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内容が古くないのが哀しい~『閉された言語・日本語の世界』(鈴木孝夫)~

この本は題名通り、日本語についての様々な角度からの考察からなるのですが、印象に残ったのは、本筋とは別の部分です。


↑kindle版


まず面白かったのは、日本の旅館の食事についての考察。ご承知のとおり、旅館では食べきれないほどの食事が出てくるのが常ですが、それはある意味客の好き嫌いへの対策だというのです。つまり「出す料理の種類を多くして、客が自分の食べるものを選択できる幅を与えておけばよい」ということ。


あと著者は、1970年のクリスマスイブに「日航のスチュワーデスがサンタクロースのスタイル」で乗客に「キャンデー」などを配ったことや、外国人参加者も多い国際会議の昼食で、全員にポーク・ソテーが出たことを、厳しく批判しています。つまりそれは、「他国人の宗教に対する私たちの鈍感さ」だと。クリスマスを祝わない外国人だっているし、イスラーム教徒は豚肉は食べないということも分かっていないということです。


でもその指摘、残念ながら今でも通用してしまうのが哀しいところです。この本は1975年に出たもの(定価750円!)なのですが、表紙画像を入れようと思い、アマゾンで検索したら、なんと3年前に増補新版が出ていて驚きました。それどころか、kindle版すら存在します。


つまりこの本の内容に良きにせよ悪しきにせよ、色あせないものがあるから、絶版にならず、それどころか増補新版が出たわけです。


外国人と接すると「心理的な安定がくずれ、心が動揺して、正常な思考が停止し、平衡のとれた行動ができなくなる」という指摘も、残念ながら私自身を含め、多くの日本人に当てはまりますね。


一方で個人的に希望を感じたのは、英語について、「上手に話」す、「何か自分の思うことを、まとまった形で書」く、「ラジオ・ドラマを英語できいて分る」、「英語の小説や雑誌を、実用になる程度に読み飛ば」すの、「せめてどれか一つでも楽にできて、その人がそこから楽しみ、よろこび、あるいは利益を得られるようになっていることを、私は英語が身についたと称する」と書いていることです。一応私、英語の小説や雑誌は、一語一句分かっているわけではなくても楽しめるので、まぁ英語を学んだ甲斐はあったのかなと思えました。


あと明治44年、つまり1911年に夏目漱石が書いた、語学力が衰えた原因についての考察も興味深かったです。旧仮名・旧漢字を現代のものに直して引用すると、こうです。


英語の力の衰えた一原因は、日本の教育が正当な順序で発達した結果で、一方から云うと当然のことである。何故かと云うに、我々の学問をした時代は、総ての普通学は皆英語で遣らせられ、地理、歴史、数学、動植物、その他如何なる学科も皆外国語の教科書で学んだが、我々より少し以前の人に成ると、答案まで英語で書いたものが多い。(中略)日本の教育を日本語でやる丈の余裕と設備がなかったからでも有る。(夏目漱石「語学養成法」、『学生』、1911)


漱石の時代にすでに語学力の衰えを嘆いていたというのもすごい話ですが、要は英語の時間にだけ英語をやっていても身につかないということです。だからといって、今更英語以外の教科を英語で教える必要もないわけです(そういう教え方を取り入れている高校も出てきているようですが)。「日本の教育を日本語でやる丈の余裕と設備」が、何はともあれ存在するようになったことは評価すべきことなのですから。とはいえ中高6年間で英語が身につかないのは、また別問題ではありますが。


↑単行本

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