見出し画像

いい塩梅でボケたもん勝ち

厚生労働省は、団塊の世代の人たちが 75 歳以上となる 2025(平成 37)年を見据えて、認知症の人々の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を目指し、新たに「認知症施策推進総合戦略~認知症高齢者等にやさしい地域づくりに向けて~」(新オレンジプラン)を関係府省庁と共同で策定した。

(平成 27 年 1 月 27 日)

∝∝∝∝∝

わたしは団塊の世代ではない。それでも、    知人の多くが高齢者の域に足を突っ込み、2025年は目の前だ。他人事ではなくなった。

特に、"お一人様"で老後を乗りきり、棺桶に入るつもりのわたしには、認知症になるのが怖いのではない。

独居のボケ老人と認定されて、わたしの意思決定の及ばないところで、高齢者向け施設や精神科の病院に入れられることが怖い。

看護学生のとき、精神科病院で実習したが、そのときの光景が目に焼き付いている。

それは、精神科病院に入院している患者の    大半が認知症の人で、高齢者もいたが若年性認知症の人もたくさんいた。

いっそのこと、精神科なんて呼び方を変えて欲しいと思ったもんだ。否、精神科でもいいかも知れない。しかし、精神科という響きが持つマイナスのイメージが強烈で、看護師を目指す学生でもそうだから、世間では偏見に繋がる気がした。

実際、一般病院に入院してきた人が、以前に心療内科の受診歴があったり、精神科で処方される薬を服用しているだけで、過剰に反応する看護師もいる。

そんな彼らを見ていると、自分と「老い」は無関係と思っているのかしら、と不思議だ。

老いることもボケることも、誰もが避けられない「老化」という変化だ。

分かっちゃいるけど他人事と思っていたら、自分の面倒がみられない。自分のことすら    分からなくなる。自分の下の世話も出来ないなんて、かなりの衝撃だろう。

しかし、「老い」は恥ずかしいという感覚    すら鈍らせる。顔を赤らめながらオムツ交換される、そんな高齢者にわたしは会ったことがない。

違うな。入院当初は下の世話をされることを嫌がり、陰部洗浄もオムツ交換も断固として拒絶する女性がいた。

「頑固でたまらん」という看護師もいたが、わたしは嬉しかった。

「恥ずかしい」という感覚を麻痺させないと暮らせない環境なんて、わたしなら御免だ。

「恥ずかしい」という思いを理解、共感してくれ、恥ずかしくないようにオムツ交換してくれる看護師に担当して欲しい。

認知症になるのは仕方がないだろう。生きているすべての者は、老化しながら朽ちていくものだ。これは避けられないが、マイルドにボケることは可能だろう。

「得手勝手なボケ老人」と呼ばれそうだが、いい塩梅でボケた老人になりたい。

厚労省がどんな政策を、どんな地域づくりをやろうとしているのか見えてこない。今は、コ○ナ対策で忙しいだろうが、老化は待ってくれない。

見えないから放っておくのではなく、自分の快適な老後生活が掛かっているので、自分事として関心を持たねば、と思うが、やはり、どこかで他人事になっている自分がいる。

どうも「認知高齢者等にやさしい」とある、やさしいに引っ掛かってしまう。何でもかんでも「やさしい」でまるっと綺麗事にされる感覚が嫌なんだろうな。

さっさといい塩梅にボケるに限る。