プチ留学のつもりがあれよあれよと。【ひょんなことからジャズ歌手に-グアテマラ編(1)】
2012年6月。私は中米グアテマラにいた。
バスとボートを乗り継いでやっとたどり着く田舎の語学学校に、
1ヶ月スペイン語留学するためである。
なぜグアテマラだったかというと、スペイン語圏で一番留学経費が安かったからである。特別な思い入れはない。学費がとても安く、下宿先も紹介してくれるという、この田舎の学校に決めた。
「世界一美しい湖」と呼ばれる3つの火山に囲まれたアティトラン湖の畔にある、サンペドロ・ラ・ラグーナという小さな町の学校だ。
空港のある首都グアテマラシティーからバスとボートに乗り継いで行く。
初めて行く国で、そんな僻地まで一人でたどり着くのか?と一抹の不安もあったが、お得意の「まあ、なんとかなる。」で突撃することにした。
世界の犯罪発生率の上位常連のグアテマラシティーは素通りし、街全体が世界遺産という遺跡の街、アンティグアに初日の宿をとった。
アンティグアは古い石造りの建物が立ち並ぶ、美しい街だ。
その夜、ガイドブックによると街一番美味しいという食堂で、その店の名物という、グアテマラなのになぜか南仏風という牛肉の煮込みを食べた。
食後にぶらぶら散策していると、遺跡の街に突如若者がたむろするバーが出現した。
「ブルックリンのバーみたい!」
中に入ってみると、なかなかのイカしたバーで、地元の若者や、アンティグア在住の外国人、観光客で賑わっている。
カウンター席について飲み始めると、過去には何人も女を泣かせてきたであろう、危険な色気が漂う中年の男前が、バーで酒を作っていた。その男が完璧なアメリカ英語で、私に『グアテマラ人じゃないよね。』と話しかけてきた。見りゃわかるだろ。
よくよく聞いてみると、このバーのオーナーで、ブルックリン出身のニューヨーカーだった。どうりでブルックリンのバーみたいだったはずだ。
私も当時ブルックリン在住だったので、そのことを告げるとたちまち会話が弾んだ。
ニューヨークでは歌手をしていて、最近ラテンジャズを始めたこと。
もうちょっとスペイン語で小マシに歌えるようになるため、語学留学に来たこと。普段は英語でジャズを歌っていることなどを話した。
ジョンという名のオーナーは、日本人の私がニューヨークでジャズを歌っているということにいたく感心し、店内のBGMを、イケイケのアメリカンロックから、モダンジャズに変えた。どうやら私への敬意を表してくれたらしい。
そのうち、バーで飲んでいた他のお一人様のお客さんたちも会話に参加し、
飲んで笑って、思いがけず心から楽しい一夜になった。
グアテマラはもとより、アメリカ、オランダ、グルジア、そして日本(私)。カタコトの英語やスペイン語も心は通じるものだ。
帰り際に、一緒に撮った写真を送るねと、みんなとメールアドレスと交換し、バーを後にした。
ほろ酔い(ベロ酔いだったかも。笑)の頬に、夜風が心地よかった。
空を見上げると遠くに白い煙を吐き出す火山が見え、その上にまん丸い大きなお月様が輝いていた。まだ初日というのに不思議な達成感のようなものが、ふんわり漂ったのを今でも覚えている。
翌日、バスとボートを乗り継いで未知の世界に行かなければならない不安もどこかへ行ってしまった。1ヶ月後にアメリカに戻る時も、アンティグアに寄って、あのバーで一杯飲もうなんて考えながら、ベッドに入った。
人との出会いはいつもサプライズを連れてくる。
私はその後3日も経たずして、せっかくたどり着いた美しい湖の街から、アンティグアに呼び戻された。そして、出発前には想像もしなかった理由で、この遺跡の街に住み始めることになるのである。
(次回へ続く)
Cafe No Se
1a Avenida Sur, Antigua Guatemala,
http://www.cafenose.com
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