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JAPAN⇄CANADA 2-3

トランペットの練習を入れた1日のルーティーンに慣れてきた頃、両親が家探しの旅から戻ってきました。1週間もなかったと思うけれど、いい意味で長い間居なかった感じがしました。帰ってきたということは家が決まったということ。2人が十分に休養を取ってから新しい家へ向かうと告げられました。といっても数日間の休養でそんなに長い間ではありませんでした。折角慣れてきたのにまた移動か、と思いました。そしてまた悲しさが戻ってきました。

この頃、親との会話は最小限になっていました。正直あまり話したくありませんでした。話したところでなにも変わらないし、悲しくなるだけだったので言葉を交わして自らが自らにネガティブな感情与えるのなら話さない方がマシだと思っていました。

新しいお家へ行く前の晩、叔父叔母、いとこも一緒に祖父母の家で最後のご飯を食べました。長時間の移動もあるので、何か食べたいものがあったら言ってねと言われたので、わがままを言って、ライスクリスピーケーキを作って貰いました。ライスクリスピーケーキは、「ライスクリスピー」というシリアルとマシュマロとバターを溶かしたものを混ぜて常温で冷まして固まるお菓子で、カナダに遊びに行く度に幾度となく作ってもらっていたお気に入りのお菓子です。

次の日、とうとう新しいお家へ向かう日がやってきました。徐々に音を出すことに慣れてきていたトランペットとも、ここでお別れ。

そう思っていたらグランパ(おじいちゃん)が、
「もう自分は使わないし、まりぃの手元にある方がきっといいよ。折角頑張ってたのにもったいないしね。」
といって私にトランペットを譲ってくれました。凄く凄く嬉しくてケースを抱きしめたのを覚えています。けれど嬉しいだけではありませんでした。カナダに来てからは家族以外の親戚と関わることで緩和していた私の嫌という気持ちがまた強く再燃しました。家族5人だけになるのが本当に本当に嫌だと感じました。そしてまた泣いてしまいました。親戚と話すことで落ち着いていた気持ちが出てくる出てくる、もう止まりませんでした。

車に乗って泣き疲れて寝てしまうほどに号泣しました。また1からなにかが始まるのか、という感じでした。新しい家は2つ隣の州でした。カナダに実際に来るまでてっきり私が生まれて2歳まで過ごした市に引っ越すとばかり思っていたので、最初聞いた時は正直びっくりしました。私は2歳前までカナダに居ましたが、もちろん記憶はありません。住んでいたのは祖父母の家の近くの市でした。

なぜ祖父母や親戚のいるところではなく、新しい家のある所に引っ越すことにしたのか親に聞いたのですが、なかなかちゃんとした理由があって、そういうのも考えた上で引っ越しを決めたんだなって思ったのを覚えています。そしてそれを知らなかった私は本当に親を避けていたんだなと思って申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。ただ、親に聞いたのは引っ越してから随分後のことですが。

車で移動すること約12時間、いよいよ新しいお家にたどり着きました。新しいお家は一軒家でした。いつか1軒家に住みたいと思っていたのですが、まさかカナダに来て、嫌と思っていた引っ越しで叶うとは思いませんでした。1人で自分に対して鼻で笑うことが精一杯でした。家は家具家電がある程度揃っていたお家でした。着いてすぐに荷物を降ろし、中に入って家の中をまわり、誰がどこの部屋を取るか話し合いました。決まってから私はすぐに自分の部屋となった空間にこもりました。

はじめての1人部屋。今の苦しい状況、親と会いたくない状況で1人部屋を与えられたのは本当に良かったなと思いました。それからは、近くのスーパーに行くときと、ご飯を食べたりする時以外、部屋から出ることはほぼあまりしませんでした。もはや半引きこもり生活といっていいほど1日の大半を1人で部屋で過ごしました。

まだ慣れない1人部屋で、その存在のありがたみと闇を一気に体験した様でした。

-つづく-

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