見出し画像

わたしで生きる(固定された視点と意識で働いてない?)

去年の今頃はまだ能天気に暮らしていた気がする。もちろん、去年は去年なりに精一杯の自分であったと思うけれど、それでも今回のコロナを経験して、「思ってたよりゆる~く生きてたなあ、あたし」と気づいた。

でも末端の人間である自分とは比べ物にならないくらい、企業のトップの面々や政治家の皆さんは、解決しなければならない山積みの課題を抱えながら、その手段が見つからずに困っているのかなあ。

いやいや、選ばれた賢い人たちの彼らには、私なんかとは違う視点と意識でもって、違うモノを見ているに違いない。

そう思うのだけれど、テレビとか国会中継で野党の皆さんの発言を聞いていると、若干、不安がよぎる。

野党の皆さんの仕事は与党の言うことをひっくり返して反論することかもしれない。自分にはそう見える。でも、喫緊の課題が山積み状態の今は期間限定でいいから、少しくらい問題に対する視点と意識を変えないかなあ。

「いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない」

これはアインシュタインの言葉らしい。

早く政治家の皆さんが自分たちがいつまでも固定された視点と意識で、いつまでも悶々としていることに気づいて欲しい。

花留さんのまわりには政治家はいない。でも今の職場が某県の施設内にあって、公務員の方々の仕事のやり方をみる機会が増えた。

ほんとうに「頭が下がる」という言葉が当てはまるような働きぶりだが、同時にもう少し働き方の工夫ができないのか?と首をひねり過ぎて労災になりそうだ。

夜、9時にアナウンスがあるのだが「健康のために9時に帰宅するようにしましょう~。仕事が残っている人は10時には帰るようにしましょう~」とハウルのテーマソングと共に流れてくると、何だかイラつく自分がいる。

花留さんとしては、いくら公務員が"公僕"と呼ばれても、家庭も自分の時間も大切にする普通の人であって欲しい。

もし、山積みの仕事の片付け方が分からず、年がら年中残業をする(あっ、金曜日は7時過ぎには帰宅してた。「花の金曜日」かな(^^))のあれば、是非とも、時間管理の得意な人に相談して欲しい。

・・・

「お仕事大変ですね。まだ帰れませんか?」

お節介とは思うけれど、老婆心からついついひと言出てしまう。

だってもう夜の9時なのに、このまったりと流れる空気は何だろう。みんな家に帰りたいと思わないのかな。

働くことと自分の生きがいとがマッチングし過ぎているのかな。それはそれで幸せなことかもしれない。自分も看護師をやりながら、めちゃめちゃ看護の仕事に生きがいを感じてハマっていた。

そんなハマる瞬間も大切だ。でも、ずっーとハマっていたらそれは溺れているのと同じ。

そうかあ、公務員になる人は「私」を捨てる覚悟で働ける人しかなれないのか。利己的な私には無理だ。

公務員の皆さんの"忍耐"と"使命感"には感服をして頭が下がる。でも、"生産性"と"効率性"が加わると、彼らのいつもお疲れ模様の表情に明るさが加わる気がする花留さんだ。

疲れていたら新しい視点を持つエネルギーもないだろうし、惰性で動くほうが楽だ。

つまり「慣れ」が「馴れ」になって、そんな馴れ合いの雰囲気に職場が包まれている。

夜の9時。誰一人慌てる様子もなく、淡々と机に向かってパソコンを相手にしている。

もう9時だよね?と時差ぼけを覚えながら、「お先に失礼します」と花留さんは鍵を返し頭を下げて帰宅する。

だって猫のマールが待っている💕