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【子育て】経験や体験は大事だけど、それ以前にもっと大事なことがある

 おはようございます。今朝は、ヘーゼルナッツのフレーバーコーヒーと完熟バナナを食べながら記事を書いています。一人で静かな時間は貴重ですね。

 さて、今日は経験や体験よりもっと大事なことがあるよ、というお話をしてみたいと思います。

 皆さんは、小さな頃にどんな習い事などしていましたか。私は、ピアノとバレエ、ほんの少し学習塾に通っていた時期がありました。しかし、どの習い事も、私の中では中途半端に終わってしまったイメージがあります。ピアノは練習をしないから、バレエは体型が太ってきたから、塾は行かなくても自分で勉強できるから、という理由だったと思います。(そう母から言われた記憶があり、もしかしたら他にもあるかもしれませんが。。。)

 今の子どもたちは、本当にたくさんの習い事をしている子が多いなと感じています。昔に比べれば、習い事の種類が豊富で、少子化といえども、本当にたくさんの習い事がありますね。学習塾に努めていたころ、小学生なんかは塾が週2回あったら、そのほか日曜日以外は全部習い事、なんて子どもも多かったです。(塾に来るだけの余裕があるご家庭ですから、経済的には教育費が高いお家が多いのは確かかもしれません)しかし、中学生になると部活動が始まるので、ほとんどの子が習い事をほとんど辞めてしまうんですね。習い事って、何のためにしてるのかな?って正直、感じていました。

 ピアノを習うのは、ピアニストになるためなのか、サッカーを習うのは、サッカー選手になるためなのか。ほとんどの場合が、そうなってほしい願望はあったとしても、そうなることは想定していないでしょう。では、なぜ習い事をさせるのでしょうか。

 多くの親は、経験や体験が子どもにとって大事だと思っているからではないだろうか。習い事だけではありませんね。学校以外の課外活動や、宿泊を伴う行事(旅行とか、キャンプ。。。)とかもありますね。しかし、大事なことが2つあります。

 1つ目は、親のエゴになってはいけないということ。自分が幼いころにできなかったことを子どもにさせる、自分がいいなと思ったものをとりあえず子どもにさせる、こういった話を聞くと、誰が主人公なの?と疑問になります。体験や経験の主人公は『子ども』です。これは以前にも記事に書いていますが、親は子どもがどちらの方に向かって枝葉を広げようとしているのか、まずは、じっくりと観察することが重要です。その上で、そっと支柱を立てるのです。伸びが悪くなってきたら、とたんにその枝葉を切り落としてしまう。そういうことがあってはいけないわけですね。辛抱強く見守る姿勢がいります。そのためには、その経験や体験を通して、子どもに何を学ばせたいと思っているのか、目的を親側が明確にしておく必要がありますね。これは、親側にとっての大切なことです。これを忘れてしまうと、子どものための経験や体験のはずが、いつの間にか親の満足度を上げるためだけの、体験や経験にしかなりません。子どもたちは、一瞬で自分が主人公でないことを見抜きます。とたんにやる気がなくなってしまう原因になりかねません。

 2つ目は、体験や経験をさせることよりも、子どもの感受性を豊かにしてあげることを大切にすることです。例えば、先日も言語の話のところで少しでてきたかもしれませんが、幼いころに絵本を読んであげるとき、主人公が泣いている場面があったとします。そのときに、どういう声掛けをしますか。まだうまく話せない年齢の場合は、「泣いてるね。悲しそうだね。何で悲しいのかな。。。お友達におもちゃをとられちゃったからかな。」など、本文とは関係なくても、そこでどうして主人公がそういう気持ちになったのか寄り添った一言があると考えが身についてきます。また、少し話ができる年齢になってきたら、もっと簡単に「何で泣いてるのかな?」でよし。色々な情景から、なぜそうなるのかが理解できてきていれば、「こうだから」とか「ああだから」という答えが必ず帰ってきます。また、子どもの方から「なんでなの」と質問が返ってきたりします。その時も、状況を説明した上で「何でだと思う?」と聞いてあげると理由を考えてくれるかもしれませんね。絵本だけではありません。日常生活の中でも、友達関係や先生、親、色々な人と関わる中で、その子なりに感じることがあります。それを、親はどこまで言葉にして引き出してあげられるのか。子ども自身も考えがあり、答えをもっています。正解を与えようとするのではなく、親はあくまでも子どもの気持ちに寄り添いながら、時には、『自分の意見として』子どもに伝えてあげることがあってもいいと、感じています。そうやって、感受性を高めていけばいくほど、子どもたちは体験や経験から様々なことを深く学ぶことができます。

 昔、塾で指導しているとき、高校生の生徒が修学旅行から帰ってきて、Aさんは「先生~修学旅行めちゃくちゃ楽しかった~あれがこれで。。。」と話をしてくれました。片やBさんは「はぁー修学旅行とか、ほんまにつまらん行事、楽しくないし、時間もったいなかったわー」なんて言ってました。どう思いますか。Aさんも、Bさんも、同じ班で同じ修学旅行に行ったのに、感じ方が全然違うんですね。どちらが良くて、どちらが悪いというわけではありませんが、私個人としては、Aさんのように、日常の様々なことから楽しかったことや、ためになったことを前向きに捉え、また人に伝えることで共感を呼ぶような、そういう人でありたいと思っています。そういう持前でいれば、様々な経験や体験が、人生にとってさらに彩を加えてくれると思います。

 だから、もちろん、体験や経験は大切なんだけれども、感受性が豊かでなければ、得られるものも得られない、逆に感受性が豊かになり、高まってさえいれば、特別な体験や経験がなくても、日常から様々なことを学習する力が身に付きます。もちろん、『百聞は一見に如かず』といいますので、経験に勝るものはないかもしれませんが、経験や体験だけがすべてではないということを理解しておきたいですね。ですから、何でもお金をかけて習い事をさせるということ、もちろん金銭的に余裕があれば、させてあげてもいいですが、そういうものでもないのではないかな、と感じています。

 なかなか長い記事になってしまいましたね。。。個人的な考えではありますが、私のこれまでの経験から感じたことを素直に書いてみました。

 ということで、また次回~^^*

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