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17.めざまし関白宣言罪 #絶望カプ

 お前に言っておきたいことがある。

 俺より先に寝てていい。
 むしろ起きて待っていられたりすると困る。
 俺はこのとおり、朝も夜も休みもあるのかないのかわからないような仕事だ。頼むから寝ててくれ。

 もちろん、毎日俺より早く起きろなんて言わない。
 そりゃたまに、目覚めて隣に円がいないことにちょっと焦って起き上がったところで、台所に立って包丁でなんか刻んでる円の後ろ姿とかにホッとしたりもしてみたい……ってどんな狭い家設定なんだよ。いや実際、今そんな安い間取りでした。
 一緒に迎える朝は、俺が先に目覚めて、お前の寝顔とか存分に眺めてから、いたずらして起こしてやりたいよ。

 俺は亭主関白になるつもりはない。
 無意味な権威主義は職場だけで十分だ。
 うちはかかあ天下がいい。「オカアチャンの尻に敷かれまくってますゥ」とか飲み会で馬鹿にされるくらいでいい。

 子どもができたら育休だって取れるなら取るし、メシだって俺も作るし、無理なら買ってくるかうまいもんを食いに行けばいい。
 そりゃたまに、愛妻弁当とか作ってくれたら、俺、四十八時間は寝ずに頑張れるけどさ。

「円」

 後ろ姿に呼びかけて、振り返った円にドラマに出てくるみたいな指輪ケースを差し出した。

「結婚してください」

 なかなか渡す機会がなくてずっと持ったままだったから、あのちょっと高級な感じの、卒業アルバムの表紙と同じ素材が毛羽立ってるような気がしなくもない。

「え、今? 私、今スカートのチャック上げてるとこなんだけど……」

 時刻は思いっきり出勤前の午前七時〇二分。
 円の乗る電車は七時二十五分発。駅まで徒歩十二分。確かにぎりぎりだ。
 俺なんて、ネクタイを結ぶ前で、首に両端がたれ下がったままだなんだぞ。
 傍では、おはようテレビがのんきな朝の情報をお届けしてくれている。

「い、いつ渡すの? 今だろ!」

「古いよ……」

 確かになんで今なんだって俺も思うけど、少し首を傾けてピアスを付けてる円を見てたら、ムラムラっと昂ったのだ。結婚欲が!
 この衝動を受けとめくれよ。
 誰にも渡したくない、俺だけのものにしたい、正当に、正式に。
 
「こんな平日の朝のばたばたしてる時に信じられないんだけど。せめて休みの日にしてよ」

「なんでだよ。思い立ったが吉日。しかも今日は大安だ」

 思い立ったと同時に、つい暦を調べてしまった。

 昔交番勤務の時、毎日来るばーちゃんが「今日は〇〇だ」って毎朝教えてくれて、それ以来、大事なことのある日はなんとなく気になっちゃうんだよ。

 それに、警察官って意外と縁起担ぐんすヨネー。
 いやいや、某機構でさえ、ロケット発射前には神社にお参りに行くんですよ? 最先端の宇宙科学を研究開発する機関がですよ? 目に見えない人知の及ばぬ力、とても大事。

「ホント黎ってさー、なんかダサさがあるのよね。なんていうの、昭和感? 良く言えば古き良き……古臭さ?」

「良く言ってないぞ。侮辱だ、昭和ハラスメントだ」

「まあ、それが黎だよね」

 円は「イエス」とも「はい」とも言わないまま、暗い表情になって下を向いた。え、なんで、どうして、どういうこと、まさか、なのか。

「……危ない仕事に行くの?」

「え?」

「ずっと前から、これポケットに入れてたでしょ? 知ってたよ」

「え?」

「この前、珍しくフレンチ予約してくれた時も、実はプロポーズしようと思ってたんでしょ。されなかったけど」

「え」

 いろいろ気づかれていたとは知らなかった。
 それだけじゃなくて、進藤に「円に気づかれないようにそれとなくサイズを探れ」と言ったことも、進藤が円にダイレクトに「先輩が円さんの左手の薬指のサイズ知りたいそうです」と聞いたことも、知らなかったんだけど。

「……それがなんで今朝だったの? 死ぬかもしれない任務なの?」

「え、あ、違う違う。今しかないって思っただけだよ。マジで、さっき急にもう居てもたってもいられなくなっただけで」

 円は左手を差し出し、「指にはめて」と言った。
 円の手なんて握ったことも触れたことも、なんなら口に含んだことだって何度かあるが、今、細い指を掴む俺の手は震えていた。

 進藤のおかげで指輪はぴったりと指にはまり、「会社で聞かれそう。みんな目ざといから」と、円は見慣れない初々しい顔ではにかんだ。

「やば、時間」

 しかし、余韻冷めやらぬうちにそう言って、慌てて玄関へかけて行く。
 おい、ハグとかキスとかないんかい。
 っていうか。
 プロポーズの返事、聞いてないし!

「おい、円……」

「黎」

 円はパンプスに両足を履きいれたところで、俺を振り返った。
 
「わたし、今日の朝を忘れないね。こんな、なんでもない朝に、黎が大事な決意をしてくれたんだってこと。この『なんでもない朝』を、ずっと忘れない妻になります」

 俺が一生忘れないだろう顔で笑って、まぶしい外へ出かけて行った。


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