見出し画像

礼節をもって受け入れる~『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』(森本あんり)~

何だか強烈な題名の本ですが、「あとがき」にあるとおり、「本書は『不寛容の勧め』ではない。寛容に必ず内包されている不寛容を主題化することで、真の寛容の所在を明示するという試み」です。

↑kindle版


著者がなぜ「寛容」を取り上げるかというと、同じく「あとがき」にあるように、

近年その信頼性が揺らいでいる民主主義を立て直すためにも、また異なる文化や思想と共存してゆくこれからの多様性社会を築いていく上でも、寛容はもっとも重要な言葉のひとつとなる

からです。


まず前提としなければならないのは、

もともと好ましいものは寛容の対象にならない。嫌いなものこそ、寛容にすべき対象なのである。

ということです。確かに言われてみれば、そのとおりですね。


で、寛容とは何かを解き明かすために著者が取り上げているのが、17世紀の植民地時代のアメリカを生きたロジャー・ウィリアムズという人物なのですが、結構この人が強烈です。よって著者も、全面的にウィリアムズを称賛しているわけではなく、時に辟易しつつ、でもウィリアムズの説く寛容に魅力を感じている様子が伝わってきます。


ロジャー・ウィリアムズとは、著者によればこのような人。

異教徒に対する彼の寛容が、キリスト教への無関心や軽視からでなく、むしろ燃えるような信仰心から出ている。(中略)信仰が自分にとってかけがえのない尊さをもつことを知っているからこそ、他人にとっても同じようにかけがえのないものであることが理解できるのである。ウィリアムズはこの確信を先住民から学んでいる。(中略)自分の知らない宗教でも、先住民はとにかくそれを尊重して邪魔をしないのである。ウィリアムズは、そのような先住民の礼節こそ、異なる他者への寛容を基礎づける原理であることを学んでいった。

ロジャー・ウィリアムズは(中略)全キリスト教史を相手にした、正真正銘の異議申し立て者である。その思想と実践から、人権の基礎となる内心の自由が生まれ、信教の自由や政教分離という近代社会の枢要な原理が発達し、腰の据わった寛容の理念が導き出されることになる。

ウィリアムズの政教分離理念は連邦憲法にも取り入れられ、アメリカは史上初の近代的な世俗国家として出発したが、そこに彼の名は登場しない。

皮肉だなと思ったのは、以下の部分。

二〇世紀半ばには、信教の自由や政教分離が憲法解釈上の問題として頻繁に論じられるようになる。すると、ウィリアムズはその輝かしいパイオニアとして、薄れかけた国民的記憶の中からようやく呼び起こされるようになる。というより、新たに国民的記憶として創成された、と言った方が正しいだろう。(中略)国民的な記憶は、はじめ誰も気に留めていなかったことが再評価された時、あたかもはじめから記憶されていたかのように創られて過去へと投影されるのである。

ウィリアムズは、「自由の伝統」というアメリカの知的遺産として注目と称賛を浴びながら、結局十分に理解されないままだった。言い換えると、彼の言葉は、時代ごとの都合でいかようにも引用することのできる「利用可能な過去」(usable past)になってしまった、ということである。


以下、他に印象に残った部分を抜き書きしていきます。


人は、未知のものには不寛容に、既知のものには寛容になりやすい。


西欧社会で生み出された近代憲法には、集会・結社・言論・出版などの自由が謳われている。一見するといろいろな種類の自由に見えるが、歴史的な淵源を辿ってみると、これらはみな同じ一つの自由に帰着する。それが「信教の自由」である。

これには驚くとともに、非常に納得がいきました。


ピューリタンにとっての選挙の意味も、興味深かったです。

選挙は、誰が神と契約を結ぶか、ということを決める手続きにすぎない。(中略)統治者は、自分を選んでくれた民衆に対して責任を負うわけではない。(中略)正義を行うことで神に責任を果たす。民衆もまた、統治者に従うことが神への責任だから従うのである。(中略)統治者が神との契約を守らず不正を行うなら、服従は義務ではなくなる。ここに抵抗権の思想が生まれる。


驚いたのは、アメリカの連邦最高裁判所の廷内に、モーセ、ハムラビ王、古代エジプト最初の王メネスと並び、ムハンマドの姿が描かれているという話。「イスラム世界では預言者の像を作るのは不快で無礼なことなので、一九九七年にはこれを除去する請願が出されたが、却下されて現在もそのまま残っている」そうです。


あと、トマス・アクィナスに代表される中世の教会が、ユダヤ人やムスリムへの寛容を説いていたというのにも、びっくり。理由は、

信仰は自由意志によらねば真の信仰とは言えないから、強制は「より大きな悪」をもたらす。だからそれを防ぐために、「より小さな悪」として彼らの存在をそのまま認めるのである。ユダヤ人の存在を是認したり、その信仰を尊重したりするがゆえの寛容ではない。

ということですが。よって、

教会は、異教徒に対しては寛容、異端者に対しては不寛容、という二重基準をもつことになる。異教徒は「外からの敵」なので、内部へと迎え入れるが、異端者は「内からの敵」なので、外へと排出する。

とのことです。


(クエーカーは)身分や階級、男女の差別や人種の違いを認めないので、女性や黒人の権利を高める運動の担い手となる。ついでに記しておくが、今日、全世界で一般的になった「握手」は、クエーカーが始めた平等の新しい作法だった。

これも初耳でした。


政教分離は単に政治と宗教を分離させれば目的が達せられる、というものではない。ウィリアムズにとり、政教分離は平等と良心の自由の尊重という、より中心的な考えから来る帰結だった。そこには、「政教分離とは社会の脱宗教化のことだ」という現代にありがちな誤解が含まれていない。「公権力の非宗教化」と「市民の深い宗教性」の両立こそが、アメリカの正統なのである。


寛容についての著者の最終的な結論は、ちょっと意外なようでいて、でも頷かされるものでした。

相手に敬意や愛情をもつことまでは要求しない。最低限の真摯な礼節さえ守ればよい。たとえ心の中で相手を嫌っていても構わない。(中略)相手にどういう態度で接するかだけでなく、内心で相手をどう評価するかについてまで寛容であれと要求するのは、潜在的にはとても不寛容である。(中略)礼節をもって、暴力に訴えず、会話を遮断せずに続けるだけの開放性を維持する、ということである。

理解できないままに受け入れることを、愛と呼ぶ。


最後に(といっても、実はプロローグで書かれているのですが)、私たちが心に留めておかねばならないのは、以下の言葉でしょう。

自分が無関心でどうでもよいと思っていることに対しては、寛容にも不寛容にもなれない。だから日本は、寛容でも不寛容でもなく「無寛容」なのかもしれない。ただしこの無寛容は、時として容易に「不寛容」へと変貌する。(中略)必要なのは、自分でも気づかぬうちに、温和な無寛容が凶暴な不寛容へと転化してしまわないように、われわれが常日頃もっている寛容の作法を歴史的な視野の中で位置づけ直すことである。


寛容という難しいテーマを扱いつつも、ロジャー・ウィリアムズという一人の人物の生涯を通じてそれを解き明かしているので、ある意味小説を読んでいるような感覚で読むことができました。


↑単行本



この記事が参加している募集

読書感想文

記事の内容が、お役に立てれば幸いです。頂いたサポートは、記事を書くための書籍の購入代や映画のチケット代などの軍資金として、ありがたく使わせていただきます。