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「学校」という箱、「会社」という箱。箱に入っていないとだめ?

アフターコロナで少しずつ変わっていくと期待したい、学びの場や働き方。
でも学校・会社・家庭という「箱」に入っていることが正しいという前提が、そもそも今の日本の息苦しさを作っているのでは?と思う、そんな話。

この記事が「 #結婚 」で先週もっともスキされた記事の1つになったそうです。嬉しい!

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昨日はTheUPDATEという番組で放送された「オンライン教育は日本を救うのか」という回を取り上げました。

9月入学にすべきか
学校を学年輪番制などで解禁すべきか
本来学校でやっていたはずの学びは家庭でこなしてもらう

新型コロナによる学校休校に伴い、議論が盛んに行われています。

でもそれを聞いていると、「学校に通って学習指導要領に則ったカリキュラムをこなす必要がある」ことを前提に話がされている気がするんですよね。

一方で上記noteにも引用した

「子どもを学校から『解放』した」

というフレーズがとても印象的だった。

これまで学校で輝けなかった子、学校に合わなかった子が、休校で家にいるようになり、自分らしい学びやボーッとする時間を得て水を得た魚のようになっている、という話。

学校を否定したいわけじゃない。必要な子もたくさんいる。でも学校という存在が全てのこどもに合うというわけでもない。

もういい加減、子どもは全員学校に行くべき、という「常識」から解放されてもいいんじゃない?

箱に合わないときは出たっていいし、箱を変えてもいいんだよね。


そもそも結婚って必要?

先日友人たちと話していた際、

そもそもなぜ「結婚」って必要なんだっけ?

という話になりました。

もともとは日本には戸籍があり「結婚」=「家に入る」みたいなものだった。でも、海外では個人それぞれに個人番号が与えられている。「個」として認識されている。

現状日本では子供を産むためには結婚をしていることが前提、もちろん結婚せずとも産むことは可能なものの、世間からの目や養育費など問題も多く存在する。

それらの話から

「日本では箱に入っていることが◯で入っていない人は×みたいな風潮が結構あるな」

と思ったのでした。


3つの箱

①結婚、家庭という箱

いわゆる「結婚適齢期」になると結婚して家庭を作り子どもを持つもの、みたいな風潮、未だに健在ですよね。

20代後半になると「そろそろ結婚は?」「そろそろ子供は?」なんてささやかれる。

結婚と出産が「正解」でそれを選ばないひとは「不正解」?

結婚してようがしてまいが、子どもがいようがいまいが、私は私で私のままなのにね。

一方離婚すると「バツ」と呼ばれる。芸能人の離婚のニュースが、失敗、残念、かわいそうみたいな雰囲気で取り上げられますよね。

そもそも結婚前にも出会いと別れもあるだろうに、なぜ「結婚」をした途端に関係性を解消するとバツの数を数え始めるのか、とても不思議。

そんな見えない世間の声に追い詰められ、別れという選択肢を躊躇している人もきっといるのではなかろうか。


②会社で働くサラリーマンという箱

「経団連は会長や副会長19人が全員転職未経験者である」というニュースは結構衝撃でした。(更に言えば全員日本人男性)

別に転職をしてるからいいとか偉いとかそういう話ではなく。

ただ、新卒で初めて会社に入るとき、自分にピッタリ合う会社がどこかなんて100%当てられない。CMで見る企業しか知らなかったりするし。

それに100歳まで生きるこの時代、目まぐるしく時代も変わっていく。時代も、会社も、自分も変化していく。前は自分に合っていたものでも時とともに合わなくなっていくものもあるだろう。20代では大好きだった服が30代になったらなぜか似合わなくなるのと同じように。

会社に入ってはじめて、自分に合うものは何なのか見つけることだってある。長い人生の中で、たまたま最初に選んだ箱にしがみつく必要もあるまい。

それに会社に所属せずとも個人で働けるインフラが整っているこのご時世、もし箱にうまく合わずに苦しむのなら、(そんなの出来たら苦労しないよ!って意見は重々承知の上で)そこから出るっていう選択肢もあるよってこと、覚えておきたい。


③学校という箱

興味も、脳や体の発達も、価値観も100人いれば100人みーんなちがうのに、たまたま近くに住んでいる、たまたま同年度に産まれた人達が同じ箱で授業を受ける。

会社や結婚より非常に無作為な箱。

「不登校」って言うけど、そもそも「登校」することだけが正解で、それ以外は不正解なの?

世の中の人間がもれなく全員、学校に適合できるわけではない。
合わない人達を無理やり同じ箱に入れるからいじめも起きるのではないだろうか。

今は学校も、フリースクールも、N中N高も、オンラインサロンも、色んな選択肢がある。水を得た魚になれる場所、見つかれば最高だよね。


日本人は「やめる練習」がたりてない(byのもときょうこさん)

学校、会社、家庭。

箱に合う人も合わない人もいる。

合わない箱に自分を無理やり合わせて苦しむ人は少なくない。

新型コロナの一件でますます時代が変わっていく。

箱から脱出すること、箱に入っていないことは何も悪くない。

むしろ今入っている合ってない箱にしがみついたり、出たほうがいいとわかっているのに出られない方が危険だ。

だからこそ、「一度でも辞めたことがある」というのは強い。

のもときょうこさん

日本人は「やめる練習」がたりてない

をぜひ読んでほしい。

私も最初、会社を辞めるときは本当に怖かった。でも辞めてみたら大したことなくて、むしろ新しい世界が待っていた。

「合わないな」と思うときに辞めるというのは、たしかに一定技術というか経験が必要。

でも合わないのにみんなもやってるのだから我慢してみんなに合わせましょう、という空気の中ではなかなか難しい。

だからこそ、小さいうちから「やめる練習」をしておくといいんですよね。


本当の幸せ見つけませんか

今回の一件で、きっと世界の「常識」は別物になる。

通勤、通学、いい家の立地、本当の幸せ。

嫌でも「本当は自分は何を求めてるんだっけ?」に向き合うことになるだろう。

みんながやっているから。これまでそうやってきたから。

そういう当たり前が本当に当たり前だったのか、考え直すいいチャンスだとも思う。

箱が合う人もいる。でもあなたがもし苦しんでいるなら、その箱に入っていることだけが必ずしも正しいわけじゃないということを思い出して欲しい。


ちなみに音声でも過去配信しています↓


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