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兆し4-3 導かれた先で繋がる/圧倒的量とクリエイター1.0ポイント理論

【あらすじ:noteを書くために動いたところ、行動の中に兆しのようなサインが現れはじめた。今回は、ツイッターで大ファンになった窪乃内英策先生の原画展に行ったら原画が当たった(←兆し)。読み解いた兆しの意味は、noteクリエイター全員の集合意識へメッセージだった。】

※投げ銭方式です。最後まで無料で読めます。


原画に名前を入れてもらい、手渡ししていただく、という工程で、ほんの少し、窪之内先生と会話をした。

その時、目を見て言葉を交わしたのだけれど、その瞳のキラキラさは、ちょっと類を見ないぐらいだった。

↓この目のまんま ※ツイッターが張り付かなかった…


先生のエネルギーに触れた、と思った。
瞳は魂の入り口。
だから、その人の魂が映る場所。

ほんとだなあ、と思った。
この瞬間が最も嬉しかった。

原画を受け取ったら
ふつふつと、嬉しさが湧いた。

やったーと、雄たけびを上げる代わりに、
自分の体温にぐっと閉じ込めるようにしたら、
反動で顔がにーーっと笑っていった。

これは表情豊かな女の子の原画に囲まれているせいだな、と思った。
絵につられた。

私はにっこりとした、とんでもなく上機嫌の人、になった。
普段は、こんなに笑ったりしない。

その笑顔は、会場の熱と、先生と見つめ合って生まれた熱のおかげで、3日ぐらい形状記憶されていた。

つまり、じゃんけんで当たってから3日間、
ずーっとニコニコしていた。

かなり怪しい人だけれど、
気が付いたら笑っている、という現象が起こっていたのは、
自分でも押さえようがなかったのだからしょうがない。

全身の細胞が笑っているみたいで、体温も高かった。

この、ただひたすら笑っている態度は、周囲の人に、大変に好評だった。
モテる人の感覚が少しわかった気がした。

魔法をかける落書きを、エーサク先生はたまに投稿するんだけど、あの粉がかかったんだと思った。


圧倒的量とクリエイター1.0ポイント

量をこなすクリエイターや芸術家が好きだ。

狂人的にやり続ける人のことを尊敬している。

自分がそうなりたいからなんだろうと思う。

クリムトも、伊藤若冲も、ニシノアキヒロも、アラーキーも蜷川実花も、ミルトン・エリクソンも、ユングも、荒俣宏も、窪之内英策も(敬称略)

挙げたらきりがないほど、みんなそうだ。圧倒的量。
他人から見ると狂人的な量。
手を止めないで、ひたすら、ばかみたいに、量を生み出している。

本人だけが知る、ところへ向かって。

私は、6歳の頃に本を作る人になりたいと思ってから、しょっぱい紆余曲折を経て、12回目の転職後に、39歳でフリーライターになり40歳で最初の本を出した。去年のことだ。

書く仕事に実際につくまでの、挫折やこじらせ方も年季が入っているので、
書くことからの、逃げ方が、すごくうまい。

書かない理由に、焦点を合わせるのが、すごくうまい。

書くのが嫌になるぐらいたくさんある書かない理由に焦点を会わせ始めると、とたんに、書く手が止まる。

でも、書き始めてしばらくすると、そういう諸々を越える地点にたどり着く。

周りの声も消え、自分の葛藤の声も消え、感情に振り回されず、深い集中の中で、書き出す世界にとどまることができる、という地点

仮にここを1.0地点とする。

1.0に自分を押し上げるものが、量だ。

量という行動エネルギーの結果のみが、1.0を超えていけるカギのような気がしている。

1.0を超える時間が増えてくると、1.0以上にとどまる時間が長くなる。すると、1.0に入りやすくなり、やがては、1.0を超え続けることができるのではないか、と妄想している。


転職の2年前、0.1ぐらいまで落ちた。そこから今、0.8まで上がった。

0.8ぐらいの所から書き始めても1.0にいくには、量的、時間的エネルギーがいる。(ちなみに0.2の距離はけっこうある、という設定)

書き始める前に誤解していたことのひとつに、書く前にやる気がでるのではなく、書いたらやる気が出る、という仕組みがある。

たまにやってくる1.0気分がやってきたら書き始められると思っているのだが、書いていくと1.0に到達できるという道順だった。

だから、いつだって、どんな時だって、結局は、手を動かして書きはじめるほかに方法はない。

0.2の密度

0.8で書き始めてから1.0にたどり着くまで、0.2ポイントの中に詰まった諸々(自分への言い訳)が、最近、面倒になってきている。

0.2の間にあるものって、自分への言い訳、他人との比較、自己否定とプライドが入り混じったような、飲み屋で管理職のおっちゃんが管巻いて説教してるみたいな面倒くさい話をしている人と、同じ匂いがする。

0.2の中身は、とことんまで洗い出し書き尽くす私小説みたいなスタイルだったら面白さになるけど、うまく隠しているようでありながら管巻き説教臭が自分の文章から臭う元になってたら嫌だ。

0.2の間にあるものって、過去の傷とか記憶、思い込みかなと思う。
歳の分だけ、0.2の間に密度がある気がしている。

この0.2の間を軽くしたい。1.0以降の世界で書きたい。

軽くするにも、やっぱり量が必要だという気がしている。

未だに、作品を書く手法について、(他にもnote論など)しつこいほど、書いてしまうのは、0.1だったり、0.5だったりな時の自分に話しかけて、自分で自分をケアしているからだろうと思う。

書いている発言のすべては、いつも自分に向かっている。
過去の自分をひとりずつ昇華している、取りこぼした各年代、各瞬間の自分みんなと仲直りをしている、ような気がしている。書いていると確かにその瞬間に出会う。

0.2の密度を薄くするために出し続ける場、という意味で、noteは大変に、いい場所だ。(これについては加筆型note論に書いた気がするので省略)

0.8スタートに飽きてきているので、0.2の密度が薄くなってスタート地点が移行するサインだといいいな、と思っている。

兆しを読み解く

とまあ、このように常に書き始めに0.8地点で逡巡している、
そんな中での、原画のゲットだった。

この連載コラムは、noteを続けると出てくる「兆し」を追った物語としている。兆しに該当するものを、私が翻訳していく物語ともいえる。

当たった原画は、兆しだった。

圧倒的な作品を作り続けている、アーティスト中のアーティストからのプレゼントだった。

空海の書は、顕微鏡で見ると、炭素の分子がすべて一定方向に並んでいる、という。

目には見えないが、人はそれを感知するので、偽物と本物を並べて、本物を選んでくださいという実験をすると、ほとんどの人が、本物を当てるのだそうだ。

これを聞いたとき、書って、エネルギーを転写して保存するし、その書から今もエネルギーが流れ続けているのかもしれない、と思った。

先生にいただいた絵も、空海の書と同様、紙と炭、コピー用紙にシャーペンで描かれている。

つまり、この原画からは、常にエネルギーが注がれている、ともいえる。
クリエイターエネルギーに触れる入り口ともなる。


宇宙が問の答えを返す方法

細い糸で紡がれているような、兆しをたどって一つ動く。
すると、ひとつまた何かが現れて、ひとつ、コマが進む。

私は6歳の時に、宇宙に問いかけた。
「本ってすごい。感動した!私も、これ作る人になる。どうしたらいいの?」

私は日本語で問いかけた。

すると、宇宙は答えを返してきた。

ただし、宇宙の使う言語は日本語ではなく、物語、という言語だ。

私の人生に展開するストーリー、それが宇宙の答えだ。

答えを全部聞くのに、80年ぐらいかかる(笑)
今もまだ聞いてる途中。

いただいた原画は、「書く人」であり続けるための、強力な私のお守りだ。

そして、今これを読んでいる人のお守りであることも、私は知っている。

これは、note上で、リアルタイムでシェアしながら進行しようという意図を持った時に出現しはじめた物語だ。

noteで関わる全員の集合意識に対する宇宙からのサインという意味を内包している。

noteで作品を作るすべての人へ。「作って、表現し続けて、受信したアイディアを、そのまま、何のてらいもなく、地上へ展開してください、すべての作り手の元の居場所、1.0の彼方へそのまま行っちゃってください」

今回のnoteの神様からの兆し、私はそう翻訳した。

投げ銭方式です。一番下まで無料で読めます。一連の作品(取材費込)というわけで今回、開始してみました。宜しくお願いします。

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