見出し画像

北京五輪(2022)のフィギュアスケート・エキシビションを手掛かりに、南オセチア紛争について考えてみる

1.エキシビションについての雑感

2022年2月20日、北京五輪のフィギュアスケートのエキシビションが行われました。点を気にせず、もちろん失敗も気にせず、のびのびと滑る選手たちの演技は、美しさを追求したものも、お笑いに走ったものも、どれも素晴らしかったですね。


もちろん羽生結弦選手のモテモテぶりも印象的でした。終了後に中国の金博洋(ジン・ボーヤン)選手と滑るシーンや、同じく中国のアイスダンスの柳鑫宇(リュウ・キンウ)選手にお姫様抱っこされるシーンは微笑ましかったです。


私の心に一番残った演技は、ジョージアのモリシ・クビテラシビリ選手のものでした。「アラジン」のジーニーに扮した演技です。演技自体も楽しかったですが、ランプを運んでくるジーニー役をロシアのアレクサンドラ・トゥルソワが務めたことが、感慨深かったので。


なぜなら2008年の夏の北京五輪の最中に、ジョージアとロシアの間で起きた南オセチア紛争(ジョージア紛争)のことを思い出したからです。ジョージアとロシアはいまだ国交を断絶したままですが、スポーツの世界では国境を越えて手を取り合おうと、クビテラシビリ選手が呼びかけたのでしょうか。


ウクライナ周辺地図20220224

↑見にくい地図で恐縮ですが、右下にジョージアがあります。

なおこの地図は、「旅行のとも、ZenTech」さんの地図をもとに作成しました。


ちなみに2008年の北京五輪では、女子10メートルのエアピストルの表彰式で、銀メダルをとったロシアのナタリア・パデリナ選手と銅メダルのジョージア(当時はグルジア)のニーノ・サルクワゼ選手が抱き合い、「私たちはいつまでも友人のまま」と語る、感動的な場面がありました。旧ソ連時代、二人はチームメイトだったそうです。


今回も、フリースタイルスキー男子エアリアルで銀メダルをとったウクライナのオレクサンドル・アブラメンコ選手に、銅メダリストのROC(ロシア・オリンピック委員会)のイリア・ブロフ選手に抱きついたりする場面があったようです。


というわけで、南オセチア紛争について書いてみます。


2.南オセチア紛争について

南オセチア紛争(ジョージア紛争)とは、ジョージアから親ロシアの南オセチア自治州とアブハジア自治州が独立することを支持するロシアと、それを阻止したいジョージアとの間の戦いです。なおジョージアは当時は日本では「グルジア」と呼ばれており、呼称が「ジョージア」に変更になったのは2015年のことですが、この記事では混乱を避けるため、一貫して「ジョージア」と呼びます。


ジョージア地図20220224

↑この地図は「旅行のとも、ZenTech」さんの地図をもとに作成しました。


上記のとおり2008年の北京オリンピックの最中、ジョージア軍が南オセチア自治州に侵攻し、駐留するロシア軍と武力衝突する事態となりました。ロシア軍は報復的にジョージア側に侵攻し、戦闘は激化します。

このように書くと、ジョージア側が仕掛けた戦争のようですが、潜在的にはロシアがジョージアを苛立たせて始めさせたとも言えます。欧米各国がロシアを非難したこと、そしてフランスのサルコジ大統領が仲介したことで、戦争は収まります。


もともと南オセチアのオセット人(イラン系)は1991年にジョージアがソ連から独立した直後から、ロシア連邦内の北オセチア共和国への併合を求めていました。南オセチアはジョージア北部にある自治州で、人口約7万人です。当時すでに歳入の3分の2はロシアからの支援からなっており、通貨もロシアのルーブルが使われていました。

もとは南北合わせた1つのオセチア共和国でしたが、スターリン時代にロシア側の北オセチアとジョージア側の南オセチアに分断されたのです。とはいえ歴史的に見ると、南オセチアと北オセチアの歩んできた道は異なります。


南オセチア・北オセチア共に、住むのは同じオセット人ですが、南オセチアはジョージア人貴族の、北オセチアはカバルダ人の支配を受けてきました。カバルダ人というのは、北オセチアの西にある、ロシア連邦内のカバルディノ・バルカル共和国の住民で、16世紀にロシアの支配に入っています(なおカバルディノ・バルカル共和国は、カバルダ人とバルカル人からなります)。

北オセチアは1774年、南オセチアは1801年にロシア帝国に併合されます。ロシア革命後、上記の歴史的経緯もあり、北オセチアはロシア共和国に、南オセチアはジョージアに組み込まれました。南オセチアにおいては人口の多くをオセット人が占めていましたが、ソ連時代は少数派であるジョージア人を優遇する政策がとられ、1989年には南オセチアの公用語をジョージア語にする決定がなされました。それで危機感を覚えた南オセチア内のオセット人が、北オセチアとの統合を望むようになり、1991年のジョージア独立を機に、その動きがはっきりしたわけです。


アブハジアも、やはりジョージア北部の自治州です。人口は約24万人です。南オセチアほどはロシアの影響は強くないようですが、すでにソ連時代からロシアへの併合を望み、阻止しようとする政府との間に戦いが起きていました。これをアブハジア紛争(1989~1994)といいます。


このように整理すると、南オセチアとアブハジアの独立を支援したロシアが善、独立を阻止しようとしたジョージアのほうが悪のように、やはりなってしまいますね。でもロシアの狙いは、民族運動を利用して自国の覇権を増すことにあると思われるわけで、どちらが善、どちらが悪という、単純な解釈は避けねばなりません。


南オセチア紛争後、ロシアが南オセチア自治州とアブハジア自治州のジョージアからの独立を認めたため、ジョージアはロシアと断交しました。その後も対立は解消されていません。南オセチアとアブハジアの独立は、ジョージアはもとより、国際的に承認している国は少ないです。ロシア以外に両国の独立を認めたのは、ニカラグア、ベネズエラ、シリア、ナウル、バヌアツ、ツバルの6ヶ国で、いずれもロシアによる経済的な支援と引き換えのことでした。しかも廣瀬陽子さんの『ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略』によれば、バヌアツは南オセチアについては国家承認を一度もしていない上、アブアハジアの国家承認も2013年5月に撤回し、ツバルについても2014年3月に国家承認を撤回したとのことです。


残念ながらこのたび、ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻が始まってしまいました。なぜこのようなことになってしまったのか、別の記事にまとめましたので、よろしければお読みください。

なおこの記事は有料記事となっていますが、無料公開の部分だけでも、ある程度は参考にしていただけるかと思います。


<追記>

2022年3月30日、南オセチア共和国の自称大統領のビビロフ氏が、ロシアへの編入手続きを始める方針を明らかにしました。ロシア下院は歓迎の意向を示しているようですが、当然のことながらジョージアは反発しています。


見出し画像は、羽生結弦選手のエキシビションの曲「春よ、来い」にちなんで、春を待つ桜の枝です。地球上のありとあらゆる人、そして人だけではなく、生きとし生けるものすべてにとって、穏やかな春が来ますように。



記事の内容が、お役に立てれば幸いです。頂いたサポートは、記事を書くための書籍の購入代や映画のチケット代などの軍資金として、ありがたく使わせていただきます。