒られたくないんだよね。社員がひとり
異動もしてくるから、契約はこれで満了にしようか、悩んでるんだ」と言われ・・・そしたら身をひくしかない。別部署も受け入れが出来なかったから。その会社でいじめがなかった訳ではない。俳優からの嫌がらせもあったりと、、でも、長く続けて最終的には社員になりたかったので、非常に残念だった。
その後、某レコード会社の販促担当(業務委託)になり、カタログ案件というひと昔前のアーティストや作品を再度売るというミッションを抱えたレーベルに入り、一か月で2作品くらいを抱え、店頭販売やイベント対応等を行っていたが、ある日突然エージェントから、成果を見せろと言われたのだが、数字が常に動いている業務だから、その部分は難しいです。と言ったら
「辞めてください。仕事してるのかわからないので、向いてなかったんですね」と唐突に言われてしまった。
は?現場しらねーくせに何言ってんだお、ま、え!(今考えると私も汚点はあったのかもしれないが、急すぎて、レコード会社も私も戸惑うという結末を迎えたのであった。。。)
その後、世界的エンタテイメントの会社へ入社(派遣)。
営業アシスタントとして20名程のほぼ秘書に従事。
みんな優しい。だがしかし、そこにもモンスターがおった。
それを知ったのは、週1出社から週4出社になった時だった。
これは、USの社長が新たに就任し(正確にはcome back)、
世界7000人の従業員をクビにするというものだった。
そこからおかしくなった。遠方に住む人を辞めさせる為、
週4出社にしたり、必要以上の人事の監視。
その体制になって知ったのは、部長というか、偉い人なんだが、勝手に嫌われていたらしく、私の存在を消すという行為。
お菓子を配るにしても、私だけカウントされなかったり、挨拶もしてくれない。何故なのかわからないが、遠方から通っていたからなのか?
そんな中、不整脈を発症し、息苦しくなりある日出社できないが、リモートだったらなんとか仕事ができるし、今日やらねばならない事があったので、
家で仕事をさせてほしいと言ったら、人事の答えは「NO」「どうしますか?(今日で辞めますか?」だった。もちろん、出社は難しい。派遣会社にも相談はしたが、、辞めることとなった。そして理由は「自己退職」。
疑問に思い、派遣会社にも問い合わせたが、変更はしてくれなかったが、
ハローワークに相談したら、「医師の意見書」というものを渡され、「当時は出社できる状態ではなかった」という意見書をもらい、3か月の待機期間の免除と90日間ではなく300日間の支給を受けれることになった。
その後、すぐに15歳の愛犬の死、父が倒れ搬送、手術、職業訓練等色々と
あった1年を過ごし、ハローワークから正社員で就職してください。と言われていたので、母が清掃員をしている会社がちょうど一般事務を募集をしていたので、入社した。母からはパワハラはないよ!と聞き安心して入社したが、THE田舎の昭和気質のパワハラ、気に食わない奴は辞める方向へ追い込むというのがわかり、試用期間内で退職をした。←今ココ
怒涛の30代を過ごしてみて、もう就職はしたくない。という気持ちが大きい。フリーランスは大変かもしれないけれど、自分にはあっている気がしている。
宣伝が好きなので、PRプロデューサーという民間の資格ではあるが、勉強をして取得した。
また、書く事が好き(特にエンタメ)なので、ライターもクラウドワークスで定期的に行っている。
ネガティブなことばかり書いてきたが、乗り越えてこれたのは、自分がライトワーカーだからなんだな。と知る事があるきかっけでできた。
生死を迷ったことがあり、そこで色々と走馬灯が流れた。
そこで、辛い思い出も流れてきたが、楽しかった生命力に溢れた忘れていた自分を思い返す事ができた。
退職続きで職歴荒れてるけど、心は成長出来ている。
もう酷い経験はしたくないというのが本音だけど。
長々と書いてしまったが、ここまでご覧くださって、
ありがとうございますm(_ _)m
これからはライブ情報や記事、お勧め事、日々の事などを
お届けする予定です。
どうぞ、宜しくお願いいたします。
まりこの家
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