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ブリュッセル事件 ~ 狂気の結末

御存知の方も多くいらっしゃると思いますが、文学史上有名な事件、ブリュッセル事件につきまして、お話したいと思います。
まだ当時私がブリュッセルに住んでいた7年程前に書いた記事をこの度加筆訂正致しました。また、私がブリュッセルに住んでいた当時、この事件について詳しい方に訊ねたり等して調べた話ですので、真実はわかりません。

ブリュッセル事件につきまして興味を持ちましたのは、24年ぶりに再会しました、高校時代からの大心友、Fの住む町、シャルルヴィル=メジエールが、この事件の当事者のひとりである若き詩人、ランボーの出身地ということからでした。

Fに連れられ、シャルルヴィル=メジエールのお土産ショップへ入りましたところ、詩人、ランボーグッズが所狭しと置いてありましたので、

「彼が?」

と、訊ねましたら、

「そう、ランボーよ。彼は詩人だったのは知ってるわよね。フランスの三大詩人のひとりと言われて、とても若い頃に詩を書いて、その天才的な才能で一躍有名になって。でも、彼はきっと、ここに彼のグッズが並んでいる事を喜んでいない筈。だって、彼はこのシャルルヴィル=メジエールが大嫌いで、何度も家出しているのですもの。その度無賃乗車で捕まっちゃったり。徒歩でベルギーへ向かって家出した事もあるらしい。確か親との関係が悪かったとか、色々言われてる。マリアもよく子供の頃家出してたみたいだけど、ランボーもまた、気性が激しい荒くれ者で生意気で。その、昔のマリアの恋人が、ランボーの気性がマリアに似てるって言っていた意味、わかるわ。Leoもマリアに相当梃子摺ってたもの(笑)心配してある日私にインターナショナルスクールでのマリアの様子を訊かれた事があったっけ。私、笑いながら
『マリアの様子?あなたが考えてるそのままよ。特にBible Classなんか先生と怒鳴り合いの戦争になってるわ(笑)』
って答えた(笑)あの時のマリア、凄かったよね〜!あれ面白がってやってたでしょ(笑)先生との討論がエスカレートして最後は野次ってたわよね、授業終了ベルが鳴ったら先生、そそくさと職員室に戻って行って、熱くなったマリアは『オイ待て!まだ話は終わってねーぞ!この矛盾点を如何説明してくれんのかって聞いてんだよ!逃げるな!』って、職員室まで先生を追いかけてってさ(笑)」

・・・ああ、恥ずかしい・・・。若気の至り。
だけどBible Classの term paper(学期末レポート)Fかと思ったらA +で吃驚しました。日本の学校だったら停学、いや退学レベルの事したのに。先生、あの時はごめんなさい、と、Facebookで平謝りました。先生曰く、
「たとえマリアが過激なobjectionだったとしても、マリアがあれだけ英語で激しく討論できる程深くBibleを読んでくれたのは良い事だと思いました。私にとって、とても印象深い日本人の生徒でした。驚きの連続でしたが、マリアはいいポイントを突いて来ましたから結構私も楽しんでましたよ。」と。さすが先生懐が深い。

そう、昔の恋人だった潤が、私の事をよく、君は丸でランボーのような激しさを持っている、私はヴェルレーヌよりずっと理性的で酒癖が悪くなくて良かった、私はマリアと血を見る喧嘩はしたくないから、と、穏やかに笑いながら話していたのを思い出しました。

その美少年、ランボーの眼差しは何故か、とても惹きつけられるものがあり、彼の詩を読みたくなりました。

Fが撮影したレジでお支払い中の私の画像ですが、思いっきりぶれてしまっていました(笑)ランボーの悪戯か?お土産ショップにて、ランボーグッズが沢山並んでいるのがおわかりいただけるでしょうか。

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先ず、詩の内容に驚きました。彼が16歳~19歳の間に書いたという詩の数々の、何と大人びたこと! 早熟の詩人ランボーといわれる所以に納得しながら読みましたが、溢れるばかりの感性はまさに天才的。とはいえ彼はまだ十代、不安定な年頃にありがちな焦りや憂鬱、鬱憤等の感情を、そのまま詩に投影したようにも感じられます。 『酔いどれ船』ではランボーが大嫌いだったブルジョア社会に対する反逆心が表れていて、ランボーの激しい性格がそのまま表現されていて。また、海の描写はとてもリアルで美しいですが、まだ17歳だったランボーは海を見たことがなく、読書だけで得た知識想像のみで海の様子を描写していた事にも驚きます。後にヴェルレーヌに初めて海を見せに連れて行って貰えた時はきっと子供のように喜んだ事でしょう・・・なんて、凡人で文学的才能の微塵もない私が偉そうに述べることではありませんが、彼の魅力はこんな凡人でさえもわかります。私はすっかりランボーのファンになってしまいました。

さて、話は事件に戻ります。ブリュッセルに来られた方は、グランプラスから小便小僧のある通り沿いの、ベルギーレースのお店の壁面に、こちらの↓パネルを見た事がある方も多いのではないでしょうか。

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ここが、言わずと知れたフランス象徴派代表、三大詩人といわれる中の、ランボーとヴェルレーヌの二人が事件を起こした場所なのです。
このベルギーレースのお店は元ホテルで、1873年7月10日に、ランボーがヴェルレーヌに撃たれたという、いわくつきのお店なのです。

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詩人、ランボーとヴェルレーヌとの出逢いは、ランボーが16歳の頃でした。ランボーが住むシャルルヴィル=メジエールからランボーが送った手紙を読んだ、当時既に文壇に名を馳せていた詩人ヴェルレーヌがパリに呼び寄せたのでした。ヴェルレーヌはランボーの若さと美貌、そして類稀なる才能に惹かれ、また、ランボーの天真爛漫さや時に見せる大人びた言動、激しさにグイグイ惹かれ翻弄されます。
ヴェルレーヌには妻子がいました。ヴェルレーヌはランボーを妻の実家へ招き入れ、多くの知人にランボーを紹介して連れ回ります。ランボーも気性が激しく癖のある人物ではありましたが、ヴェルレーヌもまた、癖の強い人物、ランボーと出会ったヴェルレーヌは物凄いテンションでランボーとカフェで語り明かし、ランボーの虜となります。大酒飲みなヴェルレーヌは泥酔状態で帰宅するなり妻に暴力を振るい、翌朝猛省し妻に謝りもうこんな事は二度としない、と、涙ながらに誓って許しを得ても舌の根の乾かぬうちにまた、ランボーとの愛欲生活へ走るとい日々。 
ついにヴェルレーヌは妻子を捨て、ランボーと二人きり、ロンドンで生活するようになります。 しかし、癖の強い者同士が平穏に暮らせる筈もなく、金銭的にも困窮し、ヴェルレーヌは母親からの仕送りと、フランス語を教えながら何とか生活費を得ていましたが、ランボーはお気楽自由気まま。ヴェルレーヌは妻と幼い息子をパリに残し、絶縁状を書いてまで常軌を逸したランボーとの生活を選び陶酔していましたが、とうとうお金も尽き、二人の間は喧嘩が絶えず、時には刃傷沙汰になる始末。
当然ですが、そんな滅茶苦茶な夫、ヴェルレーヌに妻は別居請求をしてきます。益々憂鬱に塞ぎこむヴェルレーヌはランボーに愚痴ばかりこぼし、ランボーは辟易します。
愛の破綻は時間の問題でしたが、そのきっかけはほんの些細な事でした。あまりにもくだらな過ぎて哀しいですが、7月3日、ヴェルレーヌはニシンを手に市場から戻ってきます。ランボーはそのヴェルレーヌの姿を見るや大笑いし、「何だその格好!どっかのオバサンみたいだ!(笑)」と、からかいます。ヴェルレーヌはランボーのその言葉にブチ切れ、怒り狂って持っていたニシンをランボーに叩きつけ、そのままベルギーのアントワープ行きの船に乗り込んでしまいました。 
ランボーはひとり、一文無しで置いて行かれたという事実に呆然とします。
しかしランボーは、ヴェルレーヌが残して行った家具やその他、売れるものは全て売り、お金にしていました。
一方、金銭的に困窮したヴェルレーヌは何とか妻とよりを戻したいと願います。ですがランボーとの切るに切れない説明のつかない魂の交わりは一生断つ事ができない自分もいるのです。惚れた弱み、というものでしょうか。

長くなりましたが、1873年7月8日、ヴェルレーヌはブリュッセルに到着、そしてパリに住む妻に何とか許して欲しい、和解したい、すぐにブリュッセルに来て欲しい、来てくれないなら死ぬ、と、丸で脅しのような情けない手紙を書きます。当然のことながら妻は現われません。 
ヴェルレーヌは街中を飲み歩き、泥酔状態、そんな中、同様の手紙に反応し、ブリュッセルにかけつけてくれた人物がいました。それはヴェルレーヌの母親でした。同時にヴェルレーヌはランボーにも手紙を書いていたようで、7月9日、ランボーはブリュッセルにやってきました。ヴェルレーヌと母親は、万が一妻がブリュッセルに来る事を恐れ(ランボーと一緒にいる事が暴露ないよう)、ホテルを変えます。 
ランボーとヴェルレーヌは口論、激論を繰り返し、ランボーは「もう君とは終わりだ、パリへ戻る。」とひとり、パリへ戻りたいと言うと、ヴェルレーヌは逆上し、暴れ狂い、脅して見せるもののランボーは冷たく動じません。 恋人も妻も自分を見捨ててしまうという恐ろしい程の絶望に苛まれ、ヴェルレーヌは7月10日にギャルリー・サンチュベール内にある武器商会を訪れ銃を求め、泥酔状態でホテルに戻りランボーに銃をちらつかせます。

ヴェルレーヌが銃を求めたというギャルリー・サンチュベール↓は、私が頻繁に訪れる大好きな世界最古のショッピングアーケードです。この通りの奥を曲がると当時通っていた恩師の占いオフィスがありました。

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銃を見たランボーは「何に使う積りだ?」と、訊ねると、

「お前の為、俺の為、皆の為!」

と、泥酔ヘベレケ状態のヴェルレーヌは自制がききません。

部屋のドアに鍵をかけ、ランボーに向けて引き金を引いてしまいます。ヴェルレーヌは笑いながら

「そら見ろ!お前がパリへひとりで行ってしまうだなんて言うからこんな事に!」と。

その一発目はランボーの左手を撃ち、二発目は床に。ランボーの手から流れ落ちる血を見てヴェルレーヌは一気に酔いが醒め、自分の犯した事の重大さに恐れおののき、ベッドに倒れこむとランボーに銃を差し出します。「これで俺のこめかみを撃ってくれ。」と。勿論ランボーはそんな事はしませんでした。ランボー18歳、ヴェルレーヌ29歳。これが文学史上有名な事件、ブリュッセル事件です。

ヴェルレーヌは母親に泣きつき少しずつ冷静さを取り戻します。ランボーは近くの病院で傷の手当てをしてもらい、その後すぐ、パリへ向かおうとすると、ヴェルレーヌの母親はランボーに旅費を渡し、ヴェルレーヌをホテルに残しランボーと共に南駅へ向かいましたが、ヴェルレーヌに気づかれ、「絶対にパリへは行かせない!」と、錯乱したヴェルレーヌはランボーに銃を向けます。ランボーは素早く交番へ駆け込み、ランボー、ヴェルレーヌ、そしてその母親の3人は警察へ出頭。その後ヴェルレーヌは刑務所に、ランボーはこのヴェルレーヌとの狂気の関係を糧に『地獄の一季』を出版します。 

ランボーが詩人として活動していましたのは、16歳から19歳迄ととても短く、その後、詩から遠ざかり、あちこち転々とした後、交易に従事、その後関節疾患の治療の為フランスへ戻り、37歳で一生を閉じます。 
一方ヴェルレーヌは獄中で書いた詩が高く評価され、ブリュッセルに文士として講演会に招かれます。しかし相変わらず酒癖が悪くアル中、暴力的で最後までトラブルメーカーな厄介者として惨めな一生を1896年、51歳で閉じたのでした。ランボー同様、「秋の日の ヴィオロンの …」で有名な、世に名を馳せる程の詩人、ヴェルレーヌは何とも破滅的で哀れな人生だったのですね。

シャルルヴィル=メジエールのお土産ショップを出る際、

「俺がこのクソみたいな町が大嫌いだったって事、君にはわかるよね?」

そんな、ランボーの声が聞こえたような気がしました。

現在のシャルルヴィルの様子⬇️向かって右側に噴水がありますね。

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お土産ショップで求めたランボーの栞⬇️ランボーが夜、噴水に腰かけ詩を書いている様子が描かれてます。

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Leonardo DiCaprioがランボーを演じている映画があるという事を、この記事を書いた後、記事を読んでくださった数名様から教えて頂き知りました⬇️

全然関係ない話ですが Leonardo は私が初めて愛したブラジル人の恋人と同じ名前です🇧🇷

⬇️こういう粗暴なランボーが好き💓 Leoの演技がランボー憑依して最高❣️

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⬇️ブリュッセルからAmazon UKで DVDを求めました。

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