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利害

時々私は家族が息苦しい。前はそんなことはなかったのだけど、ある日、夫が娘を独り占めしようとするのを見てから、私家族に不信感を持ち始めてしまった。
夫は娘に愛されたいらしい。プレゼントをよく買ってきて喜ばせるのが好きだ。しかし娘は買ってもらったものは3ヶ月もすると飽きてまた別のものを欲しがる。
おもちゃや漫画が増えると勉強をしなくなるので、私は夫のプレゼントには反対だった。しかし子供は楽しい方向に流れるもので、厳しい私から逃げるように夫の肩を持つ。
私は娘に、自立した大人になって欲しいと思う。だから必要なときには厳しくしているのだけど、そのことで、夫が私に優位に立とうとしているのを見ていると悲しくなる。そう感じ始めた頃から、私は少しずつ家族と距離を置き始めた。

私の腹から出てきた娘を見た時、なんて利発そうな子だろうと思った。私は出産をずっと怖がっていたけど、「可愛い」という感情よりも、せっかく授かった命だから、大切に育てなければという使命感の方が強かった。

夫は娘が生まれた頃、感動して泣いていた。それからというもの、お風呂に入れたり、ミルクを飲ませたりということを楽しんでやっていた。そして2歳になった娘に「嫌い」と言われたときには、青筋たてて怒った。

私も夫も、愛情飢餓があるのだと思う。でも、愛すべきものに向かう時は全く違う表現になる。夫の方が感情的だ。

なんでも感情が出る方が、伝わりやすい。でも私は喜びの感情よりも悲しみの感情の方が表に出やすい。多分今も、表に出ているかもしれない。「ママって真面目だね」とよく娘に言われる。

子供を産んで知ったことは愛情は必ずしも心地よいものばかりではないといういこと。支配欲や、孤独感、劣等感、私が子供の頃に味わった感情が、どこからともなく噴き出してきて、苦しめられ、病へと追いやられるほどだった。

まだ子供が生まれなかった頃、そんな私を気遣い労ってくれた夫も、今はめんどくさがっている。男女の愛って冷めるとこんなものかな。若い時の夫は私に気を使っていたのかもしれない。

そして何よりも恐ろしいのは、子供が夫婦間に利害をもたらすということだ。相手より自分の方が愛されたいとかいう利己的な感情は双方にあるようで、そんな感情を理性で押さえつけながら、家族と向き合っているが、疲労を感じている。本当に私がリラックスできる所へ行ってゆっくり休めたらいいなと思う。

私は今、頭と心が分離しているのだ。本当の心がどこにあるのか、どんな形をしているのか、これから探さなければならない。

私は良い妻、良い母になろうとは思わない。そんなことをしたら本当に地獄行きだ。私は私の生き方をして、三下り半を突きつけられたらそれは、起こるべくして起こったことだろう。

本当の幸福のために、私はいくつかの覚悟をしなければならない。

(2020年3月に別ブログに投稿)

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