生きづらさの養分

ここまで生きてきた中で切っても切り離せないのが生きづらさ。

幼少期

小学校に上がる前までは、すくすくと暖かな陽だまりのような中で育った。
自分のわがままを惜しみなく主張していた。周りの大人はみんな味方で、褒めてくれたり、認めてくれたりしていた。怒られた記憶も多々あるけど、安心できる、幸せな記憶がある。

小学生期

集団の中に入り、揃えることを覚える。というか、自然にそうなっていった。無意識のうちに人の心を察して、その人の機嫌を損ねないための態度をとっていた。喧嘩した記憶はほとんどない。このことは、私って誰とでもうまくやれるんだ〜と良いところであると認識していた。友達と遊ぶことも多く楽しくやっていた。

弟の習い事に両親が付きっきりで、寂しかった。構ってほしくて、仮病をよく使っていた。小学生なりに編み出した作戦。

中学生期

割と勉強する。純粋に攻略する、やったらできるというのが楽しかった。親や周りの人から注目してもらえる、褒められるっていうのも嬉しかった。この承認欲求の蔦が成長して絡まり、後々自分を苦しめることになるとはこのときまだ知らない。友達とふざけ合う学校生活は楽しかった。

高校生期

自称進学校に進学する。今思えば、まんまと自称進学校にありがちなレールに乗せられ、知らず知らずにそのレールの上で競っていた。
勉強もそれほど嫌いではないし、部活動にもだいぶ真面目に取り組んでいた。そのレールとやらの半分くらいには、無理せずとも乗れたのだ。あとの半分は、学校という狭い鳥籠の中での評価のために乗ろうとしていた(と最近気付く)。

強くなりたいと思う。弱さを見せないことが強いことだと、この時の私は考えた。でも同時に、自分の感情を素直に出す人を見て、(このときの私の考えによる)弱い人の方が強いのではないか。とも思っていた。

大学生期

ここまで、書いて思ったのだが、全部学校という括りで括っている。ああ、なんか嫌だな。学校に縛られている感じで、それでも学校で出会った人たちにずっと恵まれていると思う。というか身内と学校以外の居場所がそんなになかったのかもしれない。

レールに乗って第一志望の大学に入学する。
興味のある学部で、選択には迷わなかった。ざっくりとした方向性は自分にあっていると思う。高校のときと同じように、半分は自分の適性で、半分は周囲の評価を得たいがために、それなりに勉強には打ち込んだ。

アルバイトもしたし、サークルみたいなこともしていた。

アルバイトはしなくても、両親の支援で生きていけたけれど、全くバイトしないなんて甘えてるな〜などと思われたくないと周りの目を気にして、できる範囲で無理をして、できる限り稼ぐようにしていた。

友達にも恵まれているけれど、孤独感と一番仲がいいかもしれない(高校のときからだけど)。相手が求めている自分であろうとするから、1人でいるときの自分と人といるときの自分が乖離している。いつからか、外に出るときは、鎧と盾で武装しているようになった。

留学中にストレスがかかりすぎて、適応障害になる。ずっとあ〜〜気分の浮き沈み激しいな〜〜憂鬱だと思うことが多かったけど、このとき初めて、これが心の病なのか。というのを実感した。今までの憂鬱さとはレベルが違う。心の疲労骨折といった感じで、ずっと装備していた鎧と盾も破壊された。

生きづらさの養分

自分で生み出した理想の自分(他者から良い人、できる人、可愛い人と承認されたい)と本当の自分を比較して自分を責める。
理想の自分に少しでも近づこうと無理をする。
しかも、なぜだかその理想がめちゃくちゃ高いのだ、、
(今は高いと思えるけど、以前はその理想が当たり前だと思ってた。なぜその設定にしたのだろうか、過去の自分よ)

これじゃ辛い。

自分に似合う言葉を纏う

もっと言葉が必要だと思った。自分を知るにも、人と関わるにも。
全て言葉で表現できるとは思わない。それでも、できるだけ素直で心地よい、自分に似合う言葉で自分に寄り添うことができたら、それは鎧とか盾とかではないベールのようなものになって、本当の自分であることを助けてくれると思う。










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