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名 作 『 浮 雲 』 再 考

私のオールタイムベスト10のうちの一本でもある映画『浮雲』。
ダメ男とその男に惚れる女の恋愛物語でありながら、至極のロードムービーである。仕事で観返す必要があり、改めて脚本も読んでみてその面白さに唸ったので、プロットポイントを整理して、書き残したいと思う。
※昔分析したメモも出てきたので参考に

ネタバレありです。名作なので内容わかってても面白いですが念のため。

作品概要

浮雲
公開:1955年
監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子
脚本:水木洋子
助監督:岡本喜八
音楽:斎藤一郎
撮影:玉井正夫

基本的な登場人物は、

幸田ゆき子:高峰秀子
富岡兼吾:森雅之
おせい:岡田茉莉子
伊庭杉夫:山形勲
富岡の妻・邦子:中北千枝子

ストーリーを短くまとめるとこんな感じ。

戦時下、妻子持ちの男と激しい恋に落ちた女が互いの情念に振り回されながらも縁を切れず、純愛とは何かを問う話。

>とにかく富岡という男は不倫ゲス野郎なんで、個人的には一番嫌いなタイプなんだけど、ゆき子のダメ男に惚れてしまう"どうしようもなさ"の表現が素晴らしい。富岡も身勝手な言動をしつつゆき子という存在に依存している。なんだこのダメ男と依存女の話は!と食わず嫌いしないでほしい、二人の情念の入り乱れがすごいんで、それがなぜこんなに表現できているのか紐解くだけで、まじ映画すげーってなる。

構成とプロットポイント

紐解くために、まずは三幕構成に分けてみる。
※勝手な分析ですのでご了承を

第一幕:二人の再会
 1-1-ロマンスの記憶、そして破綻
1943年、農林省のタイピストとして仏印に渡ったゆき子は、そこで役人である富岡と出会い激しい恋に落ちる。富岡はゆき子に妻との離婚を約束して一足先に帰国する。
 1-2-再会、そしてすれ違う二人
終戦を迎え、富岡の自宅を訪ねるが、富岡は妻と普通の生活をしている。富岡は終戦後の日本の惨状に気持ちが冷める。ゆき子、富岡が妻と別れる気がないと知る。

第二幕:別れられない二人
 2-1-身を落とすゆき子、子どもじみた富岡の嫉妬
パンパン(米兵相手の娼婦)になるゆき子。富岡がやってきて自分本位にゆき子を攻める、それでもけっきょく縁を切れない二人。
 2-2-おせいの出現、浮かれる富岡、焦るゆき子
温泉街に「心中するつもり」と言いながらやってくる富岡とゆき子。その地で出会った人妻のおせいと関係を持つ富岡。それに気づくゆき子の中で何かが崩れてゆく。妊娠が発覚したゆき子は富岡を訪ねるが富岡はおせいと同棲していた。
 2-3-おせいの死、ゆき子の堕胎、無気力・無関心の富岡
ゆき子はかつて貞操を犯された義兄に借金をして子どもを堕す。富岡はおせいが旦那に殺されたことを告げる。ゆき子は富岡にとってのおせいの死、自分にとっての堕胎をそれぞれ慰め合えると思ったが、体裁を気にする富岡。

第三幕:別離に向かう二人
 3-1-富岡の妻の死、富岡について行くゆき子
富岡がゆき子に妻の死を告げる。屋久島へ赴任する富岡について行くことにするゆき子。
 3-2-死にゆくゆき子、残される富岡
屋久島への道中で病に倒れるゆき子。献身的に看病する富岡。そしてゆき子は死ぬ。ゆき子に死に化粧を施す富岡、初めて感情を露わにする。

シーン考察

この作品を語る上で個人的に重要だなと思ったシーンについて。

第一幕:二人の再会/1-2
シーン15
:池袋の闇市付近にあるホテイホテル
仏印ダラットの思い出を語る二人。ゆき子の指とか噛んだりする。
いじらしい富岡にゆき子は「こんな女になってしまった」と自分と富岡の甘い思い出に浸る自分を嘆く。すると富岡は「いつまでも昔の事を考えたって仕方ないだろう......」と。それを受けゆき子は「昔のことが、あなたと私には重大なんだわ」と感情高ぶる。
→甘い生活を引きずるゆき子に対して、富岡は終戦後の現実に無気力になっていて、嫉妬心を見せるゆき子に本音を吐露するシーン。「君のことは好きだけど、一緒になれないのは僕の弱いところ」と言ったりお金を渡そうとしたりする。ゆき子は傷つくが、セリフとしては「男は嘘つきよ」などと表面的に突き放し、このシーンは終わる。富岡のダメ男っぷりが体現されているシーンであり、ここで関係を立ち切れないのがゆき子である、と第二幕に繋ぐシーン。

第二幕:別れられない二人/2-2
シーン62
:物置
二人で温泉に来たのに、人妻おせいに出会い関係を持つ富岡。焦りと不快感を露わにするゆき子。
→富岡はおせいと関係を持った後ものらりくらりとゆき子の嫉妬心をかわす。ゆき子がうんざりした表情をすると、富岡は明るく「ゴーイングマイウェイといきましょう」とか言ってみたりしてゆき子の気を引こうとする。そこでゆき子「ああ気持ち悪い」と吐露。その時、本音だけどおそらく同時にこの人をどうしようもなく愛してしまっている感情がゆき子の中に同居しているんだろうと思う。脚本にも、「気持ち悪い」というセリフの後、ト書きで「ゆき子は畳に暫く打伏したままーーー肩で息をしている」とある。

第二幕:別れられない二人/2-3
シーン79
:おせいの部屋
おせいの死を知ったゆき子は自分の堕胎の傷も癒し合えると思い(おそらく)、富岡を訪ねる。しかし、富岡はゆき子の堕胎にも無関心で「君はいい気味だと思っているんだろう」とひどい事を言う。おせいの死のことを言った富岡だが、ゆき子は堕胎した自分についてお金以外の気持ちを示さない富岡に苛立つ。富岡は「俺が全部悪い」と優しさとエゴの塊を言葉にする。ゆき子はおせいに対しての富岡の気持ちが気に入らず、「あんな女に死んでまで負けるのはいや」と言い、過呼吸(?)のように気を失う。で、お互いの気持ちを探り合うように佇んだり振り向いたり手を握ったり、、、そして去るゆき子。
→ああ、もうこのシーンは二人の関係性を表す凄まじいシーンである。女が堕胎するって、言葉ではやはり表現できない壮絶な感情があると思うんだけど、このシーンではそれにプラスして富岡への期待と本音と死んだ女への想いが交錯する。富岡はしょうもない男だけど、愛した女が殺されてショックな気持ちと自分の不甲斐なさにも苛まれているわけで。どうしようもないよ、本当。二人が目の前にいたら全力で別れさせるよ。あー辛い。
そして、このシーンに表で遊ぶ子どもたちのワンカットが差し込まれるのが秀逸。ゆき子が堕胎で失った「命」が子どもたちの無邪気なカットを差し込むことで悲しみとして表現されている気がする。

第三幕:別離に向かう二人/3-2
シーン144,145,146+149
:屋久島の官舎
体調を崩したゆき子は長い道中でだいぶ弱っている。二人だけの世界を手に入れて、看病も献身的にしてくれる富岡に安心感を得るゆき子。山へ仕事に出かける富岡がお手伝いののぶと立ち話をしているのを見つめる。
→ゆき子は病床から富岡とのぶが話をしているのを見るだけで不安をおさえられない。「何か言おうとするが咳き込んでしまう」←このト書きすごいよね。もう死が間近なんだけど、今までの富岡の女ったらしぶりを一番わかっているゆき子なので、ただの女中であるのぶにさえ不安を抱く。そして149では、嵐の雨が吹き込む窓をよろめきながらも閉めようとするのよ、ゆき子。すごい音を立てて雨が雨戸に吹き込むんだけど、それが壮絶なゆき子の情念を物語っているよう。そして死んでしまう。153で富岡が駆けつけて帰ってくるともう死んでるんだけど、ゆき子が最期に何を想っていたか彷彿とさせるシーン。

死化粧からの回想
シーン156,157
:ダラット
ゆき子の亡骸を前に初めて感情を露わにした富岡がゆき子に死化粧を施してやる155の後、富岡のまぶたには仏印ダラットでの美しく情熱的だったゆき子の姿を回想する。
→157で白いブラウスのゆき子が正面バストアップのカットで微笑むんだけど、このカットから私が読み取ったのは二つの問いかけ。
一つ目は、最後にゆき子は富岡の愛を手に入れることができたのか?
二つ目は、富岡は本当にゆき子を愛していたと言えるのか?
屋久島に来て富岡と過ごす時間を持って幸せを感じたかもしれないけど、最期の最期、ゆき子は富岡の愛を感じて死ねたのかな、今まで何度も感じた不安や焦りの中どうしようもない感情のまま死んでしまったのではないかなぁ、と。そして、富岡はゆき子を看病し優しくしていたけど、本当にそれは愛情だったのかな、今までの自分がしたことへの償いだったのかな、そしてもしゆき子を本当に愛していたとしても気づいたのはゆき子が死んでからだったんじゃないかなぁ、と。

というように、この映画のディテール、つまりはシーン構成、セリフ、仕草、カット割りなど全てをもって、観る人の感情を掻き乱し、疑問を投げつけて終わる。すごい映画。

最後に

水木洋子氏によるこの『浮雲』の脚本、ぜひ読んでほしい。シーン中の差し込みカットとか回想の使い方とかも理由がわかるし、ト書きもかっちり書き込まれてるのでそういう芝居をしなきゃいけないという理由が読み取れるのだ。脚本は映画の屋台骨であり精巧な設計図というのが大いにわかる。
富岡という男は最低な男だとか、ゆき子は貞操犯されたり堕胎したり辛い想いをしながらも結局自分の選択肢としてこの男を選んでる、とかそういう好き嫌いの感情で語るのではなく(時代背景もあるし)、ただこの映画がいかに情念を丁寧に描いているかということを考察したかった。
そして、そういった丁寧な映画というのは「人の人生を追体験できる」ということを身をもって感じることができると思うので、全力でおすすめする。

最後の最後に、監督・成瀬巳喜男の作品に興味を持った方は『女が階段を上る時』『流れる』『山の音』『おかあさん』『乱れる』なども観てほしい。本当、成瀬巳喜男とは。(嫉妬にも似たため息)


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