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倉敷は、日本遺産のある街|2024.処暑・綿柎開


綿柎開(わたのはなしべひらく)

昨夜いつも通り「さぁ、寝よう」と寝室の電気を消したわたしは、無意識にタオルケットではなく布団をふわりと身体に被せた。

そういえば。
立秋に入って高熱を出した頃から、毎晩少し肌寒い気がしてタオルケットではなく、布団をかけて眠りにつくようになったような気がする。

それなのに「まだまだ暑いだろう」と部屋のクーラーを付けっぱなしにして室温は涼しさを保ったまま、掛け布団を厚くして満足していた。

取材で足を運んだ夏まつり

この夏は本当に暑くて、夜8時を過ぎても外気温が30度を超える日もあったから、クーラー24時間付けっぱなし生活はきっと正解だった。(設定温度は28度)でも、昨夜布団を被りながら確認したスマホの画面には「外気温27度」の表示。

試しにクーラーをサーキュレーターに切り替えて、掛け布団をタオルケットにして眠ってみたら、気持ちよく寝られたし、目が覚めた頃はまだ28度くらい。

もちろん日中はまだまだクーラーが手放せないけれども、厳しい暑さを超えて少しずつ、季節が移り替わっているんだなぁと実感した半日。暦の上では立秋を過ぎて、もう処暑だものね。

スーパーボールってキラキラして見えるのよね

倉敷市地域おこし協力隊としての日々も、10か月目に突入する。もう「〇か月目です」の数字が一桁ではなくなるんだと思うと、不思議な感じ。倉敷で迎える初めての秋。どんな日々になるのだろう。まだまだ、ワクワクしている。

この夏は3度も花火大会に行った。満足。

【処暑】厳しい暑さの峠を越した頃
初侯:綿柎開(わたのはなしべひらく) 8月22日~8月27日
次侯:天地始粛(てんちはじめてさむし)8月28日~9月1日
末侯:禾乃登(こくものすなわちみのる)9月2日~9月6日

茶道手帳2024

倉敷は、日本遺産のある街

ところでみなさんは「日本遺産」というものをご存知ですか?

日本遺産は、広く地域の魅力を発信することを目的に地域にある歴史的な建造物や町並みなど、地域固有の財産として体系化されたストーリーを文化庁が認定するもの。

わたしは、センター試験(今は共通テストというものに変わっている)の日本史が満点だったくらい歴史を学ぶのが好きな高校生だったけれども、倉敷に来るまでは「日本遺産」のにの字も見たたことがなかった。

というのも、わたしがセンター試験を受験したのは2012年。文化庁が日本遺産の認定をはじめたのは2015年とのこと。

ひゃー。センター試験というワードが死語になりつつあるのはうっすら気づいていたけれども、日本遺産って新しい取り組みなのね……。 ぜんっぜん時代についていけてなかった。

晩秋の倉敷アイビースクエア

そして、わたしを倉敷市地域おこし協力隊として委嘱してくれている倉敷市役所の移住定住推進室のお隣は、日本遺産推進室でして、なんとこの2つの部署は同じ企画経営室という部署でして。

(めっちゃ部屋がたくさんあるかのような書き方だけれども、どれも倉敷市役所4階のオープンなスペースにある。この「室」は机のある「島」を指すんじゃないかと思っている)

その日本遺産推進室は「くらしき日本遺産検定」なるご当地検定をやっていたりする。わたしも今年の2月に受検。

見事に不合格だったけれども、この検定の勉強を足掛かりに倉敷を歩き回ったので、七十二侯の「綿柎開(わたのはなしべひらく)」を見た瞬間にこれは倉敷にぴったりな季語だなぁと思って、今回のnoteでは倉敷市が認定されている日本遺産の紹介をば。

一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~

一つ目の日本遺産は「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」

倉敷の街は、実はほとんどが昔は海だった干拓地。田んぼや畑は塩に弱いものも多いため、い草や綿といった塩に強い作物が倉敷の街を支えたとのこと。

例えば、倉敷美観地区にある老舗宿泊施設「倉敷アイビースクエア」も、明治時代は紡績工場だった施設。

倉敷に縫製工場が多いのはこの綿花栽培あってこそのものだし、公立保育所が多いのも縫製工場で働く女性が多かったから。そして、児島の代名詞「デニム」もまた、綿花あってこその文化なんだそう。

繊維産業なしには倉敷の歴史は語れないくらい大切な花で、倉敷市内は店先に綿花を飾るお店も他の地域と比べて多いような気がする。

荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~

二つ目の日本遺産は、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」

倉敷市でいうと、玉島や下津井といった地区は、江戸時代の交易船である北前船の寄港地。日本各地からさまざまな商品が持ち込まれ、交易の拠点として発達したそうで、とにかくお茶室が多い。

「お茶文化=玉島」とよく目にするけれども、実はわたしが地域おこし協力隊として最初にお茶会を開催したのは下津井。

玉島、下津井に限らず、倉敷はどの地域にもお茶屋さんと和菓子屋さんがある。それに、ちょっとご年配の女性に話を伺うと、どのかたも「若い頃はお茶を習っていたわ」とおっしゃる生活にお茶文化が根付く街。

そうやって、外からの文化がたくさん入ってきた港町にはお茶室だけでなく昔ながらの立派な建造物も多く残っていて。

西爽亭

この日本遺産は倉敷だけでなく全国の北前船寄港地が認定されている日本遺産なので、ほかの寄港地のことももっと知りたいし、それらを知ることで倉敷らしさというものがわかるんだろうな……と漠然と思う。

全国を転々として過ごしてきたけれども、北前船寄港地とはご縁がなかったのでこれから開拓していきたい次第。

「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~

岡山のお土産といえば「きびだんご」だと思っている。
というか、倉敷市の地域おこし協力隊になるまではきびだんごと桃くらいしかお土産が思いつかなかったくらい。(失礼)

古代吉備は、温暖な気候や瀬戸内海に面した交易に適した土地であったため、強大な勢力を有していたらしく。

箭田大塚古墳

倉敷市の庄や真備地区には、楯築遺跡や鯉喰神社、箭田大塚古墳など、桃太郎の伝説に登場する遺産が残っている。

くらしき日本遺産検定はめっちゃ難しい

そんなこんなで、倉敷は綿花を含む3つの日本遺産のある街。

わたしが受検して見事不合格だったくらしき日本遺産検定は、第1回の合格者が2人、第2回の合格者が22人と、わりと難易度高め。

資料の読み込み+過去問研究が必須な検定。第3回こそは合格したい。


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