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最初の夢は「ヴァイオリンの先生」

(クリックすると記事を私の声で収録したものを聴けます)

"The hills are alive with the sound of music..."

これが、私の音楽における原体験だったように思う。まだおすわりもできなかった頃から、母が料理をしていて手を離せないときなど、この「サウンド・オブ・ミュージック」のビデオを見せていたそうなのだが、つけるや否や、私は静かに見入っていたそうだ。何度でも、飽きることなく。このマリアのキャラクターも、どこかで私に影響しているような気がしてならない。今思えば、紙で洋服を作ったりしていたのも、マリアがカーテンで子供たちの普段着を即席で作っていたりしていたのを見ていたからかもしれない。

ヴァイオリンを始めたのは、単なる偶然。東京ディスニーランドに初めて行った時のこと。2009年に閉鎖されてしまった劇場型のアトラクション「ミッキーマウス・レビュー」で、私の当時のアイドル、ミニーちゃんがヴァイオリンを弾いていたのだ。私はその楽器が何なのかも知らずに、「ミニーちゃんとおなじのがやりたい!」とおねだりして、趣味で、近所の音楽教室に通わせてもらうことになった。音大を出たばかりの、とても綺麗なお姉さん先生で、その時、将来の夢は「ヴァイオリンの先生」になった。

小学校にあがり、すっかり「セーラームーン」に夢中になっていた頃、「漫画家」も私の中では大きな選択肢となっていたが、ストーリーを作るのが苦手だったのと、学年の中に私が心底敗北感を覚えるほど絵が上手な友達が2人もいた。けれど、ヴァイオリンを習っていた友達の中では、一番上手に弾けるという自負があった。ちょうどその頃、諏訪内晶子さんがチャイコフスキー国際コンクールで優勝し、その音の美しさと、可愛らしくも凛とした姿への憧れも相まって、負けず嫌いだった私の夢は「ヴァイオリニスト(ソリスト)」になった。

しかしそこから、音楽家としての前途多難な道のりが始まった。プロになるために多くの人が通る試練の道を、自分も辿ることとなった。レッスンも大変になるし、コンクールも待ち構えていた。挫折だらけで、自信という自信は木っ端微塵だ。音楽とは関係のないところで、人生観から何から、全てを揺るがす出来事もあった。正直、小学校高学年から高校2年くらいまでは、断片的にしか記憶がない。もちろん楽しかった思い出もあるけれど、全てに必死だった。その後私は、桐朋学園大学に入学し、大学2年の夏にヴィオラ科に転向する。そこから、まるで生まれ変わったように人生が新しい方向へと向いていく・・・

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ヴィオラ奏者。noteサークル《Serenity Salon》主宰。HP ▶︎ https://www.mariadachi.com/

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