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インドのスラム街の教育支援をするはずが、はじめの一歩で心が折れてしまった。

インド・ムンバイにはダラヴィという有名なスラム街があります。映画「スラムドック・ミリオネア」の舞台になった場所で、印象に残っている方も多いかと思います。

ダラヴィは世界最大級のスラム街と言われ、エリアの広さも人口密度も予想以上です。応急処置的にできた街ではなく、歴史的にインドの各種産業の土台を支えるインフォーマルエコノミーの中心部なのです。インド各地の貧困州から大都市ムンバイに引き寄せられ、ダラヴィに住み着く労働者が今も増え続けています。

一大産業である皮産業。完成品がドバイやタイに輸出されるそう。日本の取引先もある。

ダラヴィでは自然と小地区ごとに同じ母語を話す人々(インドでは約850 もの言語が日常で使われている)が集まって暮らしているため「ダラヴィに行けば全インドが分かる!」と言われています。確かに、よく見ると玄関の飾り付けや人々の服装も路地を越えると少しずつ違ってくることが分かります。

リサイクル産業も巨大。プラ廃材を屋上で乾燥させ、路地で仕分けをし、小さな工場で粉砕する。危険を伴う作業。

私は最近、このダラヴィに通うようになりました。(信頼する地元のパートナーと一緒に。他国のスラム街と比べてダラヴィの治安は悪くありません。)彼らの生活を知りたい、課題を知りたい、できることなら力になりたい。そんな想いがずっとあるためです。

ある日、ダラヴィの中にある公立小学校を見学させていただきました。可愛らしい制服を着た児童たちが所狭しと席に座り、先生の後に続いて英単語の復唱をしていました。

Monday! Tuesday! ウェドネスデイ!

ヒングリッシュで水曜日は"ウェンズデー"ではないよ。
みんなで勉強、楽しそう!

廊下から覗く外国人の私に気がつくと、手を振ったり恥ずかしそうに目を逸らしたり、本当にみんな可愛らしかったです。

廊下を進むと、いくつか特別教室を見つけました。図書室、コンピューター室、理科室など。楽しげな雰囲気に心が躍ります。しかし、近づいて見てみるとそのドアの全てが南京錠で固く閉ざされていました。中を覗くと、室内は埃まみれ。長期間使われていないことが明白です。教室の壁には誰もが知るインド財閥系企業のロゴと超大手国際NGOのロゴが入った看板が飾られていました。彼らの寄付により、特別教室が設置されたのです。

パートナーのクリシュナ氏が、鍵のかかった図書室を見て嘆く。

学校関係者曰く「寄贈された教室はお偉いさんがオープニングセレモニーでテープカットをしたら、そこで役目は終わり。この特別教室を使える教師もいなければ、教師に払える給与もない。教材を使うノウハウもない。」と自嘲気味に教えてくれました。児童の気配が全くない教室を見るのはなんと悲しいことでしょう。扉の向こう側には楽しげな本や教材が沢山あるのに、鍵がかかっていて使えない児童の気持ちを考えたら胸が締め付けられるようでした。そんなことなら、始めから無い方がマシだとすら思いました。

廊下にはネズミが我が物顔で走っています。モップをかける清掃係の女性は、つい数年前にここら辺の小学校を卒業したであろう若い女性でした。「ネズミはどこ?」と私が聞いたら、茶目っ気のある表情で「下の階に行ったよ」と教えてくれました。

ネズミに遭遇した経験がほとんどない私は、日本のゴキブリの方が怖い。

学校を後にし、学校の受託者(コミュニティの有力者で政治家)に話を伺いに行きました。なぜここに?というような何かの小さな工場で、男性労働者たちに囲まれながら、私ができそうな教育支援について説明をしました。それを黙って聞いた後、有力者の彼は拙い英語でこのように話しました。

ここは社会の底辺の労働者階級で働く人の製造工場だ。
いい教育を受けたって、その先がない。
本を読む文化はない。教師に払う給与も政府からは支払われない。
ダラヴィの小学校を卒業したら、毎年1万人の子どもはそのまま親と同じ仕事をする。ゴミ拾いか清掃員か家政婦。教育には意味がない。

児童労働は求められているし好まれている。給料が安いし、子どもの方が手先が器用だし、GDPだって支えている。

この言葉を聞いたとき、私はほとんど絶望しました。彼は私のことを否定しようとして厳しい言葉を投げつけている様子ではありません。ありのままの現実なのです。私がこれまでやってきた南アフリカでの初等教育支援では、教育の先には多少の希望がありました。識字率の向上、中退率の抑止で一定程度は結果が出せました。でもここインド・ダラヴィでは、教育を受けたとしても希望にはつながらないと知ってしまったのです。

インドの歴史に深く刻まれたカースト制は、今も社会構造の基本として機能し続けています。人々の意識だけでなく、社会を構成する基盤として今もシステム化されているのです。薄々と感じてはいましたが、私にはどうすることもできないと突きつけられた瞬間でした。

そこから数週間、私の足はダラヴィから遠のいてしまいます。インドのスラム街で挑戦することの難しさなんて、誰もが分かっていることなのに。単純な私は、はじめの一歩で思考停止してしまいました。

さて、話は変わって先日、日本のエシカルビジネス第一人者であるHASUNA創業者の白木夏子さんにこの悶々とした気持ちをお話しする機会がありました。白木さんはかつてインドの農村地帯でフィールドワークをされたご経験を持ち、私のこの絶望感に共感してくださいました。「心が折れそうになった時、どうされていますか?」とお伺いしたところ、白木さんはこう答えてくれました。

私の心なんてボキボキ折れまくって、もうまん丸。
雀の涙かもしれないけど、何もやらないより、やったほうが絶対にいい。
美味しいもの食べてたくさん寝てリフレッシュして、やるのみ。

HASUNA創業者 白木夏子さんにいただいた励ましの言葉

白木さんは世間の理解が追いつかない時代からパイオニアとしてエシカルビジネスをされていて、優しい言い回しの中にも言葉に重みがありました。この言葉を消化するのに、一週間以上かかりました。

そして今、やっとここに文章にしています。私の結論は、昔から思っていたことと結局全く変わらず。「微力だけど無力ではない。」そうこうしている間に、たった今アイディアが2つ浮かんできました。私は根性なしだけどアイディアだけはよく浮かんできます。いつか何か、良いことが書けたらいいな。

動いていないと死んでしまう魚のように、私は今日もムンバイの街の中でもがこうと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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