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コロナ期間とミスiDと〜偶然と進化の話。〜


2020年を経て、私はきっと、ものすごい変化と進化をする。
(と先に宣言しておく。書いてしまえば後戻りできない。)

2020.4〜の記録(或いはミスiDへの布石)

きっと誰しもがそうだったと思うが、どうにもこうにもめちゃくちゃで心がダメになりそうだった3月〜5月(そしてその後も)。
でもその期間で本当にいろんなことを考えたり、感じたり、新しいことに挑戦したり、自分が進化するきっかけも多かったと思う。
(この時期のことは複数の別noteにも記録してある)


自分は何がしたいのか自分はどんな人間でありたいのか。そんなことを考えながら、ライブができない代わりに動画を作ってみたりもした。
ここに一部を並べてみる。

◆4月上旬:初めての動画作成と6声アカペラ
(歌つなぎとかあったね)


◆4月下旬:初めてのDTMcoverと動画編集
(無性に全身で表現したくてうずうずして、せめてものウィッグと上半身で。)


◆5月:カメラの前で語ってみる
アート紹介&それを音楽にしてみる企画を開始。
色々考えるうちに、音楽だけでなく芸術全般(舞台、映画、美術)にも同じような思いを持つようになったので。芸術は"はぐれ者"を肯定してくれる。
(映画の人物を真似た衣装を着てみたりもする)


◆5月末日明け方:ミスiDに出会う
「自分とは?何をしたいか?を深く考えること」「マイノリティを実感すること」「動画を作ること」「思い切って今までやらなかったような自己演出をすること」
これらが全て前置きだったかのように突然目の前に現れたミスiDに、締め切り当日に出会い応募する。

言葉を紡ぐのに時間がかかり、応募締め切りまであと5時間、みたいな状態で、思いつくがままに動画と写真を撮り(自分でこんな撮影をしたのも初めてだ)編集して23:50くらいに提出。

火事場の馬鹿力的な集中力で出てきたこのアウトプットは、今まで考えたことやってきたことの集大成みたいなものになったし、ある意味嘘偽りのない"本物の自分"の姿な気もする。

スクリーンショット 2020-06-01 2.51.00


全てこのミスiDのためにあったのではないかと思ってしまう流れとタイミング。
応募した後、なんか無敵な気持ちになった。自分の殻が破れていく感じがした。


偶然出会ったミスiDの"必然性"


今、このミスiDに自分の心がとても後押しされている。

自分を見つめること、知ること、気づくこと。
そして"自分"を"見せる"こと。
なんでもやっていいと思えてくるし、なんでもできる気がしてくる。

出会いは本当に偶然だった。ミスiDという存在はうっすら認知してはいたが、Twitterのタグでしか見たことなかったし、何も知らずに「あのメンヘラっぽい」「若い子のアイドルのやつでしょ」みたいな印象があった。

しかし蓋を開けてみたら全然違った。

それぞれの物語があって、みんな「なりたいもの」「やりたいこと」があって、何か原動力があって、必死にもがいてる人たち。
きっとある意味世間からははぐれもので、仲間だなって思った。

よく知らずに、偶然見かけたWebサイトに綴られた言葉に心を掴まれた、それだけの理由で応募したにも関わらず
自分がこんなにミスiDに夢中になり、しっくりきている理由が、色々見たり考えたりしていくうちにわかってきた。


◆"人間"を見てくれる("生き様"で魅せたい)

こんなに"生きてる様”を、"人間そのもの”を見ようとしてくれる場所があるのかと。そして今年のみならず、各年のキャッチコピーがどれも最高。

私が本当に心奪われるものは、音楽でもそれ以外の芸術でも、”生き様” “人間”が滲み出たものだなと、ふと気づいた瞬間があった。
だから私ももっと曝け出さなければ、生きなければ、と思った。

それにあまりにもぴったりだった。

年齢とか、曲の冒頭数秒とか、ファンの数とか。表層の条件だけで人を判断する奴らはクソ喰らえ。


◆自由であること(型にはまらないこと)

私は"大衆”が嫌いだ。
大衆受け、みんなが求めるもの、人がたくさん集まるもの、にはさらさら興味がない。
だからいわゆる"オーディション"というものにあまり触手が動かないし、なんなら少し抵抗がある(それは"逃げ"の口実かもしれないが)。

たくさんの人に評価されそうなものを狙って、受けがいいものに合わせて。
安全圏しか狙わない世界には興味ない。

だからこう、少数派の人間の濃い世界だったり、ちょっと危うい感じというか、アングラだったりマイノリティなものに惹かれる性分で、
ミスiDにはそれを感じてもいる。講談社なのに。

年齢も性別も肩書きも自由。何をしても良い。何者であっても(多少のコンプラをはみ出してても)良い。

自由すぎることが逆にしっくりくるし、自分に合ってる感じがする。


◆「マイノリティ」の光になりたい

マイノリティと書くと特定のイメージを想起させてしまうかもしれないが、「世間からのはぐれもの」「生きづらい人」という意味で
それは特定の性質とか症状とか、そういうことだけに限らず、
生きてきた上でいわゆる「普通」とずれてしまった、あるいは必死に普通のふりしているけど違和感を感じながら生きているとか、
あるいは「普通」に流されずに自分の感性と思想を持って生きようとしてる人とか。

最近感じるようになったのは、そんなマイノリテな人たちが、思っているよりずっとたくさんいるのではないかということ。
世間ってものがそもそも思ってる以上に強大で、だから、その中で居心地の悪い人ってきっと自分が思ってるよりたくさんいて。
(ビリー・アイリッシュの台頭だったり、コロナ禍で色々なことが見えてきたり感じたりもあって)

私のやりたいことは、大勢の人に認められたり注目されることではなくて、似た者同士のマイノリティの人間に、拠り所や生きる希望を与えること
(音楽や表現で拠り所を作ること、"生き様"を晒して希望を与えること)。

それにミスiDのコンセプトはかなり近いんじゃないかと感じている。



※とは言え、私には明確な「マイノリティ」と言える肩書きはない(身近にいたり、自分がグレーだったりはするが、その程度だ)
もしこれを読んで「マイノリティ」の使い方に気を悪くされた方がいたらごめんなさい。





私にはわかりやすく言い切れる特徴、肩書きみたいなものはないけれど(まわりにはそれがある人もたくさんいてかっこいいなと思う)
内には複雑ないろんなものが渦巻いてるし、それがいろんな形でにじみ出て、"マリエ映茉らしさ"として伝わればいいなと思う。

だから少しでも、文章にして出したいと思ってこれを書いている。

カメラテストも終わって、次に進めるかはわからないけれど、
これを書いているのは審査員方に媚びを売るためでもなんでもなく

純粋にミスiDに出会えてすごく嬉しいし、支えられてるし、ミスiDに関わるこの状況がもっとずっと続いて欲しいと思っているので、思ったことを書いておきます。



口だけじゃなくて、その分ちゃんと行動もする(元々この春からそのつもりだったのにコロナのせいで頓挫して。今はその時よりもっとモチベ高いぞ)
フルタイムでバリバリ働いて役職もついてるから時間が、とかなんの言い訳にもならん。やりたいからやるんだし。


すでに色々準備に取り掛かっているし、冒頭一言目に書いた通り
私はここからさらにすごい進化をしていく予定なので
引き続き見ていてほしいです。


そしてチャンスをください。最後まで残りたい。

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ここまで付き合ってくれたあなたは、もはや共犯者かも。



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