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【ショートストーリー】Vol.5 このヤッカイナモノの置き場所

ミチ子は、この何やらヤッカイナモノの置き場所に困っている。

仕事がうまくいかなくて落ち込んだこと、職場のみんなでボーリングに行ってからお洒落で素敵なバーに行ったこと、帰り際に少しさみしくなったこと、終電を逃したこと、ヒールのサンダルで歩いたら足の指が痛くなったこと、泥のように眠って起きたらベランダの前の木が切られて視界がひらけていたこと、日曜日、仕事を頑張ってそのあと映画を観に行ったこと、映画を観て生きることとか死ぬこととか考えたこと、死ぬことを考えて怖くなったこと、嫌な仕事をやらなくちゃいけなかったこと、一人で残業して肩こりがひどくなったこと、スパイスから作ったトマトカレーが美味しくできたこと、昔好きだった人とクラフトビールを飲みに行ったこと、一緒に寝たこと、次の日お蕎麦を食べて美味しいねって言い合ったこと、コーヒーは飲まずに別れたこと。

「はぁ...。サトシ君は全部知らないけれど、全部サトシ君に知らせたいなぁ」

もう諦めているのに、ミチ子はまだ考えることを止めることができないでいる。たくさん考えて、考えることに飽きるまで、止めることができない。

何やらヤッカイナモノを抱えている。

何も言えないまま、想いが喉の手前で止まったまま、飲み込むこともできないのに、吐き出せていないままだから、消化不良のヤッカイナモノがミチ子の全身に毒素となって巡ってる。少しずつ、少しずつはきっとおしっこになって出ているはずだが、時間がかかりそうである。

クリーミーでしっかり味の濃い、美味しい牡蠣を食べれば
「はぁ...。全部サトシ君に知らせたいなぁ」

牡蠣が好きなミチ子と、牡蠣が好きだと言っていたサトシ君。
全部がまぼろしで、全部が嘘で、全部が余韻のような時間と空間。ヤッカイナモノはみずみずしくぷりっと濃厚だ。

どうして毎回苦しいんだろう。どうして慣れることができないんだろう。
このヤッカイナモノをえいっとぶつけられたらどんなに良かっただろう、とミチ子は思う。

けれどもミチ子はきっとぶつけることはできない。何一つ。どんな場面でも、何回その機会が訪れても、ぶつけることはできない。未来永劫。笑えるくらい、同じ結果になるということを自分でわかっている。

すごくかっこいい曲を見つけたこと、好きな缶チューハイの限定の味が発売されたこと、クローゼットを整理して衣装ケースを2つも捨てたこと、高価なブランドバックを売ったらめちゃくちゃ安かったこと、ラジオを聴くようになったこと、マイナンバーカードを取得したこと、パスポートも作ったこと、印鑑登録もしたこと、髪の毛の色をピンクからブルーアッシュに変えたこと、美容師さんに秘かに恋をしていること。

「はぁ...。サトシ君は全部知らないけれど、全部サトシ君に知らせたいなぁ」

もう諦めているのに、ミチ子はまだ考えることを止めることができないでいる。たくさん考えて、考えることに飽きるまで、止めることができない。

つくづくヤッカイナモノ、だ。

そんなヤッカイナモノの置き場所を、ミチ子は探すことにした。
安心しておいて置ける場所。雨風にも晒されず、誰かに唾を吐きかけられたり、ぐちゃぐちゃに踏み潰されたりしない場所。湿気はない方がいい、と思った。でも、寒すぎず、少しあたたかくて、無風なのに心地の良いそよ風を感じられるような場所。ずっとうたた寝していたいような場所。そっと、ぎゅっと大好きな人に後ろから抱きしめられるような、安心感のある場所。

手を握り合っていても、言葉で確かめても、不安になる場所ではなくて、笑い合っていても信じきれない場所ではなくて。ただ、ふわっとそこにただヤッカイナモノを置いておける、そんな場所。悲しい涙を流さない場所。魂が喜びで溢れ、感動で心が満たされて涙を流すような場所。みずみずしい果汁が滴る桃のような場所。美しい歌声が染み渡り、身体中の血液が洗われるような場所。

ミチ子は探すことにした。

そんな置き場所を、あなたは知りませんか。

<終わり> 1635文字

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