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天国からの贈り物✨

何でしょう、このところ、とても不思議な奇跡ばかり起きてます。

今、私泣いてます。

この気持ちを如何やって言葉にすれば良いのかわかりません。

自伝的小説の何処かに追加記事として書こうと思いましたが、この事につきましては私の自伝的小説を既に全て読んでくださっている方にも、まだ読んでいらっしゃらない方にも、例えば先日書かせていただきました『恩師の形見』のように伝わるかな、と思いました。あまりの出来事に胸がいっぱいで、どこから如何、話して良いのかわかりませんが、頑張って書いてみます。(ああ涙が止まらない)

自伝的小説を読んでくださっている方は、私がショウと再び縁が繋がった、という事は先日の『新月の雫』追加記事でおわかりかと思います。(ショウって誰だよ、ってご存知ない方は、ショウ=私の元恋人の息子、と思ってくださいませ)

ショウは家をリフォームする為、現在色々と片付け物をしています。するとショウの奥様が、

「ねえ、ショウちゃん、この箱って何かしら?」

と、古い木製の箱を、クローゼットの奥から見つけたそうです。

「何だろうなあ・・・鍵付きだな。鍵ってもうないのかな。ああ、思い出した!
これ、父が大切にしていた・・・確か若い頃スイスで買ったとかいう箱だ。何が入っているんだろう?」

ショウは鍵がかかった箱を無理矢理抉じ開けてみました。

開けてみると、紙袋に入ったとても古い辞書が2冊出て来ました。

「随分古い辞書だな、何の辞書だろう・・・」

と、ショウは辞書をパラパラめくってみて

「これ!マリアさんのだ!マリアさんの辞書だよ!」

と、ショウはとても驚いて、私に連絡をくださいました。

「マリアさん、これに見覚えありませんか?」

と、ショウは2冊の辞書の写真を送ってきました。

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驚きました。

目にした途端、涙が溢れました。

それは、34年前、捨てた筈の辞書でした。

そう、あの日、ショウの父親のジュンの研究室へ初めて訪れた時、私はこの2冊の辞書を、研究室のゴミ箱に捨てたのでした。

自分で処分しきれず、ジュンの研究室のゴミ箱に捨てたのです。

「これ、捨てといてね。」と言って。

それは、ブラジルに住んでいた頃使っていた、英語とポルトガル語の辞書でした。私が10代の頃使っていた40年も昔の辞書ですから古過ぎて、表紙を見ても何の辞書なのかわからなくなってしまっていますが、赤い方の英語の辞書はブラジルのインターナショナルスクールで、紺色のポルトガル語の辞書は、ブラジル人の恋人との会話の為肌身離さず頻繁に使っていました。

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私にとって思い出のいっぱい詰まった辞書でした。けれども持っていると物凄く辛くて、捨てよう、捨てようと思っていました。

私は紙袋に辞書を2冊入れ、その日の朝、今日こそ何処か私の目の届かない、簡単に取りに戻れないような場所に捨てる事に決めました。偶々訪れた研究室を出る際ゴミ箱を見つけ、そこに捨てたのでした。

ですが、自伝的小説を書いているうちに、あの頃の思い出の品をひとつでも持っていれば、と、後悔するようになりました。ブラジルの思い出のものは全て処分し、写真から何から全て燃やしてしまいました。ブラジルにいた記憶すら全部消したいと思っていました。けれども恋人との思い出の辞書だけは、最後の最後まで捨てる事ができず、常に持っていた英語の辞書と共に帰国しました。その2冊の辞書も、結局は研究室のゴミ箱に思い切って捨てたのです。

ジュンはその辞書が、きっと私にとって大切なものなのだろう、と、察したのでしょう。英語の辞書にも、ポルトガル語の辞書にも、私はそれぞれの言葉で「宝物」と書いていました。

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レオが指を差して教えてくれた南十字星の箇所は、ページの端が折れていました。

懐かしい・・・

この辞書で沢山ポルトガル語を覚えて、この辞書で沢山愛を語り合って、この辞書で沢山喧嘩して・・・

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この辞書は私とレオの通訳係でした。

ジュンはこの辞書2冊を、いつか私に返そうと思い、ゴミ箱から拾って捨てずに取ってあったのでしょう。また、英語の辞書の方には、私とジュンが、初めてレストランで食事をした際に、私からジュンへお礼のお手紙を友人の千秋経由で渡して貰ったのですが、その返事が挟まっていました。きっとジュンは、私に返事を出そうか如何しようか随分迷い、出せずにいたのかもしれません。そんな届く筈のなかった手紙まで出てきました。レストランでワインを一緒に飲んだ際のコースターも大切に封筒に入り挟まっていました。

鈴木さん(私の事です)

お手紙ありがとうございました。伊藤さんから受け取りました。
先日は私もとても楽しいひとときを過ごさせていただきました。
鈴木さんのお話がとても面白くて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

ローザンヌは、どこに泊まったかは全く覚えていないのですが、街をうろうろしているうちに、ローカルのTV局に迷い込み、ライヴ放送中だったので、その場で「日本のお客さま」としてお話しさせられたのを懐かしく思いだします。
隣り街ヴィヴィエと共に、気品のある佇まいが目立ち、さすが富裕層の避暑地だと感心しました。
ローザンヌのTV局で話したことは他愛のないことばかりで、スイスのシエールに住む友人が夏の間La Sage村のシャレ‐に住んでいて、私を招待してくれたので、10年ぶりに会いに行くところで、その途中でローザンヌに立ち寄っていることとか、ついでに長い間見たかったレマン湖のほとりに佇むショーン城を見るのが楽しみだ、みたいなこととか、スイスの自治の伝統が素晴らしいと思っている、みたいなこととか、お話ししました。

     〜〜〜〜〜 色々書いてありました 〜〜〜〜〜

勿論、お話しさせていただいた本を出版する事になりましたら真っ先にサイン致します。色々なアイデアをありがとうございました。

よろしかったら、これからもお手紙をください。楽しみにお待ちしています。
 
私の研究室へ直接届けてくださると嬉しいです。
私は鈴木さんのご住所へ送りますね。

Do keep in touch      
                   木村 潤

そう、自伝的小説『緋色の三日月』を読んでくださった方ならおわかりと思いますが、あの、ジュンとの楽しい食事の後の手紙です。ジュンはきっと迷ったのでしょう。この返事を出そうか出すまいか。結局出しそびれて私の英語の辞書に、レストランのコースターと一緒に挟んだのでしょう。辞書も捨てずに取っておいてくださったのですね。

34年も経って、私の元へ戻って来てくれた捨てた筈の宝物の2冊の辞書、そして届く筈のなかったジュンからの手紙。これらはきっと、ジュンとレオからのプレゼント、よく頑張って乗り越えて、自伝的小説を書き上げたね、というあたたかな思いが込められた贈り物のように感じ、私は辞書2冊と手紙を抱いて嬉しさのあまり大泣きしてしまいました。
二人共、遠くへ逝ってしまってからも何て粋な計らいをするのだろうと。

二人はずっと、私を見守っているように感じます。

レオ、ジュン、ずっと見守ってくれて、素敵なサプライズ、ありがとう。
21年前、夫の背をドンと押したのも二人でしょう?初めて会ったその日にプロポーズって、おかしいって!夫も未だにあれは不思議だった、何かに強く押されたって言ってるし。

お陰様で私、今最高に幸せです!

2冊の戻って来た辞書や届かなかった筈の手紙、それらを見つけてくださったショウの奥様、と考えますと『南十字星』『緋色の三日月』『新月の雫』全てのお話の締め括りのようになりますので、敢えて物語の追加記事ではなく、このような記事に致しました。
まだ実感がなく夢のようです。レオとジュンから愛いっぱいのサプライズ、まさかこんなエンディングが待っていただなんて、驚きと幸せで胸がいっぱいです。
自伝的小説をこの時期に思い切って書けて本当に良かったと思いながら、ずっと涙が止まりません・・・


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