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帝国劇場、あるいはリクルートスーツの思い出と迷惑客との邂逅について

1年ぶりの帝国劇場の座席、幕前の時間でこれを書いている。このnoteは8/14に行われた「THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATRE」の感想文になる予定――だったのだが、ちょっとだけ帝劇にまつわる思い出語りをしたい。

私が帝劇デビューを果たしたのは、大学4年生の時だった。たまたまプレイガイドの抽選が当たって、面接の帰りにリクルートスーツに黒い革靴で、あのフカフカの赤い絨毯を踏んだ。
初観劇から早5年が経つが、その間帝劇には片手で足りる程度にしか足を運べていない。当たらないのだ、チケットが。本当に、ビックリするほど当たらない。フルキャパシティは1,897人、上演されるのは大作ばかりで月単位のロングランが多く、その間数十公演も行われるというのに!
まあ帝劇の公演といったら、言わずもがなの名作・名演ばかりなので、チケット入手難易度がおそろしく高いのも納得なのだが。

そんななか、先月久々に「お席がご用意されました」のメールを頂いた。「残念ながらお席がご用意できませんでした」の文体ばかり見慣れていたので、三度見した。この世で一番信仰心が高まる言葉は「ご用意されました」ではないかと思うくらい、オタクにとってのキラーワードだ(諸説ある)。
本当に最高。ありがとうチケットぴあ。ここまで書いたところで5分前のベルが鳴ったので、以下は帰りの電車で興奮気味に打ち込んだスマホのメモを元に公演を振り返る。

つもりだったのだが。

今回のコンサートは「東宝ミュージカルの歴史を辿り、未来に繋げるプレミアムな祭典」と銘打たれている。タイトル名からしてだいぶいかついが、出演者もエグいほど豪華である。かつ、コロナ禍の状況で席はキャパシティの50%に抑えられているので、本当にこの場に立ち会えたのは奇跡としか言いようがない。

だというのに、席ガチャが恐ろしく最悪であった。
席ガチャという単語、通じるのだろうか。普段私が身をおいている2.5次元界隈ではよく飛び交うので、さらっと使ってしまった。一応自分では「席の位置」と「周囲に居合わせた他の観衆との相性」の両面からこの単語を使っている。

今回ステージから見た位置としての席ガチャは最高だった。1階席のちょうど真ん中、舞台に近くもなく遠くもなく、センターライン上なので死角もない。
ところがどっこい、斜め前にパラパラダンスマンが座っていらっしゃった。キャストの歌声・オーケストラのリズムに合わせて、謎の自作ダンス(上半身のみ)を披露されるのである。勘弁してくれ。何故あなたのパラパラダンス越しに舞台を見なければならないのか。開幕5分で絶望するとは思わなかった。

こういったシチュエーションに置いて、私はまあまあ過激派なので普通に声をかけることが多い(映画館でスマホいじるタイプの人種とは絶対に和解できない。絶対にだ)。しかも、この日は超貴重な公演、ついでに言えばS席のチケットは15,000円である。芸術を前に金の話をするのはナンセンスだとも思うが、とはいえショービジネスは金である。

普段の私だったら激おこ間違いなしだったのだが、この日は声をかけられなかった。なんだか妙に安心してしまったのだ。

ここ数ヶ月、帝劇以外の劇場でも公演が次々と中止になり、あるいは座席を絞ったり、演出を変えたり、配信に切り替えられたり――と演劇界には大きな変化が起きていた。私もかれこれ7ヶ月チケットがご用意されておらず、その間ライブ配信・ディレイ配信などで(推しに会えない、という悲しみを耐えるという意味で)食いつないできた。

最近は配信技術の向上も目覚ましいので、自宅で見る舞台も素晴らしいものだ。カメラワークが的確なので推しの細かい表情まで捉えられるし、音響も違和感がない。そして何より、目の前の人の座高に苦しんだり、各種ノイズ(咳払い・貧乏ゆすり・いびき・おしゃべり等など)にストレスを抱えることがなかった。

ただ、どうしようもなく孤独だった。静かな家で、卓越した映像と音響で推しを味わっても、どこかずっと寂しかった。快適なはずなのに。誰にも邪魔されない快適さがあるはずなのに。
(もちろん、体にビリビリと響く重低音とか推し定点観測とか、配信では補えない生感激の素晴らしさは他にもたくさんあるのだが、それまた別の場で語りたい)

ノイズでしかなかったパラパラダンスマンを、この日だけ許せ…はしないものの、触れずにおけたのは、こういった迷惑な観客に出会うことすら久々で懐かしかったからだと思う。決して良いとは言えないけど、これぞ生感激の醍醐味でもあった。いや無くなってほしいんだけどもね、こういう微妙に迷惑な行為は。

なんやかんや触れずに終演までいけてしまったのは、このパラパラダンスマンが、私の最推し作品であるエリザベートの「私が踊る時」〜「闇が広がる」において、完全に沈黙したからだった。身じろぎもしていなかった。私と全く同じ状態だった。おまえもエリザベートのオタクだったのか???

迷惑行為は絶滅されるべきであって、合間合間の謎ダンスには本当に辟易したし、次遭遇したら声をかけてしまうと思う。でもなあ…これが舞台だったかもしれないなあ…と、その日だけは宇宙猫のような顔をつつも飲み込めてしまったのだった。

もう1つ今回の観劇で印象的だったのは、手拍子がキャストとオーケストラの迫力に負けてしまう、ということだった。満席の帝劇しか知らなかったので、まさか半減すると手拍子がこんなに小さくなるとは想像もしなかった。完全にキャストの素晴らしい発声・オーケストラの音圧の方が、上回ってしまっている瞬間があった。

舞台が他のエンターテインメントと異なるのは、やっぱり観客参加型であることだ、と改めて思った。(「観劇マナーを守ろう」ということは大前提としてありながら)様々な人が、様々な思い・事情を抱えながらも、同じ時間同じ場所に集う。
それによって生まれる、ノイズも含めての化学反応、相乗効果――スパークと言っても良いかも知れない――火花が、舞台を作り上げるのだと、カーテンコールで号泣しながら考えていた(私の号泣も、きっと誰かにとってはノイズだと思うのだ)。

公演の感想文を書くはずが、舞台・演劇、観劇という行動について思いが爆発してしまって予定とは全く違う方向に走り抜けてしまった。言わずもがな、公演内容は素晴らしいものだったので、別途萌えを吐き出すだけの感想文も書きたい。

ところで5年前に帝劇デビューを果たした女子大生は、帰り道で上京を決意していた。それまでも田舎から毎度東京に足を運ぶ時間的・金銭的煩わしさを感じていたが、その日の『エリザベート』が決定的な一打だった。
帰り道で、リクナビとマイナビの勤務地フィルターを「東京」一択にして、茨の真夏の就職活動に挑んでいくわけだが、それはあまりにも脇道にそれすぎるので、また今度。結末だけ述べれば、今私は都民として粛々とリモートワークに励みつつ、暑さにも負けず元気に推しを追っかけている。

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