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【ショートストーリー】Vol.7 マッチョの本屋さん

うちの近所に小さな個人経営の本屋がある。松井書店。
わたしはいつもそこで本を調達していた。

ある日、いつものように松井書店の手動ドアを引いて中へ入ると、そこには、どうみてもこの場にミスマッチな男がレジに座っていた。白のランニングが張り裂けそうな筋肉むきむきマッチョマンが、真剣な顔をしてダンベルをゆっくりと上げ下げしていた。

わたしは、なにか見てはいけないものを見たような気がして、とてつもない罪悪感と後悔にさいなまれた。
入り口でとまっているわたしを見つけたマッチョの男は、ダンベルを続けたまま、先ほどの顔からは想像出来ないくらいにニコヤカな顔で「いらっしゃい」と言った。

またその声がとてもダンディだった。
わたしはすっかり気分が楽になり、すんなりと中へ入ることが出来た。
店内をぐるりとまわってから、 前から気になっていた文庫本を手に取ると、レジへ向かった。
ついでだからと思って、聞いてみた。

「あの、いつもいるおじさん、今日はいないんですか?」

マッチョの男は一瞬寂しそうな顔をしたが、あくまでニコヤカに答えた。

「今ちょっと入院していてね」

わたしは、はっと息を呑んだ。どこか悪いんですか?と聞きたかったが、その質問は飲み込んだ。

「いつも来てくれているの?」

相変わらずニコヤカに尋ねてきた。

「はい」

「ありがとう」

さわやかな笑顔で彼はこう続けた。

「これからも松井書店よろしくお願いします」

わたしは、ちょっぴり恥ずかしくなって、頭を下げて店を後にした。


一週間後、松井書店の主人が亡くなったと母親から聞かされた。
母親は、「松井さんとこって一人息子でね、何年か前ボディビルダーを目指して、家飛び出して行ったんだって。隣の田中さんに聞いたけど、かなりのマッチョで、本屋には似合わないって笑ってたのよ。きっとお店たたんじゃうでしょうね。なんだかあそこがなくなると寂しくなるわ」と言っていた。
まだ決まったわけじゃないのに、みんな勝手なこと言って、 と悲しくなって少しイライラした。

次の日の夜、松井書店の前を通ると、通夜が営まれていた。
入り口に立っていたマッチョの男のむちむちした手には、 ダンベルではなくボロボロの文庫本が、しっかりと大事そうに包まれていた。

<終わり> 922文字

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