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■隠したいわたしがいるとき居場所を探していた

💖熱量高めで
あなたを真反対の世界へお連れする💖

お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。


わたしは現在、
心理カウンセリングを通して
心のボタンの掛け違いをゆるめてほぐし

未来を思い出すお手伝いという
お仕事をさせていただいています。



『隠したい自分がいるんです』

震わせるように、絞り出された
クライアントさんのつぶやきは

心の痛み、に並走する瞬間でもあります。



がんばれ。


がんばらないことも含めて


がんばれ。


心の中で思っています。



おうちがないわたし
電話がないわたし
かっこ悪いわたし


わたしの
隠したいわたし、は
子供の頃からたくさんありました。


だけど、
一番気づいてあげられなかったわたし
・・のことのことは


うんと大人になってからの握手となりました。



今日は
「隠したいわたしがいるとき居場所を探していた」
のお話しを書きます。


よろしければ最後までお付き合いください。



気がついたのは9歳の頃。

いつのまにか、わたしの両足は、
今でいう外反母趾になっていました。



もともと、幅広の足の家系で
かつ、学校指定の上履きが合わず


気づけば、なんともいえない
揚げたてとんかつのような足になっていました。



裸足で走る体育の授業、わたしは、苦痛でした。



「何も悪いことなどしていないのに
なぜ?」


そんな気持ちを持ちながらも

「他人と違う、見たまんまの異物」を

「さらす」ことになるため、悪気はなくとも目立ちます。


誰も何も言いませんが、
見た瞬間、憐れまれたり
ギョッとした顔をされることも
よくありました。


いつのまにか、みんなでいるときの
裸足の時は
片足を片足の上に乗せて
出っ張った骨の部分を隠すようになりました。


25歳の時、わたしは、会社で
バレエシューズを
履いていったことがありました。



正直、一日履いているだけで
母趾部分が痛くてたまりませんでしたが
当時どうしても履きたかったのです。


隣の席のおじさんは、
とてもいい人だったのですが


わたしの足の形を見て
笑いのツボに入ったらしく
涙を流して笑い出しました。


わたしも、ツボに入って
笑いが止まらないという人の
気持ちはわかる方なので、理解はできましたが


その時は、自分が思っていた以上に
傷ついていたらしく
給湯室へふらふらと移動しました。



「悪気がないのはわかっている」


だけど誰にも、どうにもしようがないこと。

泣く自分を嫌いながら立って泣いていました。



足りない自分を数える生き方、
価値観を自分にゴリ押しした末
ねじれるだけねじれ切り


何も変わらないことを認める気になれたのは
40代になってからでした。



母趾の痛みから
派遣の立ち仕事が、2日連続で出来なくなっていて
一度痛くなると十日は続きます。


手術でなんとかなるのなら、
もう、この世界からは抜けよう・・と


わたしは、テレビで見た
半年待ちの外反母趾の
スーパードクターを探し
手術をしてもらうことになりました。



4年前、
ちょうど心理カウンセリングの勉強のため
埼玉から福岡に通い始めた頃でした。


手術は片足ずつ、半年ずらして行われました。


片足の手術後、針金を抜いた後

リハビリのため
草履のようなサンダルを履いて
歩くようにしてください、と先生に言われました。



わたしは、もう何年も
自分の素足を外に出したことがありません。


腫れている足は、骨は出ていませんが
手術前の足は不恰好なまま。


それを晒して、歩くなんて・・・

わたしにとっては、ものすごい踏み絵でした。



一人の時は、骨の出た足を見ても
今日も頑張って生きていてくれているね
ありがとう、って思っているのに


人の中に行くと
「恥」を身につけたわたし、と
自分を評価する癖は抜けませんでした。



ごめんね、と隠したい、が同居。


だけど、進みたい自分がいました。



家から5分のスーパーに、
トングサンダルを履いて歩きました。

外の風が、足に触れます。



「ああ、裸足は、こんなに気持ちがいいんだ・・」


皮膚に感じる風は心地よく、
初めて泳ぎに来た人みたいな
嬉しさがありました。


5分の距離ですが、うまく歩けないので、
ウォーキングポール持参です。


それだけでも時々人がチラッと見るので
やや目立ちます。


わたしは、わたしの出っ張った方の足を
見る人を数え始める癖が出ました。


おかしいな?
自分が思い込んでいるほど、
他人はわたしの足を見ません。


やって見て気がついたことでした。


しかしそれ自体、人目を基準に
自分を測ってもいる行為ではありました。


部屋に帰って手術前の足が目に入りました 。



何をやっていたんだろう?
わたしは、何をやっていたんだろう?


当たり前などどこにもない。


ただただ、自分に謝りました。



強情でごめんね。
やさしくなくてごめんね。


生きていてくれるだけで、よかったのに。



わたしの中にある恥の世界とは

他人の軒下を住処にしている意識が奪われる恐怖
とも言えます。



みんなと違うわたし、
生きていていることが恥。


わたしは、許可制の生き方を
鵜呑みにしていたんです。


自分でもわからなくなるくらい
当たり前に、自分に無理ばかり
強いてきたんですね。


いたわりの意味での
「かわいそうなこと」を随分長い間
していたのです。


わたしは自分とゆっくり仲直りをしていきました。


トングサンダルを履いて3回目になる頃には
すっかり慣れてしまい

人目はどうでもよくなっていました。


コンプレックスという名前を借りて

たくさん自分から教えられています。



コンプレックス先生です!

もはや。


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