
食中毒シリーズその1:病院は4度聞く
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友人達と連れ立って、ワイン好きが主催するワインテースティングの会に参加した。毎回テーマがあり、それに合わせて皆でワインを持ち寄るのだが、その日のテーマは「10ドル以下で買えるワイン」。
安く買える美味しいワインを皆で探そう・・という趣旨だったが、主催者の小さなワンベッドルームのアパートには50人ほどが押しかけて、中庭で騎馬戦を始めるもの、家の中にあったヌンチャクを振り回すものも現れワインテースティングはただの乱痴気飲み会と化した。
安いワインはそれなりに美味しいものもあったが、誰かがふざけて「マニシェビッツ」を持ってきたのでそれで会はさらに盛り上がった。
(manischewitzwine.comより)
「マニシェビッツ」。ユダヤ系食品会社のブランドが出している甘い甘いコーシャーワイン。なんでも砂糖が入っているらしい。もともとパスオーバーなどの時に飲むものらしいが、なぜか中華系にも人気で、中華系の結婚式に行くとなぜかVSOPと共にマニシェビッツが所狭しとテーブルに並んでいることもある。
私がコップに半分だけではあったが飲んだのなんかは、ラズベリー風味か何かが施してあったような気がする。「ラハイム!」(ヘブライ語で乾杯の意味。ハ、の部分はタンを吐くような音をのどから出す)とみんなで叫びながら、肝試しのような感じでそれを飲んでは踊っていたのだった。
そんな安酒がまわったのかは分からないが、帰宅後吐きまくって夜が明けた。さらに翌日みるみる鳥肌と高熱が出て38.5度。
二日酔いにしてはおかしい。
その後2日間ほど胃が痛み食べ物が喉を通らない。そして3日目の朝、気持ち悪さで目が覚めた。
ああこれはやばい、と思うまでもなく早朝からトイレで本格的加トちゃん状態である。ぅおえぇ〜ぼえぇぇぇぇ〜
もはやこれは、二日酔いではない。
かかりつけの病院の予約係に電話する(もちろんすぐにはつながらない)。
「どうしました?」というので数日前からのことをえんえん説明する。
ここでただ「予約したいんですけど」というと、緊急度が低いと見なされて「では2週間後に」ということになってしまう。どれだけ苦しくしんどいか、息も絶え絶えな声色を使い予約係にアピールする。
必死の訴えが功を奏し、「それは二日酔いではないわね。ではナースに回します」となった。電話で問診をしてアドバイスをしてくれるナースの人がいるのだ(もちろんすぐにはつながらない)。
ここでもさらに今までの状況を繰り返す。
吐いたあと薬を飲んだか、吐いたものに血は入っていないか、少し突っ込んだ質問をされ、吐いた時の対処法などを教えてくれる。
アドバイスナースの人は、緊急度を判断して、普通の予約だったら2週間待ちのところを、今日病院にこれるように手配してくれた。私のかかりつけの内科医は予約が一杯だというので、Nurse Practioner(N.P., 医療診断行為もできるナースさん)の予約を取ってくれた。
はぁ〜。予約を取るまでの所要時間約30分。
めでたく病院に行くと、次はすごいつけ爪をつけた若いナースのお姉ちゃんが診察室に連れて行ってくれる。
服も靴もつけたまま体重計に乗ったのに、普段の体重より減っていた・・・
熱を測り血圧をはかり、また「どうしました?」と問診が始まる。また数日前からの状況説明をえんえん繰り返す。もう勘弁してぇー
しかしこのナースが診断をしてくれるわけではない。「では少々お待ち下さい」と放置され、しばらく部屋に一人で待つ。
15分ぐらいして、ようやくNPのおばちゃんがやってきて、「どうしました?」
またかーい!!さっき伝えたことは聞いてないんかーい!
いい加減疲れるが、1日のあいだに4回も説明をしていると、だんだん簡潔に説明するのがうまくなっていくのがわかる。しかし病気の時にプレゼンのスキルをあげる訓練をさせてもらっても嬉しくない。
しかし私がこれだけプレゼン能力を振り絞ってここまでたどり着いたにも関わらず、腹に聴診器を当てたNPのおばちゃんは
「二日酔いではないし、ウィルスねきっと・・・・しばらくは消化のいいものを食べて。ブリトーなんて食べちゃだめよ」
食べるかそんなもん!!しかもそれだけなんかーい!!
チーン、診察料15ドルなり・・・疲れただけだった。
結局数日間、微熱と胃の痛みに悩まされ、ブリトーどころか旦那が作った、消化に悪いコーン入りお粥さえなかなか食べられない状態が続いた。
**
原因が全くわからなかったこの謎の吐き下しだったが、その後、「みどり子」が登場したことにより、ネットで色々調べた結果、ぴったりの症状を見つけることができた。
それは・・
「サルモネラ」。
吐き下し、そして急な高熱。
それよりも何よりも、キーワードはこれ。
「緑色の便」。
みどり子と名付けたそれは、最初は青汁色をしていたが、その後日を追うにつれ美しいエメラルドグリーンの発色に変わっていった。
通常にはあるまじきその色。しかしその翡翠のような美しさ、その色の変容には一抹の感動を覚えるほどであった。
そしてみどり子が通常の発色に戻った頃、ようやく私の謎の食中毒症状も終焉を迎えたのであった。
結局何に当たったのかは最後まで不明。しかしこの経験から私は混ぜものがあるワインには冗談でも絶対手を付けないこと、医者にかかるためには窓口でまず必要以上に辛そうな演技をすることを覚えた。
そしてナースに対していかに簡潔に辛さを伝えるか、「エレベータートーク」ならぬ、「問診トーク」も身に着けた。
いずれにせよ食中毒で病院にいっても大したことはしてくれないので、家で必死に耐えるしかないということもよく分かった。
そして、あまりの美しさに心を奪われた「みどり子」さんには、その1年後、牡蠣を食べた際に再会を果たすこととなる。友人と出かけた牡蠣祭りで食べたたった2粒の牡蠣に、私だけ大当たりしたのであった。
また私だけかーい!
まだまだ食中毒の旅は続く。
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