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7.堂道、最終章!①

池手内いけてない課長ォ、コレもうちょっとわかりやすく書けねえんですかネェ?」

「い、いや、それは夏原さんに頼んだら……」

「お言葉ですが、夏原さんは課内でも特に見やすいレイアウトで資料を作る事務サンなんですけどネェ? まあ、例えば百歩譲ってこれを夏原さんが作ったとして、課長はそれを指導する立場にあるんですがネェ?」

堂道が次長になって、直接平社員が怒られることは少なくなった。
 当然ながら、その代わりに叱責を受けるのは各課の課長だ。

池手内いけてない課長、朝からかなりやられてるねー」

「いいぞもっとやれ」

コピーやお遣いのついでを装って席を立ち、糸と夏実と小夜、三人で井戸端会議だ。
 次長から見えない位置での立ち話からは、へこへこ頭を下げている二課の課長の後ろ姿が見える。

池手内いけてないは堂道の後釜に座った二課の課長で、入れ違いで地方支社から栄転して本社勤務になった。堂道の二つか三つ年次は上らしい。
 堂道に負けず劣らずの課内の嫌われ者で、「堂道嫌いはもはや細胞レベルでの拒否」という夏実に、「堂道課長の方がマシだった」と言わしめるほどのイケテナイ人物である。

それにしても、堂道も先輩部下を気遣って普段は指導時もどこか遠慮がちだが、今日はネチネチとくどく、嫌味っぽくて、普段の部下に対する池手内課長の態度と大差ない。

小夜も気づいたようで、
「なんか次長荒れてる? 昨日までは、次長おとなしいねーって話してたのに。どうしたー?」

「あー、それがね」

糸は、先週末にかかってきた母からの電話を二人に話した。

『あー、糸? 来週末お父さんと東京行くから』

「え、何しに!?」

『堂道さんに、お父さんが話あるって』

「わざわざ出てこなくても! 話なら電話でいいよ。それか、私が行くし!」

『まぁ、そっちでのあんたの暮らしも見たいし』

当然、萎える。
 糸は、どうにか再開は可能だったが、堂道は無理だった。
 「男はデリケートなんだ」と主張し、コンドームは空のままゴミ箱に捨てられた。

結局、楽しかったはずの船上の週末は、ラブラブなムードで締めくくられはずが、次の日曜日には一人、家に帰され、糸は堂道に自室の掃除を命じられた。
 
「お母さんにどんな話って聞いても『そっち行ってから話すって』って教えてくれなくてさー。わざわざ来るなんて、なんとなく悪い話な気がして……」

「ああ、それで次長、情緒不安定なのねー」

堂道は「俺、まだ何も頑張り見せれてねえぞ! 仕事にかまけてたぞ!」と急に焦り出し、「ああ、お父さんに内緒で同棲始めてなくてセーフ」と、堂道の家に置いていた糸の生活用品をまとめ出し、戸棚にしまった。
 両親が上京したとして、堂道の部屋を訪れることはないと思ったのだが、したいようにさせた。

そのあおりを受けて、禁欲中だ。
 そんな気分になれないというのが一番の理由で、「俺、ワリと縁起担ぐタイプなんだよ!」と願掛け的な意味があるらしい。

今週は、糸が堂道に家に行くことも禁じられている。
 よく寸止めのまま耐えられるものだと思ったが、そのあたりは長年の体育会系部活動で心身ともに鍛えられていると自慢にならない自慢を聞いた。

当然、糸も心配だし、不安だし、申し訳ないし、で
「こっちだって情緒不安定だよ。次長、急にヒヨちゃってさ」

「そりゃ日和るだろうよ。自分の立場考えたら、次長にとっちゃ基本負け戦だもん」

夏実も珍しく堂道に同情的だ。

「あー、もうなんで親の事でこんな悩まされなきゃいけないの!」

午後、それなりに仕事をこなしていると、「ああ、あれ、資料室か。俺、今、手ェ空いてるから見てくるわ」と言う声が聞こえた。
 糸は常に次長席に耳をそばだてている。

堂道が席を立って、フロアを出ていく。

糸は、パソコンの画面の『保存』をクリックした。
 静かにドアを開けて身体を滑り込ませると、堂道はバサバサと投げるように古い資料を乱暴に箱に入れている。
 相変わらず埃っぽい部屋だ。

「……堂道次長」

「うぉわッ! び、びったァー。なんだ、糸かよ。脅かすな。何? 何か用か」

「……資料室の約束、果たしに来ました」

堂道が資料室に来ることなどそうそうなく、この機は逃せない。

「ハァ? あんなん冗談だろうが。第一、仕事中」

「怪しまれずにナチュラルに抜けてきましたから」

「ナチュラルだろうが、気づく奴は気づくだろ。サボってて、課長に睨まれても知らねえぞ」

「次長が許せばオーケーです」

「いやいや、俺も許さねえよ?」

「……この部屋、内鍵もあって、何かして下さいって言ってるようなものですよね」

糸は後ろ手に施錠する。
 
「おま、何考えてんだ。ここ、会社」

ようやく堂道は仕事を中断し、糸を見た。

「つーか、電器切れかかってんな」

「……総務に言っておきます……」

ちかちかと細かい点滅を繰り返す蛍光灯と、つれない堂道の態度が全く「いい雰囲気」とならない。
 襲われることの身の危険の種類が、ホラーやサスペンスのそれになっている。
 社内で「そういう」気分になるのは、思ったより難しい事らしい。
 残業中ならともかく、今が真昼間ということもある。
 
 しかし、糸は気を取り直して、
「私だって欲求不満なんです。なにも最後までシてくれとは言いませんから、ちょっとキスくらい……」

「いいけど……」

そう言って、汚れた手を叩いて払う。
 足元の荷物をよけながら、堂道が入口に立つ糸に近づいてきた。

「この部屋、カメラついてっから」

「え」

もたれるようについた片手で囲われ、棚に押し付けられる。

「え、じちょう……ちょっと、まって」

「鍵もアナログだし、入退室の記録が残らねえから、俺らの他にもヤラシーことしてるやつらいるだろうな。けど、人事は見てんじゃねえ?」

怒りを殺しているような笑顔で、因縁をつけるように顔を近づけてくる。
 こめかみに青筋が見えそうだ。

「え、え、え」

「俺もお前も査定には響くぞォ。どうする玉響サン? 俺は、とうとう淫行上司の称号まで手に入れるのか」

「すみません! 嘘です!」

糸は自分を閉じ込める身体を、突き飛ばした。

「よし、懸命な判断だ」

「資料運ぶの、手伝います……」

堂道はうんざりとしたため息をつき、「よっこらせ」と資料の入った箱を持ち上げる。
 その中からファイルを二、三冊、糸に押し付けた。

「今日、ウチ来い。こんな真似させてそのままってのは不憫だろ」

「次長だって溜まってるんじゃないですか……? この前寸止めだったし……」

「バァカ。俺ァ、胃の方がイテぇ」

そう言いながら、段ボールを片方で抱えなおし、中からの鍵を開けた。
 しかし、ドアがなかなか開かず、堂道の後ろでしゅんとしていた糸は不思議に思って、顔を上げる。
 堂道が振り返っていた。

「次長? どうし……」

言葉の途中で唇を持っていかれ、舌が入ってくる。
 キスは予想に反して長く、何度も角度を変えて交わる。糸は、腰が砕けそうになったところで堂道に支えられ、ようやく離れた。

「じちょ……」

「ここまで」

とろけた顔で、どうにか「人事……やばいんじゃ……」と呟くと、「ここは死角」と得意げな顔で見下ろされた。

「さ、戻るぞ」

余韻あっけなく、扉が開く。廊下の明るさが眩しい。

「社内恋愛してるやつらいたら教えてやれ」

「っていうか、なんで次長知ってるんですか? 経験者なんですか!?」

荷物を抱えて、並んでフロアに戻る。

「今日、仕事、何時に終わりますー?」

「はいはい」
 
「あ、次長、口紅ついてるかもですー!」

その夜、二人は帰り道で待ち合わせをして、帰宅とともに早急に抱き合った。

まず、玄関のドアが閉まったそこで、長い間キスをした。その場で立ったまま唇を貪りすぎて、センサー式の灯りがしばらくしてから音もなく消灯した。

そのほかの、どこの照明もつけないまま、寝室になだれ込んだ。

服を脱ぐのも途中の、必要な部分だけをはだけさせただけの格好で、
「はァ……、ったく、結婚の許しが出なかったら、糸の、せいだぞ……」

まるで不本意なセックスだと言わんばかりの堂道だが、愛撫は焦らされているのかと思えるほどに丁寧だった。

「あ、あ、はぁ……ん。じちょ、もう……あんっ!」

糸を見下ろす堂道の固めた髪が、ぱらりと崩れる。
 それからはただ翻弄されるだけだった。
 何も考えられなくなった。

ゴムを捨てた堂道は、うつ伏せになったまま動けない糸の背中を撫でた。

「おいおい、誘っといてそのザマはなんだよ」

「いつもよりはげしかった……です。じちょう、すました顔して、やっぱりたまってたんじゃないですかぁ……」

「いやあ、俺自身が一番驚いてるわ。このトシになっても性欲ってあるもんなんだなと」

「……エロおやじくさい」

喉渇いたと堂道が呟くが、あいにく寝室に飲み物の用意はない。
 しかし、わざわざキッチンへ行くのはおっくうらしい。糸も右に同じだ。

諦めて、
「ピロートークでする話ではないが、お父さんたち、何時ごろ東京来るんだ? ランチ、どっか予約しとくのでいいか?」

「……ああ、あとで母に聞いておきます」

「マジでこれだけは言わせて。俺は、許してもらえるまで一年でも二年でも我慢するくらいのつもりだったんだからな」

会社から帰ったままで、酒も入っていないのに、糸は、脱ぎ散らかした服と床に落ちている下着をあえて目に入れてから、
「この状況で、これ以上ない今さら感……」

「糸」

「……はい」

「俺は、どんな結果になっても受け止めるし、待つ覚悟もしてる。……と言いたいところだが、あんまり待ってもいられない年齢ってトコロは、できればオトウサマにご考慮頂きたく……。それでなくとも、俺が糸といられる時間は、世の中の夫婦平均よりすでに少ない」

「……長生きしてください」

堂道は脱力している糸をごろんと裏返して、自分の胸に抱いた。
 いつのまにか、ワイシャツは脱ぎ捨てている。

「俺は、もう人生の折り返しも過ぎたしがないリーマンで、この先、運よく出世できたところでよくて部長止まりだ」

次は部長と呼ぶことになるのかと呟いたら、「いや、まだならねえし、いつまで役職呼びするつもりなんだよ」と頭を顎でつつかれた。

「俺がいなくても会社は回るが、それなりに今までやってきた仕事に自負はあるし、歯車の一つであることに誇りを持ってる。昔……、俺が師士業じゃねえって嘆くウチの女共に『夏至は企業戦士だ』って父親が言ってくれたことがあってさ。親父も冬至も「自分たちには到底、夏至の仕事はできない」って。座右の銘ってのは言い過ぎだけど、その言葉はわりといつも俺の頭ん中にあったりする」

「……堂道家の皆さんは、意外と夏至ちゃんのこと認めてるってお見受けしましたが」

「家族で一番社会性があるのは俺だからな……。俺は、あの家の唯一の良心だ」

堂道は鼻で笑ってから、
「前の結婚がダメんなってからは特にがむしゃらに働いた。それで思ったんだ。仕事は裏切らねえ。そうやってたら、いつの間にか仕事イコール人生みたいになっちまった」

伸ばした手で堂道の顔に触れると、伸びた髭の感触があって少し痛い。
 堂道はされるがままになっている。

「糸と結婚しても、やっぱり仕事人間なところは変われねぇだろうし、寂しい思いをさせることもあると思う。けど、こんなオッサンと結婚するんだからせめて稼ぎくらいはねえとな。ただ健康には気をつけるし、体力維持にも努める」

子どもは欲しい。
 性別に希望はないが三人欲しい。

堂道は滔々と結婚後の抱負を語り始めた。

「家事も育児も可能な限り手伝う。糸が仕事を続けるかどうかは、糸がしたいようにすればいい。戸建てを買えるかは微妙だけど、庭付きは理想だ。明るく楽しい家庭を作りたい。子どもとアウトドアがしたい。スポーツの習い事をさせたい。記念日は忘れない。スイートテンにはダイヤを贈る」

「スイートテン? なんですかそれ」

「知らねえのか! 結婚十年目にダイヤを贈るイベントだ」

「わあ、なんですか、その素敵イベ!」

糸が身体を起こして興奮気味に言うと、「……毎年でも贈ってやる」堂道は糸の額に口づけた。

「以上を、お父さんに陳情しようと思うが、どうだろう……」

真面目な顔でそう言った。
 情事後のベッドで、半裸の糸を胸に抱きながら。

「さあ、どうでしょう……」

言いながら笑ってしまった。
 不安はいまだ残ったままだったが、怖くはなかった。

そして、週末。
 堂道が陳情するまでもなく、上京してきた糸の両親はあっさり結婚を認めたのだった。

Next 堂道、最終章②に続く

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