見出し画像

【子育て】危険な親の存在、子どもに受け入れられようとしていないか、まず親が素直であること

 おはようございます。今朝は、曇り空の中に青空の空溜まりができていました。梅雨の季節ですが、それほど雨が降りませんね。

 さて、今日は、親の自分が子どもに受け入れられようとしていないか、ということについて書いてみたいと思います。

 今日の話は、どちらかとういうと自分自身の振り返りと共に、反省の気持ちを込めて、これからの思考改善をするために書きます。

 子育てをされている親御さん、または、子どもを預かったり、教育する立場の人にお伺いしたいと思います。普段、子どもと関わる中で、自分の存在を子どもに認めてもらおうとしていませんか。そういう発言や行動はしていませんか。改めて、昨日から今日にかけて、自分自身を振り返った時、自分の承認欲求を子どもに求めている自分がいることに気づきました。

 例えば、ご飯を出したとき、「ねぇ、それおいしい?」、何でもない一言のように思いますが、無意識にこの言葉を言っている自分がいることに気づきました。こわいのは無意識であったということ。子どもに対して、自分が何を求めているのか、深く考えたとき、子どもに対して承認してもらおうとしている自分がそこにいるなと感じました。「おいしい」という答えをどこかで求めているし、そういってもらえることに、良かったと思いたい自分がいるんですね。また、叱ったりする行為も、本当に叱る必要があるのか、自分の権威性を示すために叱るということをしていないだろうか。

 振り返ってみると、あまりにも多くのことを子どもに求めている自分がいて、反省というか、自分が変わらないと子どもの未来が危ないとまで感じています。子どもがしたいと思っていることを尊重しているつもりでも、どこかで子どものことをコントロールしようとしている自分がいるなと、今、感じています。

 自分自身を振り返ったとき、母は私に対していつも、『母にとっての正しい答え』を求めてきました。『自分のことを認めて!』というのが、そのままの言葉として言ってくるわけではないけれど、すべての言動がそれにつながってみえて、本当にしんどかったと感じています。今もそうです。大人になっても、ずっとそれは続いています。そしてそれを、私は恐ろしいことに自分の娘にしてしまっているんですね。自分が怖くてしょうがないです。

 例えば、私と母の関係で言うと、よくあるのが、『これと、これ、どっちがいい』という質問。たいがい、私が『こっちかな』と言っても、自分の思っている答えでないと『こっちの方が良くない』と言ってきます。それで私は、「じゃぁ聞かなくていいやん。自分で判断すれば」といつも思っていました。そして、段々と母との会話の中で、答えを述べなくなる上、母が答えてほしいであろう答えはどっちかを考えたりするようになってしまいました。そうやって、求められる自分になるための思考に段々となって、今の自分がいるし、その自分が今、子どもにどういう言動をしているのかを反省しています。

 最近、娘は自分がこうしたいと思っていることに対して、それを主張してくるようになりました。しかし、それに対して私が時々、今はこっちにしてほしい、と伝えると、一回は反発して、自分はこっちがいい、と言いますが、私がそれに対して、じゃぁそうしたらいいよ、と方向転換すると、必ず、やっぱりこっち(私が言ったこと)にする、と私に合わせてこようとします。だいぶ危険ですね。3歳になって、段々と周りの人間の考えていることや、自分の立ち位置を意識できるようになってきて、自分の思った通りの判断ではなく、親に受け入れられようとする行為が見られます。ということは、私がどれだけ、子どもに対して受け入れられようとしているのか、の現れでしかないと感じています。

 最近は、本当に自分の意見をかなり主張してくるようになりましたが、3歳になるまでは本当に育てやすい子だなと感じていました。しかしこれはただ聞き分けがいい子ということではなく、親の自分が思う通りにコントロールしていただけなのではないかと思うと、これまでの時間を取り戻すことはできないけれど、これからの自分の態度は変えていこうと思います。本当に心からそれを、今日、今、この瞬間反省しています。

 今日、ここで大事だと思っていることは、どれだけ自分に対して嘘偽りなく、素直でいられるかということなのか。誰かに対して評価しようとしたり、逆に自分を受け入れてもらおうと、認めてもらおうとするのではなく、また、答えを誰かに求めたり、誰かに答えを与えようとしたり、そういうことではなく、本当に自分にどこまで素直でいられるか、自分に対して自分がありのままでいられるかが、大事だなと感じています。

 例えば、今朝の話だと、通りすがりのおばあちゃんに挨拶したいなーと思っていたけれど、スッと通り過ぎてしまったり、ゴミ捨て場のごみがはみ出ているのをそのまま通りすぎたり、あー挨拶したいなーと思ったら挨拶したらいいし、ゴミが乱れてて、不快だな、片づけたいなと思ったなら、片づければいい。何気なく、自分が感じている素直な気持ちに従って行動することができていないんですね。子どもに対してだけではなく、夫に対しても、イライラした気持ちをぶつけてはいけないと思っていても、不機嫌な対応をしてしまったり、本当はそうでない方が自分も気持ちがいいし、笑顔でいたいなーと思っても、さっきまでイライラしていたんだから急に素直になれなかったり。しかし、逆にそれができていないことに対して、さらに自己嫌悪になったりして。。。いいことなんて、何にもないなぁと感じました。

 何か言動を起こすとき、1秒でいいから自分に素直になって、と自分に言い聞かせるようにします。素直な自分はどっち、本当の自分はどうしたいの、誰かにどう思われたいとか、そんなことではなく、本当の自分はどうしたいの、子どもや夫から、どう思われたいとか関係ないやん、自分がどうしたいか、そういうことです。そうやってどこまで行っても自分に対して素直になれることが、人生のストレスをなくしていくし、自分に自信を持てることなんだと思いました。

 もっと大きなことを考えていたりしましたが、素直さというのは、身近なところから実践できる、他人ではなく、身近な家族の存在から、自分を見直すようにしたいと強く思った朝でした。今の自分をただ恐れているだけでは、何も変わらない。まずは、自分自身で自分を受け入れること。頭でわかっているのに、わかってないんですよね。絶対に人間は、生まれたときは良いと思うことを素直にできていたと思う。覚えてないけど。娘を見ていたら、そう思う。だから、絶対に自分が素直に『良い』と思える言動をとること、これが本当に子育てには、子育てだけではない人間関係において大切にすることだと考えたので、今日ここに記録しておきます。また、定期的に読み直します。

 ということで、皆さんも自分に素直に、もっともっと思った通りの自分になれるように、なれてないな~と感じる人は、一緒に頑張りましょ~。

 ということで、また次回~^^*

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?