3.堂道、鉄パンツ!③
「……ひーん! やっぱり来てましたぁ……」
「あ、そう」
リビングに戻ると、堂道が紅茶を入れてくれていた。
ティーバッグの紐がマグカップから所在なさげに垂れ下がっている。
明るい部屋で、スウェットと白いTシャツ、洗いざらしの髪の堂道を久しぶりにちゃんと見て、糸は、またこの人を好きになってしまったと思う。
堂道が買ってきてくれたものは、二種類の生理用品と二枚のショーツ、鎮痛剤とプリンだった。
「……すみません、ありがとうございました。本当に、私ってば課長になんてものを買わせて……」
「あんくらい別に恥ずかしくもねえよ。ダテに年食ってねえんだから」
「年の問題じゃないと思いますけど」
力なく笑うと、「こっち来い」とソファに誘われた。
「穢れが……」
「おま、いつの時代の人間だよ」
はっと笑う。
堂道の笑い方はたいていいつも爽やかではない。糸は、逆にそれだから堂道の笑顔が好きだ。
「つらいか? 薬は?」
「飲みました。ありがとうございます」
肩を抱きよせられ、頭を撫でられた。
こんな優しい人を相手に、拗ねて、泣いて、なんともったいないことをしたのかと糸は自分を責めたが、一方で感情の乱高下が体調からくるものだったのかと納得もした。確かに、ずっと下腹部に鈍い痛みがあったような気がする。
「……すみません、あんなにヒステリックになっちゃって。恥ずかしい」
「別に。あんくらいかわいいもんだよ」
「それに、せっかく久しぶりだったのに……」
糸の頭に、堂道の顎が乗せられて、髪の毛にキスをされた気配がした。
「……糸、ごめんな」
「それは何の『ごめん』ですか!?」
慌てて身体を離して、不安げに堂道を見た。
それでも、撫でる手はやまない。
優しく何度も上から下へと撫でられながら、
「いいんだよ。抱けない方が」
「私は残念で仕方ないんですけど!」
「俺も残念は残念だけど。……実は、ちょっとホッとしてる。情けねえ話。……ごめんな。せっかく会いに来てくれてたのにさ、追い返したり、愛想なくて」
糸は静かに首を振った。
「それは、私が勝手に会いに来てただけだから……嫌がられてるのに……」
「嫌なわけあるかよ」
堂道は糸の頬に手を添えた。
「実際は、すげえ嬉しかったんだけどな。こんなんなっても糸が会いに来てくれるのがさ。帰したくなかったけどな、俺だって。毎回、歯ァ食いしばってんだぞ。……なのに今日は引き留めちまって。でも布団買ったり別の部屋に敷いたりさ、中途半端すぎることやってんの、わかってんだけど。悪あがきした」
「それは、堂道課長の言う『けじめ』のためですか?」
堂道はローテーブルに伸びて、自分のために入れたコーヒーを取った。
身体の向きを変えて、静かにそれを一口飲む。
「本社に帰れるかもわからんし、そのうち、こっちの水の方が合うってことになって根を下ろすことになるかもしれねえし。やっぱり若いお前を、俺が縛るわけには」
「そこは、俺がグルグルに縛ってやんよォ! くらい思ってもらっていいんですけど」
「なんでヤンキーなんだよ」
「……え、むしろその質問に、私がなんでと言いたいですが」
「俺はヤンキーだったことは一度もねぇ」
まったく説得力のない強面でそう言い、また糸を胸に抱き寄せた。
堂道の匂いが近くからして、糸はたまらずその首元に顔をこすりつけた。
「この年だからこそ、その辺はしっかりしなきゃと思うんだよ。おっさん通り越して、もうジジイだよ。それでもやっぱ考えるんだよ。お前が大事だから、俺なりの全力の誠意で大事にしたいと思うんだ。つーか……」
「……つーか?」
糸が促すと、堂道は言いにくそうに、「最近、糸の親父さんの顔がチラつくっつーか……」
堂道が決まり悪そうに言う。
「父の顔なんて知らないでしょ! 勝手にプレッシャー感じないでくださいよ!」
「いや、なんか年齢的にそっちにも半分足突っ込んでるっつーかさ……」
確かに、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、堂道の懐の広さには『お父さん感』を感じないこともないが、最初から糸の中で堂道は男だった。歳の差があることの意識は常にそれほどなく、恋愛対象としての雄として見ている。
「……わかりました。もういいです」
糸は顔をしかめて言った。
ため息とともに、手にしていた紅茶のマグカップをローテーブルに置く。
「課長がそこまで言うのなら、別れたってことでいいです。はい、私たちはお別れしました、残念です。さようなら」
「え、ああ……おう」
虚をつかれたような堂道の表情の中に、傷ついている様子を少なからず見つけてから、糸は畳みかけた。
「ここは課長を立てて、一応『別れた』ってことにしておいてあげます」
「ハイ?」
「もう別れてても別れてなくても、どっちでもよくなってきました。年の功アピールも年長者の御託ももう十分」
「おま、ゴタクって……。あのなぁ、俺なりにイロイロ……」
お前もこの年になったらわかるよ、年取ったら動く前に理屈ばっかでがんじがらめになるんだよ、年と共にビビりになるんだよ、オッサンって若者よりよっぽど繊細なんだよ、と更に御託を並べる堂道を「はいはい」とあしらいながら、糸はソファに足を上げ、堂道に抱き着いた。
「……オーイ、糸チャン? 話聞いてました?」
「聞いてます。課長の気持ちはよーくわかりました。だから、私が勝手に襲います。私は今後、『フラれてもしつこくつきまとうストーカー』って事で」
「へ? あ、おい……ん」
まるで会話の延長のような違和感のなさで、糸は堂道に唇を寄せる。
「糸、ダメだって……」
そのまま、触れるだけではない交わりを、何度も角度を変えて繰り返し、だんだんと堂道をソファの背に押し付けていった。
積極的に応えようとしない堂道は、主導権を握られ、されるがままだ。
「ちょ、い、いと、んはっ」
「んんっ」
「はっ、ちょちょ、待てって。ヤバい。俺だって溜まってんだよ。その気にさせんな」
「私だって溜まってますから」
「いやいやいや、いや、ほんと、マジでヤバい。これ、シャレになんねーレベルの生殺しだから。暴発したらどうすんだ。そんなん、俺、恥ずかしさで死ねるから」
「口でしましょうか」
「アホウ! 女が生理でできねえからって口で奉仕させるとか、んなサイテーなことできるかっ!」
明らかに腰が引けて、強い力で体ごと剥がされても、また堂道に向かって手を伸ばす。
「おい! オッサンの決意を尊重してくれ! オネガイシマスから!」
結局、その後もかなり際どかったが、どうにかお互いキスだけで我慢した。
ただ、キスだけはもうそれはたくさんして、まるで、その先に進む勇気のない中学生のようにひたすらにキスだけだった。
新しい寝具は使わなかった。
*
その週、糸は初めて二泊して東京に帰った。
それから二年もの間、堂道は『別れている』主張を続け、もはやそれは誠意や覚悟というより意地のようだった。
糸はその分、どんどんと粘着なストーカーにならざるを得ず、しかし、堂道の意志は恐ろしいまでに頑なで、強姦に近い糸の誘惑に陥落したのは二年のうちで、たったの五回だけだった。
「欲求不満で浮気しますよ!」と脅しても、堂道は主張を曲げることなく、その五回さえ、堂道には自分を許せない相当な汚点になった。
終わって、激しく後悔している様子を見ると、糸も直後は少しは反省するのだが、やっぱり次に会いにいく時はまたけしかけてしまう。
堂道の葛藤がまた、糸には甘いご褒美でもあったのだけれど。
Next 4.堂道、次長!①に続く
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