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JAPAN⇄CANADA 4-4

2014年に入り、学校は最後の学期が始まりました。ついに高校生活も残り半年です。ようやく迎える卒業を楽しみにしていた反面、不安もたくさんありました。特に英語30-1を受講することは私の頭を大いに悩ませていました。30-1は高校3年生の上のレベルです。大学に進学するために必要な履修科目なのですが、英語の成績が良くなく苦手だった私は常に緊張して授業を受けていました。ここでふとなぜ小さい頃から英語に触れているのに英語ができないのか?と思った方もいるかもしれないので説明します。カナダの高校では英語授業でシェークスピアを必ず教材として取り上げる他、短編を読んで登場人物の心情や状況の把握などの読解力や理解を深める授業を行います。要は、日本の学校で国語の授業で扱っているような事柄を学習するのです。日本人でも国語が苦手な人がいるように、私はカナダでの英語の授業が大の苦手でした。


そんなわけで、何としてもミニマムスコアを取らなければいけない私は、週に1回授業担当の先生に補修を受けたいとお願いし、家にも家庭教師を呼び英語の底上げを目指しました。英語漬けの日々で大変ではありましたが、ありがたいことに高校最初で最後の空きコマがあったので、その時間にクラリネットの練習をしたり、絵を描いたりと気分転換の時間に使いバランスを取っていました。


絵といえば、大学の入学申請が本格化したのも年明けからでした。私はポートフォリオのために作品を描いて描いて描きまくりました。おかげで申請開始日前には準備も整い、後は当日にパソコンに向かい「申請」のボタンをクリックするだけになっていました。学校の美術の授業で100%を取っていた私はこの時点で受からないはずがないと自信に満ち溢れていました。ただ英語の成績を除いて。


マーチングの練習も座奏にフィールドショーに大忙しでした。どの時点で行ったかは定かではありませんが、ビザ申請の写真撮影したり感染病対策でワクチンを打ったりなんかも練習の合間をぬって行われました。本当にブラジルへ行くんだなと不思議な気分でした。ワクチンですが、もちろん筋肉に打つタイプのものだったので、練習中たくさんのメンバーが腕の怠さや筋肉痛を訴えて笑っていたのは今でもいい思い出です。


こうして毎日バタバタと過ごしていたせいか、大学からの合格通知が来た日がいつだったか朧気にしか覚えていません。でもどんな感じだったかは割と鮮明に覚えていすま。確か学校から帰って来て、まみーから

「何か来てるよ」

とA4サイズの封筒を受け取りました。ドキドキで開けたら、なんと中にはまた封筒がありその中にもまた封筒が、といった具合で4つくらい封筒を開けると最後はパーティーで使うような紙吹雪と一緒に小さなメモ用紙があり、「welcome」だったか「congratulations」だったかなにかひと言だけ書かれていたと思います。もちろん1番大きな封筒にはきちんとした合格通知の書類もありました。さすが美術大学、粋だなと思いました。封筒を自分の部屋の机で開けたので下の階に降りて早速まみーに報告しました。まみーは自分のことのように喜んでくれて、私も安心したのを覚えています。もちろん、その日の夜だでぃーにも封筒と一緒に合格したことを伝えました。そしてまみーと同じようにとても喜んでくれました。ひとまず来年度の進路が決まったことで一安心しました。この時実はひと足早く滑り止めとして申請書を提出していた大学からも合格通知を頂いていたのですが、第1希望からの合格を頂いたので断りの申請を提出しました。この時私は、あとは無事に高校から卒業してマーチングに夏を捧げるんだ!と胸を撫でおろしたのです。(その後どんなことになるかも知らずに)


学校では友達と楽しい毎日を過ごしていましたが少し寂しい出来事もありました。引越して来て、学校に最初に行った時からお世話になっていた先生が別の学校に異動になったのです。昇格した為の異動だったのですが、突然でしかも年度の途中だったのでショックでした。先生が教えてくれたのは火曜日のお昼ご飯を食べている時でした。毎週火曜日、弟と先生と私の3人でお昼ご飯を食べる習慣を1年目からしていたので、その時私たち2人に

「他の人にはまだ秘密ね」

と教えてくれました。私はこれから、いったい誰に1週間の出来事を報告するんだ、と困惑しました。喜ばしいことなのに喜べない不思議な感情でした。先生が異動になってからは常に音楽室で昼食を取るようになりました。1人で食べてはいましたが、昼休みに音楽室を利用する生徒は多く、時には他の生徒や、吹奏楽の先生と会話しながら過ごしたので寂しさは少しずつなくなっていきました。ただこの生活もあと少し、なんて思うと別の寂しさも込み上げて来ていました。


卒業式は5月末に行われました。未だに謎なのですが、学校が終わる1ヶ月前に卒業式があるのがカルガリーの高校のきまりになっていました。当日は袴を着る予定だったので朝早く起き、まみーが着付けをしてくれました。2人で動画を観ながらしたのですが、どこかの工程で上手くいかず時間を食ったのを覚えています。殆どの卒業生はガウンを羽織りやすいドレスやスーツを身に纏うのですが、私は絶対に袴で参加するんだと決めていました。理由は単純で、日本で通っていた高校の卒業式で生徒が袴を着て式に参加するからです。私服校の高校に通っていたのですが、卒業式のためだけに制服というわけにもいかないので大学みたく袴で華やかに着飾るのが学校の文化みたいになっていました。私は卒業のお祝い、というわけでオンラインで袴セットを買って、日本からカナダに送ってもらいました。


ピンクのグラデーションがかかった着物に紫に近い色の袴を履き、その上にガウンを羽織り会場に向かいました。高校の体育館では狭すぎて全員が収まらないのでコラールという大きな施設で卒業式は開催されました。車で向かったのですが、入り口は他の生徒や保護者、車で既にいっぱいになっていました。私たち家族は弟と私が卒業式に出席しました。私は11年生に編入し、12年生を繰り返して卒業に必要な単位を修得したのですが、弟は10年生から普通に進学し12年生になっていました。大学進学の為の科目は全て取り切っていなかったのですが、単位自体は必要分取っており、友達も卒業だったので同じタイミングで式に出て卒業することになっていました。日本ではまずあり得ない選択肢です。ここら辺の融通が効く感じがカナダはいいなと感じました。


自分のクラスへ向かう途中親友のグレタや他の友達にも会い、写真を撮り合いました。袴も好評で、とても嬉しかったです。引越した当初はこのように友達とワイワイしながら卒業を迎えるとは想像もしていなかったので、びっくりした反面、ちゃんと成長できたんだなと実感もしました。この時あと1ヶ月と少しで20歳を迎える年齢になっていて、なんとなく大人になっているのかもと感じたし、17歳当時の私に会えるのなら正座させて叱りたいと思うほどに反省もしていました。


式は日本みたいに長たらしい式辞や祝辞はあまりなく、1人1人ステージに名前を呼ばれ、校長先生と握手を交わし卒業証書を頂き最後に代表や校長の挨拶があるという流れでした。しかしながら卒業生全員で何百人といたので式の時間は日本の倍くらいあったんじゃないかなと思います。その間周りの友達とおしゃべりしながらダラダラと楽しい時間を過ごしました。私の高校はドラマや映画なんかで見る学帽はなかったので残念ながら天井に向かって投げる、なんてこともなかったしガウンも学校からの借り物だったのでその場で回収されました。でも私の場合それよりも袴で歩いて回るのが夢だったので式の後はしばらく会場の外に残り写真をいっぱい撮ってもらいました。夜、卒業生のパーティー(アメリカでプロムと言われるもの。カナダでは「Grad」グラードと呼んでました。)があったのですが、$80くらい参加費を払わないといけなかったので私はお家で美味しいご馳走を頂いて、家族とゆっくり時間を過ごしました。


そこから1ヶ月はあっという間でした。学校の授業は2週間後くらいに終わり期末を受け高校生活に区切りをつけました。最後は盛大な終わり方でなかったけれど、終わったな、という感じはしていました。イヤーブックという卒業アルバム的なものを予約していたので、最後のホームルームの後友達と交換してメッセージを書き合いました。今もアルバムはカナダのお家に大切に保管されています。そしてついにグレタと一緒に使っていたロッカーにサインしました。翌年か2年後くらいにそのロッカーの中を2人で確認したのですがその時はまだ2人のサインがしっかり刻まれたままでした。またいつか2人で確認しに行きたいです。友達と談笑した後お世話になった先生方にも挨拶をして回りました。1番嬉しかったのは吹奏楽の先生に

「初めて見た時とまるで別人で本当に嬉しいよ、自分の生徒であることが誇らしい」

と言ってもらえたことです。自分でも初日とは天と地ほどの差があると感じていましたが、それを見てくれていたんだと知った時心に詰まるものがありました。学校からは出たものの、弟も妹もその後お世話になったし、マーチングの本番で何度も再会しました。私も素敵な先生に巡り逢えて凄く感謝しています。こういう先生に逢える確率はそうないんじゃないかなと思います。(つい先日もまみーと先生が会った時に、私が日本でどうしてるか聞かれたそうで今でも気にかけてくれているんだな、と純粋に嬉しくなりました。)


試験期間中は自分が受ける日以外学校に登校する必要がなかったのでゆっくり時間を過ごしました。その中でも1番の思い出は、異動になった先生とランチに行った事です。ベトナム料理店で待ち合わせをして、先生、弟、私の3人でフォーを食べました。(この時人生で初めてフォーを食べたのですが、お世話になった先生と一緒に食べたからか格段に美味しく感じました)卒業のお祝いに大きなフォトフレームを1つずつ貰いました。まさかお祝いを頂けるなんて想定もしていなかったので凄く嬉しかったです。今でもそのフォトフレームはカナダのお家の私の部屋に飾ってあります。どうやらまみーが私の描いたイラストレーションを入れて飾っているそうです。


高校の期末試験も無事に終わり、成績も発表になったのが6月末の事です。あんなに補習頑張った英語でしたが、試験の結果は散々でした。ただ授業の成績は補習のおかげで目に見えて上がっていたのでなんとか単位を落とすことなく全ての科目を終えることができました。日本では文系の科目が得意だったのにカナダでは理数系の科目の成績が良くてなんとも腑に落ちない感じでした。ただホッとしたのも束の間で、私の頭は既にマーチングモードに切り替わっていました。マーチング2年目の夏がもう目の前に迫っていたのです。

-つづく-

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