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正しい日本語で書きましょう~論述問題のコツ①~

今回は論述問題、つまり記号問題とか穴埋め問題ではなく、文章で答える問題のコツについてです。1回ですべて書くと量が多く、メッセージが伝わりにくくなるので、数回に分けて書く予定です。


1.問題文をよく読み、要求されていることに答える

これは基本中の基本ですが、意外と軽視されています。「そんなバカな」と思う方もおいでかと思いますが、問題文をしっかり読まず、いわば自分で作った問題に答えてしまっている人は、少なからずいます。

これについては、noeに移行したの記事の中で書いています。


2.誤字・脱字に気をつける

時間を気にしつつ、一生懸命解答を書くあまり、誤字・脱字に気が付かないことがあります。書いている内容さえ正しければ、字数の多い論述問題については、1つ2つの誤字・脱字は見逃してもらえるでしょう。

しかし数十字の短い論述では、1ケ所の誤字・脱字さえ減点対象となります。長文の論述であっても、同じ誤字を複数回繰り返したり(これはうっかりミスではなく、本当にそう覚えているのでしょうね)、誤字・脱字が何ヶ所もあったりする場合は、確実に減点対象です。


3.文法の破綻に気をつけ、正しい日本語で書く

最近の生徒は、結構「書く」こと自体には苦手意識がないようです。日常的にLINEやメールを使っているからでしょうね。ただし、一定以上の長さの「きちんとした」文章を書くなると、違うようです。

もっとも、長い文章であっても、書くだけは書きます。特に字数制限のない、感想や考察を書く問題だと、場合によっては解答欄を大幅に超えて書いてくれます(^-^; ただ、読んでいて、こちらの頭が痛くなることもしばしばです。


長くなればなるほど、文法が破綻した文章が増えるので、添削しながら読むのが大変なのです。別に国語科の教員ではないので、正しい日本語に整える添削の義務はありませんが、まさに教師根性で直したくなってしまうのです。その結果、答案は真っ赤になります。


それでも直せれば、まだ良いほうです。あまりに破綻がひどく、添削不能の時もあります。文章丸ごと書き換えないと、意味が通じる文章にならない。更にひどいと、何度読んでも何が言いたいのか分からないこともあります。

そして、添削をした結果を受け入れてくれる、つまり自分の文章の日本語が破綻していたことに気づける生徒は、見込みがあります。そういう生徒は次からは気をつけるので、文法的ミスは確実に減っていきます。


中には、困った生徒がいます。添削結果が受け入れられない、つまり自分の日本語がおかしいことが理解できない生徒も、少数ながらいます。「私の文章のままでも、意味は通じるじゃないですか!」と抗議してくる生徒がいるのです。

まぁね、あなたが言いたいのであろうことは、伝わりましたよ。だからこそ、正しい日本語に修正することができたんですよ、と言いたくなります。


でも採点者に対し、「ニュアンスで分かってください」というのは通じません。大学入学試験は、入学者の数を予定の人数まで減らすため、つまり受験生を落とすためにやっているのです。「きっとこの子はこう言いたかったのね」と好意的に解釈して答案を読んでくれる採点者が、どこにいるのでしょうか。


4.1つの文章は40~50字にする

これも近年の生徒の特徴ですが、やけに1つの文章が長いです。つまり、なかなか句点(。)にたどり着かない。ひどい場合は、制限字数300字の論述問題において、句点が最後にしかないこともあります。これはなかなか壮絶です。読んでいるこちらは、頭がぐるぐるになります。どこまでいっても文章が終わらず、書かれている内容をうまくつかめません。


文豪級の文章力があれば、別に1つの文章がかなり長めでも、普通に読めて、内容もすんなり頭に入るでしょう。でもまだまだ文章力が不足している中高生が長い文章を書くと、それこそ文法が破綻する原因になりますし、何が言いたいのか伝わりにくくなります。


よってお勧めは、短い文章を書くこと、具体的には1つの文章は40~50字にとどめることです。短い文章であれば、文法は破綻しにくいですし、短い文章をいくつも連ねたほうが、読む側は内容を把握しやすいので。1文を40~50字で書く感覚をつかむまでは、文章を書く際に20字×20字の四百字詰原稿用紙を使うことをお勧めします。


また、四百字詰の「原稿ノート」というのもありますので、こちらを使っても良いかもしれません。

↑これ、2冊で1,056円となっていますが、文房具屋さんでは、もちろん1冊だけ購入できます。2021年3月現在、1冊税込528円です。


5.読点は文章のスパイス

更に近年の生徒の特徴として、読点が少ないことが挙げられます。読点は実際に声に出して読む時だけではなく、黙読する時においても息継ぎのポイントとなります。どこまでいっても読点がないと、読んでいるこちらが、何だか酸欠気味になります。


上記の四百字詰原稿用紙を使う例でいうと、1行に1ケ所、読点か句点が入るのが理想です。そうすると、目で見ても空間がそこそこあるので、圧迫感もありません。


もちろん読点が多すぎても、何だか息切れしながら書いているようになってしまいます。読点は文章のスパイスです。多すぎず、少なすぎず、適度に使用しましょう。


6.まとめに代えて~ある生徒の思い出~

これらの注意事項は、長年私が言い続けてきたことです。他の教員はあまりこういう細かい指導は(特に社会科では)しないようです(かといって思いは同じで、単に私と違い、細かく指摘したり、ましてや朱を入れたりしないだけです)。

ですから初めてこういう注意を受けて、びっくりする生徒も少なくありません。驚きつつも、それを少しずつ受け入れ、格段に文章力を上げていく生徒がほとんどですが、一人、忘れられない生徒がいます。


彼女を担当したのは、大学のゼミのような形式で行い、論文を書かせる授業でした。彼女の発想は面白かったし、論点もはっきりしており、プレゼンの能力も優れていました。クラスの中では、もちろん出来が良いほうだったと言えるし、本人にもその自覚はあったでしょう。

ただ、文章力に課題がありました。それこそ、読点がやけに少ないのが最大の特徴です。文法的ミスも散見されました。結果、発表の時は分かりやすいのに、それを論文にまとめると、もう一つ何が言いたいのかが、ぼやけていました。

よって私は、彼女の論文に徹底的に朱を入れました。入れるべき読点を入れ、長すぎる文章は2つか3つに分けるように言い、文法的ミスは訂正し、その他いろいろ指摘しました。


まぁ、うるさすぎたんでしょう。ただこちらとしては、提出しておしまいの論文ではなく、その後清書したものを再度提出させ、製本して学校で永久保存する論文なので、少しでも良くしたほうが良いだろうと思ったわけです。

製本用の論文の提出の締切が迫った頃、彼女に訊かれました。「私は先生の指摘がすべて正しいとは思わないし、特にあんなに読点を増やす必要があるとは思わないのですが、従わないといけないのですか」と。

仕方がないので、「基本的には従ってほしいけど、あなたが従えないと思った部分は、直さなくてもいいよ」と答えました。直したほうが、自分の文章がより良いものになるということさえ分からないのかと、がっかりしたものです。


そして提出された製本用の原稿は……見事に私の指摘は活かされていませんでした。何ヶ所かは直したのかもしれませんが、もしかしたら1つも直さなかったのかもしれない。もちろん、それ以上何も言うことなく製本に回しましたけど。


大学生になり、彼女はあるきっかけから、とある地方新聞で連載を持てることになりました。きっと自信を持ったことでしょう。その時に私のことを思い出したかは分かりませんが、思い出したとしたら、「margrete先生の言うことをきかなくても、原稿料をもらえるようになったじゃない」と思ったと思います。


でも彼女の文章には、高校生の時の短所がそのまま残っていました。言いたいことが今一つよく分からず、読んでいてなぜか落ち着かなくなる文章でした。

言い訳がましいですが、私が個人的に彼女に手厳しいわけではなく、同僚の先生方を含め、周囲の人たちも大同小異のことを感じたようです。決定的だったのは、同僚の国語科の先生の発言。「この子の書いている分野の知識が私に足りないだけかもしれないけど、何を言っているんだか、よく分からないのよね」、というものでした。


ベテランの国語科教員をして、「何を言っているんだか、よく分からない」と言わせるとは……。そもそも、新聞社の担当者は何をしているんだろうと思いました。一切訂正せずに彼女の文章をそのまま載せたのか、それとも私の時のように、改善すべき点を指摘しても従わなかったのか、不明です。

その時、連載はそう長くは続かないだろうなと思いました。実際、連載期間は短かったです。当初からの契約期間がそうだったのかもしれませんが、少なくとも契約更新はなかったということです。


もし彼女が私の指摘を受け入れる柔軟さを持っていれば、大学生でつかんだチャンスをもっと活かせたのではないかと思ってしまいます。その連載自体は当初の契約期間で終わったとしても、また別の機会に声をかけてもらえたのではないかと。

彼女がもっと受け入れやすい指摘の仕方があったのだろうという反省はありますが、高校生なんてまだまだ若いのだから、文章に限らず、自分の欠点を改善する柔軟性を持ってほしいものです。読みやすい文章を書ける能力を手に入れれば、一生ものですよ。

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