何だか強烈な題名の本ですが、「あとがき」にあるとおり、「本書は『不寛容の勧め』ではない。寛容に必ず内包されている不寛容を主題化することで、真の寛容の所在を明示するという試み」です。
↑kindle版
著者がなぜ「寛容」を取り上げるかというと、同じく「あとがき」にあるように、
からです。
まず前提としなければならないのは、
ということです。確かに言われてみれば、そのとおりですね。
で、寛容とは何かを解き明かすために著者が取り上げているのが、17世紀の植民地時代のアメリカを生きたロジャー・ウィリアムズという人物なのですが、結構この人が強烈です。よって著者も、全面的にウィリアムズを称賛しているわけではなく、時に辟易しつつ、でもウィリアムズの説く寛容に魅力を感じている様子が伝わってきます。
ロジャー・ウィリアムズとは、著者によればこのような人。
皮肉だなと思ったのは、以下の部分。
以下、他に印象に残った部分を抜き書きしていきます。
これには驚くとともに、非常に納得がいきました。
ピューリタンにとっての選挙の意味も、興味深かったです。
驚いたのは、アメリカの連邦最高裁判所の廷内に、モーセ、ハムラビ王、古代エジプト最初の王メネスと並び、ムハンマドの姿が描かれているという話。「イスラム世界では預言者の像を作るのは不快で無礼なことなので、一九九七年にはこれを除去する請願が出されたが、却下されて現在もそのまま残っている」そうです。
あと、トマス・アクィナスに代表される中世の教会が、ユダヤ人やムスリムへの寛容を説いていたというのにも、びっくり。理由は、
ということですが。よって、
とのことです。
これも初耳でした。
寛容についての著者の最終的な結論は、ちょっと意外なようでいて、でも頷かされるものでした。
最後に(といっても、実はプロローグで書かれているのですが)、私たちが心に留めておかねばならないのは、以下の言葉でしょう。
寛容という難しいテーマを扱いつつも、ロジャー・ウィリアムズという一人の人物の生涯を通じてそれを解き明かしているので、ある意味小説を読んでいるような感覚で読むことができました。
↑単行本