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JAPAN⇄CANADA 2-2

両親が何日間居なかったら覚えていませんが、私が思っていたよりも長い日数居なかったのは覚えています。居ない間も変わらず寂しくて泣く日々でした。引っ越したことが現実なのに、非現実感がして不安ばかりが募っていきました。私の現状を知っていた祖父母、叔父叔母、そしていとこたちはその様子を見て私にたくさん声をかけてくれました。時には励ましながら話をいっぱいしてくれたり聞いてくれたりしました。ただ聞いてくれたり話してくれたりしただけじゃなく、その哀しみを受け入れるのは悪いことじゃないということも教えてくれました。

「悲しい時は悲しんでもいいし、泣きたい時は泣いてもいいんだよ」

と叔母さんが私に声をかけてくれました。この言葉に私は救われ、少しだけ安らぎを取り戻すこともできました。いとこたちも引っ越しのことについていいあんばいで話しかけてくれていたのでむしろ色々話すことができ、ぽっかり空いた穴を塞いでくれていました。

ただ8月末の学校もない、友達もいない、何もすることがない環境はとても暇でその空白の時間を感じるたびに哀しさという波が訪れました。私はその時間を埋めるように、日本の高校で使っていた教科書を使ってひたすら読んだり勉強したりしていました。元々勉強や新しいことを学ぶのは好きな方ではありました。先生の話を聞いて黒板の文字をただノートに写すだけの高校の授業より自分で好きなペースでじっくり教科書を読んでノートをまとめていくのがとても楽しくて、有意義に過ごせました。あまりだらだらしていても時間を無駄に過ごすだけだと思ったので自分で1日のスケジュールを立てて生活するように心掛けていました。

祖父母の家には電子ピアノがあったので気まぐれで弾くようにもなりました。やっぱり吹奏楽をパタリとしなくなると、どうしてか音楽が恋しくなっていました。中学校2年生までピアノを習っていたのでピアノは一応弾けしました。そんなある日のことでした。おじいちゃんがいいものがあるよと私に箱のようなケースを持ってきてくれました。中にはトランペットが入っていました。おじいちゃんには色んな楽器を趣味で演奏していた過去があって、それでトランペットも所有していたのです。年季の入った、(クラリネット奏者の私は)聞いたことのないブランドでした。

「楽器は同じじゃないけど演奏するのが好きなら吹いてもいいよ」

と私にトランペットを貸してくれたのでした。私はすごくワクワクしました。私のカナダでの生活に1本の光を放つようにトランペットが輝いて見えました。トランペットを吹いたことのなかった私は、早速ネットで基本的な吹き方や運指表を調べました。最初はやっぱりすぐにバテてしまいました。というのも、リードの振動で鳴るクラリネットと違ってトランペットは唇をふるわせて音を出すからです。勿論クラリネットもずっと吹いていると唇も疲れてきます。けれどトランペットの方が疲れが多いです。初日はやっぱり30分くらいで限界がきました。もっと吹きたかったけれど無理して変な吹き方になるのも嫌だったので少しずつ慣らしていこうと決めました。

それからは、毎日同じ時間に同じ場所の同じイスに座って練習を始めました。おじいちゃんがくれたトランペットの教本と私の持っていたクラリネットの楽譜を使って少しずつメロディーを奏でていきました。本当はクラリネットを吹けるのが1番だけれど、楽器が手元にあることがとても嬉しかったので不満はありませんでした。嬉しかったのは、おじいちゃんが持っていた楽器が、クラリネットと同じB♭菅楽器だったということです。楽器にはそれぞれ基準となる音が違います。ピアノやリコーダーの場合、「ド」の音は一般的にCと表記される音です。クラリネットやトランペットは、「ド」の音がB♭。だからB♭菅楽器となるのです。基準の音が同じ場合、同じ楽譜を吹くと当然ですが同じ音が出ます。これが基準が違う楽器だと違う音が出るのです。(これがなかなか面白いのですが)

というわけで、この日以来私の1日のルーティーンにトランペットの練習が追加されました。トランペットを吹いている時間はとても幸せに感じました。みんなからも楽しそうだねと声をかけられました。難しかったけれど前日にできなかったことが出来るようになるたびに嬉しかったし、客観的に見て顔が明るかったと思います。これがきっかけでほんの少しだけ次の日になるのが楽しみになっていきました。

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